2,文学女子、元ヤンに絡まれる

「うぅ、もう一生お酒は飲まない……」


 激しい頭痛と目眩。生きた心地がしない酒の拷問。


 いま何時? スマホを見た。そうねだいたい11時。カーテンを閉めきった薄暗い部屋の外は、どうやらよく晴れているようだ。冬の低い太陽光が、ベージュのカーテンから滲んでいる。


 昨夜、1時間かけてぐったりシャワーを浴びどうにか床に就いたときはいっしょだったポチが、いつの間にかいなくなっていた。


 なんとなくタイムラインを眺める。フォローもフォロワーも、多くが物書きや絵描き。


『石油王と結婚したい』


『急に5兆円、ぽーんと降ってこないかな』


『神絵師にリプライしてるだけでお前は幸せなんだ。リプ返されるのが当たり前だと思うな』


 うーん、きょうもこの界隈は荒れてるねぇ。


『映像化もあるかも? ◯◯文庫 ◯◯大賞応募受付中!』


 おや、これはいい情報。いまは頭が痛いから後でチェックしよう。


 SNSデトックスしたいけど、たまに有用な情報が流れてくるならやめられないんだよね。天井を仰ぎながら『いいね』をタップ、右中指でサイドボタンを押して左手に持ったスマホの画面を閉じた。


 あぁ、飲んだ後はラーメンが食べたい。でもいまは酔いが酷くてとても起き上がれない。もうちょっと様子を見て、行けそうだったら食べに行こう。


 3時間45分後、カラカラカラと焦げ茶の木の格子が張られた引き戸を開け、わたしは近所のラーメン屋にのっそり入った。1964年開業の昭和風情が支配する狭い店。カウンター席の後ろは一人がやっと通れるほどのスペースしかなく、筆でメニューが書かれた札が掛かっている。味噌、醤油、大盛、小盛、チャーシュー、もやし、のり、メンマ、バター、玉子、ビール。


「こんにちは~」


「あらおかえり夢叶ちゃん!」


「ただいま帰りました……」


「いらっしゃい!」


 店に入ると、50代のおじちゃんと、70代のおばちゃんが出迎えてくれた。この二人、夫婦でも恋人でもない。お店を切り盛りする地元の仲良しさん。二人とも、このお店で働いていることにとても幸せを感じている。


 お客さんはわたしのほか、入って正面のカウンター席の奥側にスポーツ新聞を広げた黒いジャンパーのおじさん、3席間隔を開け手前側の白髪のおじさんは冬なのにアロハシャツを着て、宇宙に関するハードカバーの専門書を読んでいる。その奥の小上がりは空いている。


 わたしが小さいころはまだそこかしこにあった、いまでは貴重な昭和の光景が、ここにある。


 わたしは入って右の、四人分まるごと空いているカウンター席の奥から2番目に座った。


「こんにちは~、味噌ラーメン小盛り油少なめ、のり、メンマトッピングでお願いします……」


 おじちゃんにもぞもぞと注文内容を告げた。まだ視界がクラクラしている。


「味噌小盛り油少なめと、のりメンマね。なんだか疲れてるね」


「二日酔いで、ラーメンが食べたくなりました……」


「そうなんだ、忘年会?」


「はい、同期の子たちと」


「きのうで仕事納め?」


 おばちゃんが会話に入ってきた。


「はい。わたしは」


「そう、おつかれさま」


「ありがとうございます……」


 12月29日。きのうが仕事納めで、きょうから8連休。ただいま二日酔い。都内で開催中の同人誌即売会に行く体力も残っていない。


 あぁ、こうやって老いていくんだ……。


 ぐでぐで三十路女、森崎夢叶、ここにあり。家からここまで15分、歩いて来たはいいけど帰れる気がしない。帰りは178円課金してバスかなぁ……。


 ふーぅ、眠い……。


 寝落ちしかけたそのとき。


 カラカラカラ。引き戸が開いた。お客さんだ。閉店5分前だけど、入ってくるお客さんはちらほらいる。おじちゃん曰く、時間ピッタリまでは鍋の火を落とさないから問題ないとのこと。


「ちわーす! まだ大丈夫?」


 ミルクティーブラウンのポニーテールに赤い下縁メガネ。背丈はわたしと同じくらいの女性が意気揚々と入ってきた。


 うわぁ、やだなぁ、ヤンキーだ。


「大丈夫だよ!」


 おじさんが言った。


「まみちゃんいらっしゃい」


 おばちゃんも歓迎している。来るなと思っているのはわたしだけのようだ。あっち行け、しっしっ!


「あれ? 夢叶じゃね?」


「え?」


 誰? と思ったのは刹那、すぐに彼女を思い出した。


門沢かどさわさん?」


「そうそう! なんだ夢叶! ここ来てるのか! 意外だな!」


 どうやら彼女には、昭和の香り漂うラーメン店とわたしがミスマッチに見えるようだ。若い女性のお客さんもたまに見かけるんだけどな。ミスマッチでもラーメン美味しいしお店の人が温かく迎えてくれるから通ってるんだよ。


「よっこいしょ」


 ガラガラと丸い椅子を引き、一席空けてわたしの横に座ったガラの悪い女は門沢まみ子。中学のどこかしらの学年で同じクラスだったヤンチャな子。だけどイジメとか、非人道的なことをしたという噂はない。小学校も同じだったけど、同じクラスにはならなかった。


 教室ではよく男子グループに混じって本物の手裏剣を投げて遊び、ある日それで教室の窓ガラスを割って用務員のおじさんにこっぴどく叱られていたのを鮮明に覚えている。


 門沢さんは裏メニューの塩ラーメン大盛と、トッピングにチャーシュー、のり、メンマ、バターを注文。先に小盛りを食べ始めた私と同じタイミングで食べ終えた。二人ともスープまで飲み干した。きょうも美味しかった。ごちそうさまでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る