森崎夢叶の18きっぷ

おじぃ

30歳の夢追い人

1,30歳の夢追い人

「おーい、夢叶ゆめかー、起きろー、お開きにするよー」


 誰かが、わたしを、呼んでいる……。天からの、声が、聞こえる……。


「気持ち良さそうに寝てるし、置いていっちゃう?」


「そうしてあげたいけど、お店の人に迷惑でしょ」


「そうかぁ、仕方ないね、起きてもらおうか。夢叶ちゃん、終点だよ」


 終点……。


熱海あたみっ!?」


 またやっちゃった!? あっ……。


「おはよう夢叶ちゃん、いい夢見れた?」


 清楚でたおやかなロングヘアのお姉さま、御城みしろまいが、ぐでったわたしに天使の微笑みを授け賜われている。ありがたやありがたや。


「はははっ、起きて開口一番熱海って」


 天然ブラウンヘアのセミロング女子、青山あおやま美奈みなが、ケラケラ笑っている。舞ちゃんも美奈ちゃんも、34歳なのに老けないなぁ。


 そうだ、ここは横浜よこはまの昭和風情漂う狭い居酒屋のカウンター席。きょうは同期の二人と忘年会だった。わたしはカウンター席で美女ふたりに挟まれハーレム状態。


「横浜だったぁ、良かったぁ。ふへへへへ~」


 森崎もりさき夢叶ゆめか、未だ高校の制服を着ても違和感のない、大人としてはなんだかなな30歳。身長155センチ。ドラッグストアのポップに描かれている女の子っぽいなどと言われる。


 髪型は幼少期からショートで、花だったりクローバーだったり、何らかのヘアピンをしている。きょうは仕事だから無機質な黒いの。ずっとショートなのはアイデンティティーではなく、髪型を変える勇気がないから。


 わたしは高卒なので、大卒の舞ちゃん、美奈ちゃんより4歳若い。心はもっと若い、いや、幼い。


 わたしたちは北海道から鹿児島県まで46都道府県を股にかけ、海外にも事業所がある鉄道会社、日本総合鉄道にほんそうごうてつどう株式会社勤務。わたしは在来線車両の検査、修繕、職場施設の管理、事務等を担当する検修けんしゅう員、いわゆる車両技術職。舞ちゃんと美奈ちゃんは乗務員で、車掌と運転士の兼務。通勤電車や特急電車と、客車や貨車、製造工場から落成したばかりの新車、役目を終えた廃車両を牽引する電気機関車の運転を担当している。国家資格なので運転手ではなく運転士。


 しかしそれは表の顔。このときはまだ知らなかったけれど、わたしたち三人にはそれぞれ互いに明かしていない秘密がある。わたしの秘密は後ほど。


 二人と別れ、横浜駅から銀色の車体に緑とオレンジの帯を纏った東海道とうかいどう線に乗って23分、途中の藤沢ふじさわ駅でいくつか席が空いたので座った。まどろみを誘う穏やかな発車メロディーに意識を奪われ、発車前には気絶していた。この間約20秒。


 んん、音楽が聴こえる……。この発車メロディーは……『希望のわだち』……!


 わたしはひゅっと席を立ち、慌てて電車を降りた。


 危ない危ない、座ってからたった2駅、7分で寝過ごしかけるとは。


 前回の飲み会後にはここから50分かかる熱海まで寝過ごし、面識のないおじさん車掌に起こされた。もう帰りの電車はなく、駅前のビジネスホテルに泊まった。翌朝、せっかくの温泉地なので、露天風呂に日帰り入浴をして帰った。おばあちゃんがいっぱいいた。


『6番線、ドアが閉まります、ご注意ください』


 女性の声で合成された自動音声がホームに響いた。もしこれが流れているときまで目覚めなかったら、わたしは下車をあきらめる。ドアに挟まれたら電車が運転を見合わせ、大迷惑。


 ドアチャイムが鳴って、ガチャンと小気味良い音でドアが閉まった。電車はヒューッ! と空気を抜いて、シュロロロロログオオオンとモーターを轟かせ走り出した。


 雑音が少ない夜の駅、電車の音とホームをヨタヨタ徘徊する酔っ払い集団の奇声がよく響く。お猿さんを見ている気分。


 後ろから3両目の13号車に乗っていたわたしからは、80メートル先にある階段もしくはエスカレーターに向かって歩く人の群れが遠くに見えた。出遅れたわたしは、とぼとぼとそこへ向かう。別に急ぎの用はない。ゆっくり帰ろう。


 ふぅ、やっぱり茅ヶ崎ちがさきは落ち着くなぁ。


 冬の乾いた空気に、ほんのちょっぴり潮の香りが混じる茅ケ崎駅のホーム。


 ここが、わたしの帰る街。


 茅ヶ崎、自治体名は『茅ヶ崎市』で、駅名は『茅ケ崎』と、ケの字が大小異なる。


 南口のロータリーからバスに乗って5分、自宅の最寄りバス停に降り立った。目の前にはガラス張りの美容室がある。現在22時55分、店内は真っ暗。


 吐息がふわあっと舞い上がって、澄んだ夜空に散った。


 バスを降りた十数人は、右へ、左へ、それぞれの家路を辿る。私は左へ流れバスに背を向け数歩、右手の裏道に入った。あれだけの人が降りたのに、この道を歩くのは、わたし一人だけ。


 小さいとき、夜は一人で出歩くと誘拐されると親や学校の先生に教育されて以来夜道が苦手なわたしは、今宵も歩を速める。それでも男の人が普通に歩く速さだと、急ぎ足で人混みを歩いていたときに思い知った。誰かに追いかけられたら逃げ切れない。家までわずか2分の道のりも、恐怖極まりない。いくつかの家に張り巡らされたイルミネーションも、綺麗でこそあれ安心感は誘わない。


 べろべろばー、どうだ、俺の立派なイチモツは。どうだー、いいカタチしてるだろお? がっはっはー!


 見せつけられるくらいで済めばまだいい。それでも大層ショックを受ける人もいるだろうけど、わたしは耐えられる、と、思う。彼氏いない歴イコール年齢のわたしは、父以外のそれがどんなものだかも興味があるし……。


 それよりも誘拐や、命を狙われるのがとても怖い。


「ふぅ、なんとか無事に着いた。でも、家の中に入って鍵を閉めるまでが外出」


 やっと自宅に辿り着き、玄関の扉を閉め素早く施錠した。わたしの帰宅を感知して、正面にある階段から水色の首輪にぶら下げた鈴をシャンシャン鳴らしながら、白猫のポチが下ってきた。


「ポチー、だだいまー」


「おなあああー! ぬおあああん! うおおおおおおん!」


「きょうも生きてて良かったねー、お留守番できたねー」


 このままなでなでしたいところだし、ポチも撫でて欲しそうにしているけれど、ここはグッと我慢。手洗いうがいを済ませてから。


 薬用石鹸とうがい薬を用いて洗面所で手洗いうがいを済ませた。足元にはさっきからずっと、ポチが纏わり付いている。毎日頬ずりされているタイツは、そろそろ擦り切れるかも。


 前傾姿勢でポチの頭を撫でながらキッチンへ。電子レンジでホットミルクをつくって、ココアの粉を陶器のスプーンで溶かした。酒の後のミルク、あかんやつやけど夜のココアはやめられん……。


 2階の自室に上がり、ベランダに出た。ポチといっしょに星空を見上げる。きみとこうしていられるのは、あとどれくらいだろう。


 ポチとの出逢いは16年前の9月7日、日曜日。私は中学2年生だった。父といっしょに訪れた茅ヶ崎市北部にある市民の森入口の駐車場。車を降りて歩き出したところで、毛の黄ばんだ目ヤニだらけの子猫が出現、数時間の散歩を経ても付いてきた。そして現在も、いっしょに暮らしている。茅ヶ崎を気に入っているからというのもあるけれど、ポチがいるから実家暮らしをしているといっても過言ではない。


 家族構成はわたしとポチのほか、母、石川県の金沢かなざわに単身赴任している父の一頭と三人。父が生まれる前の戦中、祖母が同県の七尾ななおに疎開して遺伝子に擦り込まれたのか、北陸での暮らしを気に入っているらしい。母は職場の忘年会で、まだ帰っていない。


 ほかほかと顔を撫でるココアの湯気が、みるみる夜空へ吸い上げられてゆく。乾いた空気に頬を刺されて寒い。


 南西の空にはオリオン座がある。あの星たちは、今も存在するのかな。何年前の光が届いてるのかな。一説によると、オリオン座を構成する星の一つであるペテルギウスは近いうちに超新星爆発を起こす可能性があるのだとか。


 星がなくなってしまう。それはなんて、寂しいことだろう。だって、一つの世界が無くなってしまうのだから。それが地球だとしたら、わたしの記憶にある地上のすべてのものが、そもそも地さえもなくなってしまう。


 いくら悲観しても、遠く離れた星は救えない。


 ペテルギウスさん、今まで素敵な夜空をありがとう。


「わっ、流れ星」


 左の空。北から南へと、細くまばゆい光がビューッと駆け抜けた。けっこう長くて派手な火球だけど、効果音はなく、空は静か。


 もしかしたら願いごとを3回唱える時間はあったかもしれない。だけどそんなことは忘れて見入っているうちに、火球は去ってしまった。


 わたしには、叶えたい夢がある。


 小説家になって、物語を届けて、特につらい想いをして生きてきた人の心を温めたい。それで生計を立ててゆけたら最高。これがわたしの願いであり、夢。舞ちゃんにも美奈ちゃんにも、家族にも明かしていない秘密。


 高3の夏から細々とウェブ小説を書いているけれど、なかなかアクセス数が伸びない。一時は最新話を投稿してもゼロアクセスだった。


 それでもわたしは懲りずに、物語を綴っている。30歳になって、周囲の同世代が次々と夢を叶え、または身を固めている現在でも、愚直に夢を追っている。


 もういい年だからって、あきらめる気はさらさらない。


 でもきょうはお酒に酔って、頭が働かない。うぅ、睡魔が……。


 それでもなんとかシャワーを浴びて、吸い込まれるようにベッドにうつ伏せた。

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