希少率0、8%木原東子の思惑全集 巻2 恋愛ものプラス 「存在の涯を物語る」「受容ホルモン」「妻を娶らば」「ユリアン」 

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第一章 「存在の涯を物語る」

   序


(わたしらは勿論けっこうなところに暮らさせてもらっております。まずとても自由で。鳥の羽以上に軽い。そうでない連中もいるとか聞いたことはありますが、いつか昔にね、どうなんでしょう、余り関心ありませんしね。


わたし等、と表現したのも理由あってのことです。なにしろ、とてもとても微小なんですから。


物質の最小単位である原子、とやらの核、とやらのその構成粒子たる陽子と中性子、とやらのはてしなく1ミリのマイナス乗であるはずの躍動する「ひも」とやら、しかも十一次元であるとやらの、そんなこんなはさておいて、結局はそんな風のようなわたしらなんですから。

 そこまで小さくても物質なのか、存在なのか、むしろエネルギーというべきなのか、エネルギーも存在なのか、そんなことはさておいてですね。


 わたしらの日常生活は、生きている人間を護ることなんですよ、あなた。ええ、あなたらのことも。


 ただ、なんとなくグループ単位で行動するのでまるであなたの祖先の護りのように思われているかもしれませんがね。しかし、本当はどうでしょうか。


 たとえば極端な話、合成麻薬LSD(偶然に化学物質が結合して作られてしまったそうですよ、科学の世界でも時には、一見偶然の力が大きな影響を及ぼすようにみえるでしょう?)ですが、あれを摂取すると、これまでのあなたの脳が蚊帳の外に置かれるのだそうです。


 つまり脳が膨大なコンピューターのようだといっても、いつも全情報を意識していたら疲れてしまうし、生存のためには非効率的なので必要なものが残るように様々なフィルターがかかっているのですよ。そこで無用な情報はふるいにかけられ、無視される。

 こうしてあなたらはお互いにある程度共有の感覚を持ち、だいいち同じ言葉で同じことをおおよそ理解しあうってわけでしょう。


で、LSDにはそんな部分の脳をシャットアウトして、新しい部分の脳を覚醒させるのです。ああ、それで覚醒剤というのですね。覚醒された脳はどうなるか。なにしろフィルターがないのですから。

 赤ん坊の脳のように、すべてが新しい、制限の無い感覚、知らなかった見たことも聞いたこともない、鋭い強い強烈な色や速さや心地よさ、あるいは運が悪いと恐怖と不安の地獄を見る。痛みも快感も堪えられないほど敏感に感じる。幻覚妄想天国であればけっこうですが。



 あ、脱線してしまいました。脳の働きの異様さを説明しようとしただけなのでした。

 で、脳のもっと古い、生物共有の記憶の中に、一体としての共同記憶があるともいわれています。そこにわたしらは住んでいるのかもしれません。


 おそらくいわゆる同系統遺伝子生物の進化のさまざまな過程を反映していることでしょう。それでおそらく人間と言う進化過程の集団記憶のレベルに集まっているのでしょう。

 つまり、あなたらの意識の底にわたしらはうごめいているのじゃありませんかねえ。なんとなく自分の子孫を護りたくなるのもまあ、生物としての本能であるでしょうし、これまた仕方の無いことでしょうか。



 などという御託はこのくらいにして。


 わたしらはかなり多忙にしております。

 ぼやっとしていると、偶然が偶然に多重に積み重なったようにみえて(わたしらはここら辺をひもとき解析理解しないといけないのです)、自分の子孫が津波に呑み込まれることになったりしないよう、遠大な見通し(わたしらの時間は一方方向ではありませんので、念のため)と慎重な考慮、全体の福祉公正正義の配慮をへて、そんな不運を回避するよう努力しております。


 あるいは彼らの夢なりが正しく実現するべく活動しているのですが、ここで障害がふたつあります。

 ひとつは個人としてどうしても私らの導きに従わない、そんな事例が時にあること。

 もうひとつは、わが子孫を守護しようと、みんなのたくさんの意図が絡まっておるということでありますねえ。


 でもだからといって、わたしらが己が子孫のためにお互いにしかるべく敵対関係になっていると言うわけではありません。そこはそれ談合でありますよ。今回はこちらが痛みを飲みましょうか、しかし同時にひとつ悟りをえるということで手を打ちましょう、てな風にね。


 それに、大事なことはあれです、浦島太郎、あの話に示唆されておりますでしょう。ただ珍しく面白くすごす生の時間こそ一場の幻、RPGそのものなのです。


 だってそもそも、原子の九十九パーセント以上は真空、無なのですから。それがたくさん集まってもほとんど「無」でしかありません。


 とするとわたしらがプレーヤーということになりますが、まあそこまでは言いたくないし、あなたも聞きたくないでしょう。時には、本音をいいますとね、時にはストレス耐性実験を実際の人間でやってるような感じもするのです。意地悪ではありませんがね、励ましつつですがね。)



   『挫折のストレス実験?』


 富士という姓の一族は、昔は紀伊半島熊野に修験者であった先祖をもつ。


 山頂の高い樹の上から、晴れて澄んだ早朝には遠くに富士を拝むことが出来る、そのこと自体がその時期から秘伝のようにして言い伝えられたのである。(余談ですが、こんな風に先祖のちょっとした徳の高さ、こだわりの無さ、純粋さが遺伝子の発現に良い結果をもたらしうるようですね)


 一部の別れが富士と名乗って海岸へとおりてきた。波の静かな小さな湾で余りよそ者とは子をなさずに、遺伝子が純粋培養されていったと思われる。(思われる、と今わたしらが言うのは、あなたがたの立場でものを言ってしまったせいです、念のため)



 昭和三十年をすぎたころ、ある地所もちの富士家に玉のような女の子がうまれた。赤子であるのにすべらかな皮膚と高貴な目鼻立ちは誰の目にも明らかだった。また遺伝子のよき果実が実ったのである。

 名前は玲子と名づけられた。麗子では余りに目立ちすぎるだろうとかえって心配する声があったためである。


 玲子の後には男児が二人生まれたが、この子達は体が弱くすこしおっとりしすぎていた。(全てに実は意味があるように、地上の意味ではないが、負のように見えるものにも、存在の徳は秘められているのです。玲子は弟達をいたわり導き護るという徳をえるチャンスを与えられたのですし、弟達は姉を徳あるものにするというチャンスに恵まれて生まれたのですから)


 玲子は強い心身をもっていた。色白で細身の体にはむだな肉が無く、強い筋肉と筋、骨をなだらかな曲線でおおう輝く皮膚があった。二親には全身全霊で愛され、それを実感して育った。弟が生まれると本能的に護り手になって、ストレス耐性を強めていった。

 


 紀伊半島の突端に近いいろいろな崖を知り尽くしていた玲子は、弟達にも危険の無い高さから始めて、二人を水に慣らさせた。夏は自由と冒険とに溢れていた。玲子自身も海に潜るのが何よりも好きだった、ピアノを除けば。


 光がさんさんと差し込む、ちょうど快適な水温に身をまかせていると、青い空の透けて見える蒼い水の中は静かでもあり、音に満ちてもいる。泡がどこらともなく浮き上がって好きな高さまでのぼり、あるいは消えるとき、その小さな気球がピアノの音を発する。


 どの音のひとつとして同じものは無く、異なる質感を揺れを色合いを感情を抱いていた。玲子はうっとりとして、自分の指がその音をおって正確にうごいているのにも気づかないほど没頭してしまう。


 遠くで「お姉ちゃん」と呼んでいた声が、急にはっきりと聞こえた。彼らのことを思い出し、ザポンと海面から飛び出して見せる。

 双子のような兄弟が嬉しそうに可愛く笑った。玲子は二人の存在が大好きでたまらず、バスタオルで濡れた体を包んでさすってやる。


「耳、よく拭いて、それから片足でトントン跳んで、頭をかたむけーっ。水、入ってないよね?」

「はあい、からっぽだよ」

「お姉ちゃんはまだトントン跳んでないよ」

「はいよ」


 玲子は適当に跳んでみせる。頭を傾けて。(この行為にしっかり注意を払わなかったのは彼女の小さな間違いでありました。あるいはそこに遺伝子の負荷がもともとかかっていたのかもしれません。彼女のピアノの才能が正の負荷の結果であるとすればそういうことになるでしょう。しかし、実はそう簡単に生物学的なことだけで決まってくるわけでもありませんが)


 恐らく楽器は弦楽器でも、あるいは琴でもよかったのだが、玲子の強靭な長い指と強い肩、ペダルを踏む美しい脚の強弱、などの利点をピアノと言う楽器が求めていた。

 また海産物を販売する家は裕福で高価な楽器やレッスン、それに留学までもまかなうことができた。玲子がウィーンの国立音楽院に合格したからである。中学を出たとたんであった。


 その歳ですでに技能は完璧であった。

 本場の教育によって驚くような速さで玲子は曲の文化的な真髄を把握した。ひとつの音も疎かにしなかった。それを表現しうる優しく強い指と神経、感情を併せ持っていた。

 一人一人の作曲家、ひとつひとつのピアノ曲、玲子は夢の中のようにその中で生きていった。彼女が引くと曲がいきなり立ち上った。音のなにひとつとして無駄なく、表現の極限まで差異と解釈を与えられていた。

 そこに玲子はもう存在しないかのように、楽の音だけが、音の世界のみが提示された。


 成人したころ、玲子はやっとコンテストに参加することにオーケーした。

 大人として豊かな成人として世に出ることを待っていたのだ。周囲の期待を裏切らず、結果は大成功であった。


 玲子は彗星のように現れ、スターになるすべての素質を備えていた。(玲子の弱みは、彼女が余りに純粋でひとの悪意や欠点を知らず、またピアニストである以外の、家事能力のような女性的な部分を知らない、かのように、つまり無能な天使のようにみえたことでありましょう。そんな愚かさとは縁遠かったのですが、善意の純粋な女性であることは確かでした。それは人間として危険な事態を招きかねなかったのですね、ま、それはともかく。


 どの家系にも、影響力の多少の程度に応じて、恩義を感じて共に働こうとするものたち、逆に恨みをいだき隙あらば怨念を反映させたいと思うものたち、わたしらにもお互いに基本的な感情の動きがあるわけですね。

 過去の世界の詳細はもう重要ではなくとも、少しのプラスなりマイナスなりの影響が現世の人間の運命にふりかかるのは避けられません。

 生を受けたからには、できるだけ負の攻撃をかいくぐってその人物が幸せになるようわたしらは努力しますが、理の当然と言いますか、計算の結果、運不運の矢が当たってしまいます)


 すでにコンサートツアーが告示され、富士玲子のポスターも曲目とともに美しく仕上がっていた。玲子はおびえたり興奮するでもなく、そんな流れにゆうゆうとやすやすと乗っていった。それは彼女に与えられた運命のように身に添っていたのだ。


 珍しくマイナス十五度になったある朝、玲子はコホンと小さな咳をした。

 一週間ほど微熱があったり、また引いたりして、風邪ひとつ引いたことの無かった玲子の無知が悪く作用した。

 練習していると、右の耳が少し詰ったように感じた。しかしまた気にならなくなった。そうして数日が過ぎた。


 ウィーンのあちこちの広告塔には、白いドレスの玲子のポスターが貼られていた。


 風の吹き上がる広場のそんなところを通りかかったとき、ポスターを見上げていた若い男が、玲子に気づき、驚いて大きく笑った。そのまま近づいてきて、自己紹介をしサインをもらいたいと言う。

 彼のもっていた本に、玲子は少し照れながらローマ字でサインした。お名前は、と尋ね、トーマス ゲルプホーフさんへと書いた。

 彼はわら色の髪の小柄でやせた人だった。風に髪が乱れ、大きな笑い顔をまたみせた。


 外を歩いたせいか、また耳が詰った感じがした。

 翌日起きるともうそれが始まっていた。玲子ははじめてあわてた。


 週末だったので月曜日を待ったがその間にもまるでよくなる気配がなくなってしまった。(子供のころ、海に潜って耳に水がはいったことは数知れずあったが、それが遠因であろうとはだれにもわからないことでした。これまで支障がなかったことこそむしろ護られていたわけなのですが)


 滲出性中耳炎の悪化で急速に聴覚が衰えていった。

 それが演奏家にとって何を意味するか、するべきことはあきらかであった。


 玲子は一度だけ、絶望して崩れ落ちて号泣した。弟か恋人か、子供か、大切なもの永遠に喪ったひとのように取り返しの付かない地獄が始まったのである。もはや完璧な演奏は無理だった。専門家ならすぐに気づくだろう。できるだけ傷が広がらないうちにツアーを取りやめにしなければならなかった。少なくとも回復するまでは。

 この報はかなりセンセーショナルに広まっていった。新聞の小さな記事にもなり、玲子の心をわけのわからない不安で充たした。


 広告塔からポスターが引き上げられた。シュテファン広場を通っていくとき、誰かが手を振っているような気がした。広告塔の前にあの男が立っていた。手には丸めたポスターを持っていて、それを高く振り回している。


 彼は、トーマス ゲルプホーフは近づいてきて、薄蒼いまじめそうな瞳で、玲子の不運に同情の言葉を述べた。そしてポスターを大切にする、きっと再起できると言った。

 人前で涙をこぼそうとは玲子自身思ってもみなかったのだが、はらはらと、ちょうど降ってきた白い雪のように若い頬を零れ落ちた。男は思わず玲子を抱きとめた、彼女が倒れそうにみえたからだ、そうあとで聞いた。

 事実彼と知り合ってから、玲子はまともに歩くこともできなくなった。治療は見込みが無く、ピアノに触ることも出来なくなった。


 数ヵ月後、玲子はピアノから離れた。手離した。その隙間にトーマスが入ってきた。

 彼は第一印象に似合わぬ確信と自信をみせて、弱った玲子の心を左右した。

 ビザが切れそうになったときトーマスは、彼はギムナジウムの理系の教師だったのだが、玲子に結婚を提案した。長年暮らしたヨーロッパを離れることのできない玲子がいた。


(人間の進化の中には、興味深い示唆がみうけられるものです。同属への帰属と慣れは基本的な心情で、これがあるので弱い人類も生き延びたし、動物一般にもあてはまるのです。

 しかし一方では、チンパンジーのメスはしばしば他のグループへ入り込んで新しい生活を始めたりします。オスも青年になるとしばしば馴染みの場所を去り、冒険と好奇心の旅に出て行きますが、ホモサピエンスも同じ理由、願望、行動を示しています。

 ある意味他民族への好奇心はごく自然なものでありましょう。

 玲子が音楽を通じて他民族の文化に喜んで触れていったこと、トーマスが自国の女性と比して温和にみえる日本人との生活を決心したのも同じ理由ではあります。


 しかしもうひとつ、彼らにそっと触れている指先と情動があったのも事実です。


 玲子のおじの一人が第二次世界大戦後ソ連に抑留されていたとき、隣り合うドイツ人収容所の一人のドイツ人と知り合いになりました。言葉は通じなかったのですが、食べ物をお互いにやりとりして飢えをしのぐ仲間になっていったのです。

 時には無言の散歩にでかけたりしました。

 玲子のおじが先に釈放されることになったとき、着たきりすずめの軍服がぼろぼろになっていたので、そのドイツ人になにか手に入らないかと頼んだのです。

彼は最近亡くなった同僚のコートを持ってきてくれました。それをおじは帰国後長い間着ていました。とても丈夫なものだったのです。そこにもまたもうひとつの心情が絡まっていたことでしょう。


 わたしらにはわかるのですが、玲子はこのその後まもなく亡くなったおじの意識に導かれ護られて彼女の道を歩んできたのです。

 もうひとつわかっているのは、トーマスの長兄が例のドイツ人であり、玲子とトーマスが近づいたのも彼ら二人の懐かしい気持ちが働いたのです。


 しかし、そのコートの持ち主はどう思ったでしょうか。その人物が自分のコートの行く先をどう思ったか、批判的だったか、友好的だったかその小さな心根が、やはり影響を及ぼすはずでした。

 その人物はかなりの人種差別主義に染まっていました。たとえアジア人であっても憎悪したのです。


 そんないくつかのそれ自体小さな心の渦が玲子とトーマスの間に漂っていたのです。ひとは無力なのではありませんが、影響を非常に受けやすい、ほとんどその意のままともなりやすいのです、残念ながら)



 ふたりは戸籍課でのささやかな式をすませた。

 手をつないで、見知らぬ人からのささやかな祝福を受けながら、玲子は誓いの言葉に対し、はい、とは言ったもののそれが本心かどうか自分でもわかっていないことに気づいていた。しかし、頭を振った。そんなことを気にしていても仕方ない、前進するのみだ。


 トーマスはこの女が永遠に自分のものだと思うと力がみなぎってくるのを感じた。普通ならば手の届かない種類の存在だったのだ。

 玲子の無垢な美しい顔、そのむだのない引き締まった四肢、とくに脚の美しさは神々しいほどだった。

 玲子はトーマスの抱擁とキスとそれ以上の侵入を非常に特別な感覚で受け止め、それを特別な関係と関連付けようとしていた。この初めての接触、それが結婚なのだと解釈した。

 しかしそれ以上の感激があったわけではない。経験の無い花嫁には映画のような展開がまっているわけでもなかったし、それで特に不満をもつべきだとも思わなかったのだ。夫の動き、あえぎ、におい、それらをそんなものなのだと受け止めて、特別に不快でもなく、彼が喜んでいるので充分な気がした。


「どうだった?」

「どうって?」

「いい感じだった?」 「ええ」と玲子は含み笑いした。

「本当に?」

「まあね、いやあね、恥ずかしいわ」

「そのうち、きっと良くなるから」

トーマスは軽く額にキスして立ち上がった。

「キミってほんとに純粋培養だね、そこがいいのさ、ぼくに頼って」

「頼るほかないわね」

「ぼくが引っ張っていくから任せて」


 オーストリアに居ることがなんとなくいたたまれない気持ちのある玲子のために、二年後にトーマスはドイツに移ってくれた。


 しかしすぐに仕事先が見つからなかったので、トーマスは当分教職の空きを待つことになり、玲子も気晴らしになるというので少し働くことにした。

 デュッセルドルフの日本人補習校がドイツ語のできる秘書を探していると日本人会の会報で読んだことから始まった。


 一方、結婚生活はしだいにトーマスを苛立たせていた。

 玲子を美しく飾り、超ミニのスカートと高いヒールの靴をはかせて連れまわりたかったのだが、彼女にはあまり自分をひけらかすようで嫌がるのだった。

 夫婦生活ではさしたる進展がなく、しだいにトーマスを不機嫌な自信を失うような気分に陥らせた。

 すると言葉でしだいにそのことを批判するようになり、玲子の気持ちが自分を愛していないとなじるようになった。

 事あるごとに玲子の言うことなすことを、失敗と無能だとして嘲笑し批判し、いつまでも笑い馬鹿にし、人間として貶めた。


 玲子はますます失敗し、自信を失い、トーマスの強制を苦痛に感じる。しかしどうしたらいいのか考える余裕もなくなった。おどおどと夫の顔と機嫌を伺って過ごし、へつらうように笑うのだった。さすがに子供を作ろうとは思わなかった。まだ母親にはなれない、とまるでキャリアを失ったせいであるかのような言い訳をした。


 自分が人間であるという尊厳を次第に失っていき、我慢するばかり、瞳を伏せてばかり、意味のない笑い声をたてるばかりの玲子になってしまった。そのときに週末の二日間だけであれ、外の世界へでかけ、人並みに働いて報酬を得るという可能性が浮かんできたのだ。



 麻子クルトは日本語補習校で教え始めてから三年目になっていた。

 新しい秘書がはいってきた、と聞いた。教師の半分は留学している大学生であり、後の半分は結婚によりここに住んでいる女性達である。その大部分は、生活に満足しているようだった。数人が鬱屈を抱いている様だった。麻子クルトは後者の一人であり、休み時間には所在投げにタバコを吸う人物であった。

 美しい脚を丸出しにしたハイヒールの秘書を麻子は興味無げに見て、軽く会釈した。十歳以上若いらしいその秘書は、完璧に振る舞い、事務仕事も挨拶も堂にいったものだったので、そのミニスカートの異常さが際立った。その作ったような元気さも偽者くさかった。それは麻子だけが感じたものだっただろう。


「ゲルプホーフさん、見事なおみあしねえ、ほんとに」

「あのですね、今日ね、夫がちょっといなかったので普通丈のスカートをはいてでようとしたんです。そしたら見つかってしまって、またこんなミニ姿」


 玲子は急に事実を喋っている自分に驚いたが、もう言い換えることはできない。

 麻子は眉をしかめた。煙を口から静かに吹きだして、ああ、わかるわあ、うちもそんなところよ、とベージュのパンツの脚を伸ばした。それで、と玲子が問い掛けそうな顔をする。

「その点は大丈夫、でかける時間にはうちは眠ってるから」

「まあ、いいなあ」

「男ってねえ、支配したいのよねえ、うちは反応逆だけど」


 支配欲なのか、と玲子は思った。いやな感じがした。淋しい感じがした。



「おはようございます。今日も体操の指導ご立派でした」

 麻子がそう話しかけたのは、もう30歳くらいだがまだ学生の飯島徹である。まじめそうで、めったに笑わない。逆に信頼に値するという感じを与える。玲子はすでに全教師に関するおおよその情報を校長から聞いていた。校長は日本から派遣されてきている。


 飯島はすでに結婚しているのだが、どんな経緯かはわからないが、妻はロシア人で妊娠しており、まだ出国が認められないのを待っているのである。それで少しさびしそうなんだわ、と玲子は思った。


 麻子には日本でのキャリアを捨て、たしか子供も置いて再婚してきたという噂のみがあった。熱烈な恋愛だったのだろうと思う反面、麻子の屈託した様子が気になった。それでいきなり自分のことを喋りだしたのだろうか、玲子は自分に問うた。


「飯島先生、お茶がありますわよ、さあどうぞ」

「これは有難いです。日本茶ですね」

「いかがですか、お淋しいでしょうねえ」

 玲子が社交辞令ではなく、率直な性格のせいで問題に切り込んでいく。おや、というように麻子クルトが見ていた。日本人の典型みたいな行動をするかと思うと、これはまた違うわねえ、とひとりごちた。


「まあそうです。でも、妻とはあまり心が通わないような気がして。言葉もほとんど通じないんですよ」

「まあ」 「ええっ」

 女性二人にそんな反応をされた飯島は少しあわてた風に付け加えた。

「でもなんとか頑張らなくちゃと思ってますよ、なにしろすぐに子供が出来たのでそれが第一ですから」

「ひょっとして誘惑されたのかな?」

 麻子クルトが冷やかしではなく、本気で尋ねた。飯島徹は黙っていた。


 鴎外の舞姫ではないが、ひとを哀れと思う心情から関係が生じることもあるし、と麻子クルトは飯島の結婚に危ういものを想像した。玲子はもう隠しようもなく心配そうな顔になってじっと見つめている。


 玲子とともに夫のトーマスが仕事場に顔を出すようになったのは、仕事を始めて二ヶ月もたたないころであった。

 ワープロやコピー機が事務室に置かれるようになり、トーマスが玲子の仕事を手伝うということであった。校長にも異存はなく、むしろ頼りにしていた。


 麻子クルトは、たちまちトーマスの言動から夫と似た支配欲を感じた。

 まず相手の無能を笑う、批判する。認めるまでそれを止めない。玲子が少し操作に手間取っていると、ああ、またか、ほんとに何度教えても覚えないね、君は、と笑って言う。笑っているのは人前だからであろう。


 玲子は緊張してますます手元が危なくなり、ついにギブアップして、はい、あなたの言うとおりよ、と無理に笑いながら言った。麻子には彼らの結婚生活が、共感や理解や暖かさの決してない、楽しくないものであることを確信した。


 トーマスですら、楽しくないのだ。そもそも楽しく生活するには自己中心的過ぎ、他人に厳しすぎるタイプであろう。

 玲子が次第に人間として壊れていくであろうことは麻子には目に見えていた。(この麻子と言う人間にも、玲子と同じような人生を断ち切られるという構造が作られていますしね、夫婦間の愛憎が複雑なものとなっていました。それでも、幸せとは言わないまでせめて我慢できるほどであればよかったのですが、残念ながらそれですらないとすると、なにか目に見えぬ悪意のようなものがどこかで働いているようでした。


 わたしらも別にピンポイントで明らかな意思を行使するわけではないのです。いろいろな次元ですこしずつ色が重なっていき、ちょうど日本画で色を重ね重ねして描いていき、ついにはある色がおのずと実現されていくのにも似て、現実の世界が動いていくのです。


 玲子の場合は、好事魔多しの典型であるようですね。その輝かしい才能に嫉妬した誰かが強力な影響を与え、一方トーマスと言う個人がある種のトラウマを抱えるような性格と環境にあった、そういうリアル世界での個人的な事情も影響するのは事実です。

 そしてまさにそこでこそ、もうひとつ次元の異なるなんらかの作用がまた働いて、際限もなく影響が積み重なっていく、ということになるのです。

 それにして、近い親戚のもつ守護天使のような愛情の影響は侮れません、その力を信じ、安心していいのです。


 麻子は彼女を憎むリアルかつ上位の感情に取り囲まれていましたが、強力に護ってくれた彼女の亡き祖父のような意識もあったのです。その力に助けられて、彼女は自分を失わず、冷静に夫の罵声にも動揺せず流れるように未来を信じて生きてきたのです。

 二組の、構造の相似した夫婦関係が、二人の女性の関係をすこし親しいものに変えていくわけです)


 少し肌寒くなったころ、いつのまにか玲子の境遇に興味を持った人々が、次第に彼女の演奏会を計画していった。

 校長が教職員を自宅に招いたとき、好奇心から玲子にピアノを少し弾いて聞かせてくれ、と頼んだ。


「もう五年間ピアノに触っていないのですったら、とても」

「どうせさあ、われわれはずぶの素人なのだから、まあ気軽に練習のつもりで、みんな聞きたいんだよ」


 玲子は、麻子をちらと見た。聞かせて、頑張って、という目差しがわかった。

「じゃあ、短いのをやってみますね」


 玲子は譜面も何もないピアノに向かい、指を深くまげたり伸ばしたりした。凍りついた関節をゆるめているようだった。

 何の曲ともいわず、いきなり彼女は鍵盤を押した。上半身が前に傾いた、そのとたんに音の洪水があふれだした。


 きらきらする水玉が転がりだし、色を変え、大きさを変え、重音になり、和音になり、しかもひとつひとつが際立ってくっきりと聞き分けられた。一本一本の指の動きのとおりに音が無限の色合いで部屋中を充たした。


 感動の余り、麻子の目にたちまち涙がたまった。息を弾ませた。他の誰をも見ず、音楽に対峙している玲子を見つめていた。息を呑む気配はもちろん全員にみられたのである。


 比較的短い曲で、玲子はショパンです、といい、ああ、久しぶりで汗かいちゃった、と台所へ消えた。麻子は彼女の顔が泣きそうなのを見逃さなかった。だれがこんなとき悲しみにくれないだろう、拍手と歓声の中、玲子は比較的すばやく立ち直り笑って見せた。


 その後間もなく、日本の大使夫人がピアノを聞かせると言う会があった。

 みんな招かれたとき、麻子は音楽大を卒業したと言う夫人の演奏の平板さに辟易していた。ふと後ろの玲子を見ると、その指が音に合わせて空で踊っていた。音楽が玲子の体に染み付いて居ることを悲しく思った。


 こうして年が暮れていき、玲子のクリスマス演奏会が借りている小学校の体育館で行われることになった。校長がどんな宣伝をしたのか、ほぼ一杯の人々が固い折りたたみ椅子に座って待っていた。


 カーテンの奥から不思議な音が聞こえてくる。ピアノの指の練習、あるいは調律であるかのような、聞いたこともない和音や、旋律、不協和音、断裂した音、などである。正しいメロディは全くなく、玲子が指の動きを思い出させているらしいと麻子には思われた。


 隣にはいつのまにか、飯島徹が座っていた。

 二人が玲子の一番の理解者であるかのような気がして、麻子は飯島と無言の挨拶を交わした。というのも、一度ならず玲子と飯島が同じ地下鉄に乗り、静かに話し合っているのを目撃したからである。お互いに心の闇をかかえているのだと麻子は理解した。


 玲子は、少しドレス風な服を着て、困惑した感じもありながら輝いて見えた。


 最初の一音で、また麻子は感極まってしまった。音楽そのものの優れた演奏が与える感動もさることながら、玲子と一心同体であるかのようで、玲子のかわりに泣いているかのようだった。

 ピアノ演奏でこんなに音の一つ一つがその美しさ、その深さが聞き分けられることを麻子は経験したことがなかった。西洋音楽は充分に耳にしていたのであるが。

 音の美しさへの感動、それほどの美を引き出す能力をもちながら諦めた運命への悲しみ、玲子という稀有な人物の生活への心配、それらが麻子を圧倒したのだ。


 涙は止めどもなく溢れた。曲の間中ほとんど嗚咽していた。飯島徹にはきっとわかっていただろう。わかってほしかったかもしれない。そんな全身全霊からの感動の涙を流したことはなかったのだから。


 彼も涙していたのかもしれない。直立して座り、身動きひとつせず、麻子の動揺を気づいた風もみせなかったが。

 麻子はほほを素手で拭い続けた。体中の水分が涙になったような気がした。


 翌春にはついに飯島徹の妻がやってきた。本当に舞姫を思わせるような女性であり、たしかに夫婦の間に対話が成立せず、ギクシャクした感じを与えたが、恐らく妻はおとなしいひとであるのだろう。


 麻子クルトは、飯島と玲子の間に心が通い合っていると信じたがった。情実ではなくても、あるいはそうでないゆえにより深い交流があるとどうしても見えるのだった。


 また一年が過ぎるころ、日本学を専攻した麻子の夫がついに日本に職を見つけて一家で渡航するということになった。玲子は麻子から観葉植物をみんなもらい受けた。トーマスがそんなたくさんどこに置くんだ、といったが玲子はもらうと言って聞かなかった。


 五歳だという麻子の子供が特別な雰囲気を持っているのを見たとき、玲子は自分にもこんな子供が授かるかもしれないと思った。玲子が日本語で話しかけると、その子はしっかりしたドイツ語で答えた。黒い瞳をくるくるさせてたまらなく愛らしかった。


(ここに典型的なわたしらの次元の作用関係の原型がみられますね。

 玲子、麻子、新島,その子供達、かれらは将来にわたり、お互いに実際に護られ気にかけられるのです。親族でなくてもね。彼らはやがてリアルな世界ではばらばらになり、二度と会わないでしょう。

 でも思いはつながっているのですから。


 玲子 ゲルプホーフは、すぐに子供を生みました。

 その写真など麻子クルトは日本で受け取っていましたが、返事を書くことが出来ませんでした。

 玲子の夫は、彼らの子供が幼いうちに思いもかけず病死しました。玲子は彼の牢獄から自由になり、ピアノを教えながら生活を立て直し、それなりの名声を得て暮らしています。

 麻子クルトはそのことは知らないで、玲子を心配しているでしょうが、自分のことのほうで大変さがもっと増していくのですね。

 麻子自身の罪で巻き起こした強力な恨みの源泉がありその影響によって抗いがたく不幸が次々に襲うのですが、彼女を護る力も強いので、ともかくしっかりと生きていくことは可能でした。

 それ以上の実生活上の成功やキャリアを得るにはチャンスが遮られたままでした。


 またお喋りになりますが、この宇宙にある物質の極小の材料の数や種類は不変だということをご存知でしたか。

 科学者ががんばってここまでは解き明かしていますが、その根源の仕組みはとうてい人間だけの次元では解き明かせないことでしょう。

 ここで創造主とかの存在をもってくるつもりではありません、仕組みというしっかりした概念では把握できない種類の、必然と偶然の無限の積み重ねの産物として星や石や生物や人間が次第に現在のこんな形となり、生物は適者生存の基本法則で絶滅あるいは進化していくのだとわたしらは思っています。

それは、理の当然なのです。

 

 わたしらだって、正確無比ではなく、あなたたちを護ろうとしているだけです。確率の問題なのです。

 この原子をこう押せば数珠つながりにこんな結果になるだろう、ということはわかります。

 しかしその前に、護るってどういう意味でしょうか。一人を護れば、他方にその被害をうける存在があるかもしれません。いつかはみな生を終えるのですから、できるだけ苦痛なくできるだけ幸せに全うして欲しいとは思います。


 でもそれも相対的なものですから、本人がバランスよく考えてくれるといいのですが、人間の進化はまだそこまで進んでいません。そこがわたしらの限度でしょうか。このただ今の現在の人々に対する保護の限界です。はらはらして見守っているしかないことも多いのです。


 耐え難い死の苦しみを味わって死んだひとの意識が歴代積み重なって大きな不安の塊を作っている、それは事実です。人間の業というべきでしょう。


 それが実現するくらいなら、あっという間に意識もなく心臓が止まったほうが楽ですから、わたしらはそちらの道を選ぶよう助力しているつもりです。

 大災害で命を失った場合、この例が多いのですが、残された家族はおおきな衝撃に悩むのが普通です。悲しみは悲しみとして、もし身内が余り苦しまずにあの世にいかれたのなら、そのほうを喜んであげて欲しいものです。


 人間社会では安楽死、尊厳死という考えにはまだいたっていません。それは悪用されると言う恐れがあるからで、そこには人類としての倫理的進化の要があるわけです。

 あるいは社会的に子供を立派に育て上げる環境の整備が必要なわけです。そうすれば、歪んだ脳のために自他ともに苦しむことはなくなり易いでしょう。

 つまり、いわゆるトラウマと言う影響で、本人があくまでもたとえば母親を憎んでいると、母親は救いの手をさしのべたくてもそれが届かない、本人はますます悪循環の中にまきこまれるのです。


これは生きている人間の側でなんとか知識を理解し、克服する方法を開発し学んで欲しい部分です。

 自然災害、交通事故、殺傷、犯罪、火災、水難、紛争、戦争、飢餓、病気、悪意、いじめ、家庭内暴力、因習、カルト災害、詐欺、破産、解雇、心的障害、受験失敗、就職難、離婚、孤児、自殺、すべての苦のなかでも、地球の及ぼす災害である地震と火山爆発、洪水、竜巻など、あるいは隕石落下という天災については、わたしらにとっても余りに深遠な遠大な因果律の組み合わせが必要なため、たとえばアフリカに生まれたことが往々にしていろいろな苦の原因にぶちあたる、という事実になんらかのおおざっぱな関連を仮定することが出来るというのがせいぜいのことなのであります。


 ですから、かなりの度合いでこの種の災害の被害はランダムである、といえるでしょう。

 ただ、その結果が重要なのです。生まれたことがランダムであるともいえることからも推測できるように、問題は苦の結果ないしはそれに対する対応なのであります。

 ひとつは、生き延びた人は負のスパイラルに巻き込まれない、という自覚をもってほしいし、もうひとつは、死んでしまった人は自由を得て、愛する人を守護する尊い風のひとつになったのであり、そういう自覚をもつことが理想なのです。

地上にある人々の深いところにこの智恵がみつかったとき、地上ですでに極楽になることもあながち不可能ではないと思うのです。





   『愛のたとえ』


 風が家中を自由に通り抜けるように、四方の窓を開け放つのが保美の日課である。雨の日には降り込む方向を考えて、それでも少しだけ開けておく。冬もともすればどこか開けておくので、夫の高次は寒がるのだが、彼はパソコン修理の電話依頼の仕事を請け負っているので不在時間が長い。

 そして夜は絶対にシンガーソングライターの本業に時間を割く。彼の歌は流行りに逆らっているので勿論ながらライブをしても持ち出しとなる。


 子供はいない。育てる暇と金が無い。保美も横浜有数の高級ブティックの雇われ店長なので、多忙は半端ではないのだ。その割には給料が少ない。


 ここで妻として世間的な考えに毒され、夫を責めるような保美ではない。彼女は音楽を食べて生きている夫をこよなく愛しく思っている。得がたい宝物のように。

 それゆえに保美は高次に喜んでもらうために最高のプレゼントをする。彼を喜ばせることが保美の本能であるかのようだった。彼女は喜んでプレゼントした。


「じゃ、今夜もこの体をプレゼントするわよ、あまり時間無いけど」

「うれしいな、有難くいただくよ、どんなものかな」

「高次がしたいように吸い尽くして頂戴、保美の体は、これは高次のものよ、あなただけの」

「三十分かな」

「ああ、いそがなくっちゃ」

「いそがなくっちゃ」


 最初にこんなことが始まったとき、保美の体は高次を知らないまま、ただ彼に向かって全開して捧げ切られていた。彼も経験があるわけではなく、ただ体の線にそって撫で回し、その柔らかいしっとりした感覚に賛嘆の声をあげた。


「すてきだね、まるで、まるで。ああ、たとえようもない感じだ」

 保美は高次が喜んでいるので、満足して微笑んだ。自分の体で喜んでいる高次を見て感じてその近さが幸せだった。保美は高次の体のすべてが好きだった。すると

「僕も保美にあげるよ」

「ナニを?」

「僕のすべてを、好きだって言ったよね」

「ぜんぶ好きよ」

「じゃ、触っていいよ、保美へあげる体に」

 保美は肩をさわり、筋肉の付いた腕を撫でた。その硬さは今まで知らない人間の体である。


 そのうちに、どうしてそうなったのか、保美に突然、異変が起こった。すでにオーガズムへ向かう途上にあった。道は確かで、安心して辿っていく。

 期待を裏切らない、期待以上の山の頂があった、しかしもう次の峰が待っていて、もう一段高い長い頂上があった。しかしまだその奥にも山がそびえているのがわかった、息を吸う間もないほどにそこに吸い上げられて登った。

 そこは余りに高く長いので、保美の息が続かなくなり、彼女は泣き声をあげた。高次が動きをゆるめた。長い下り坂だった。


「どうして、どうなったから?」


 保美がかすれた囁き声で尋ねた。高次がまだ大きな息をしながらだまっているので、続けて尋ねた。

「プレゼントとてもすごかったわ、私が歓びの贈り物しようと思っていたのに。高次は嬉しかったの、喜んでくれた?」

「うん、素晴らしかった。僕のプレゼントを君も喜んでくれたからなおさらね」


 お互いが気に入ったプレゼントを、プレゼントと言う行為や気持ちによって達成したのだ。それがふたりの日常であった。恋愛と性欲がなんの罪悪感や利己主義も無く、ささげる気持ちで合致していた。


(鹿児島の奥のほうにある、昔、日置とよばれていた地域、ここには歴史上、なかなか傑出した人物が生まれていて、薩摩一国ならず日本全土を視野に入れた志を抱くものがおおく、おたがいの連帯信頼協力関係は、わたしらの次元においても強く残っております。とはいえ、ささやかな影響を与えうるにすぎませんが。


 最近よくしられているところでは、徳川末期の十三代将軍家定に嫁いだ天真爛漫、恐れというものを知らぬ女性がおります。

 出自は日置なのです。この出来事はまったくうまく行った事例と申せましょう。彼女は精神を病んだといわれている夫をもよく理解し、徳川慶喜にも影響を与え明治維新へできるだけ被害を少ない方法を取ることに寄与したのですが、子供を生むことがありませんでした。


 この日置グループの願いはなになのか、それは重要なポストの家系に日置出身の女性を送り込み、彼らの善き意図を彼女を通じてその周囲に実現させようというものであるようです。


 その後もおなじ導きを成功させ、ほとんど第二次世界大戦の終結を早めるというところまで影響を与えたこともありましたが、女性なので自ら表舞台で働くことができないのです。

 なぜいつも女性なのかについても、その地域特有の男女問題の因縁があったことは確かです。小さな地域のことなので人材に事欠いたこともありましょう。ひとり久しぶりに陸軍の将校になった男がいました。


 終戦時に、中国に残ることになる軍人の家族をもろともに殺させるという上層部に対して逆らって反対を表明し、一大隊の家族を生還させました。この家族の中に偶然にも、偶然とはいえないでしょうが、日置出身の女の子がおりました。


 わたしらはこの子を育て、教養もつけさせようと図りました。しかし何らかの別の意図が働き、十全の結果とはならず、この日置グループの一致団結にもかかわらず、彼女が嫁いだのは長州の旧藩主の血を引く、落ちぶれた一族でありました。


 夫婦共に、育った環境には共通点があり、つまりこの場合、甘やかされたこと、どちらも無口になったという点なのですが、これが結構悪い結果を導きがちなのです。夫の高志は頭が良くまじめなところもあるのはよしとして、何よりも男前なのが仇になりました。妻となった勝子がただの面食いとう性質だけから高志に惚れたのです。

 勝子は人間としての夫を理解することができないのに、自分のことは人間として扱って欲しがり、自己中心的でした。

 高志は勝子を家事育児の役をする女体とだけしかみなすことができませんでした。そして自分の欲望のみを感じたのです。それ以上のことには思い至りませんでした。勿論チャンスはありました)


 


   『後一歩の愛のたとえ』


 高志と勝子の気持ちが最も高まっていたころ、近場の丘でデートすることになった。そこで少しキスしたりして、山すそまで下りてきたときとつぜんの雨になった。

 夕闇も急に深くなり、古い寺院の茶室のような裏壁にたどり着いた。中にはいることは出来ないため、屋根の下で雨を避けて、しっかりと抱き合った。はじめての全身での抱擁だった。

 耳には雨の軒を叩く音しか聞こえない、暗闇の中でふたりはひしとお互いを感じて立っていた。硬いものが勝子の下腹に触れたがいやな感じはまったくしなかった。これが異性なのだと異なることが嬉しかった。高志の手が柔らかく勝子の股間を押した。

 

 いつのまにか勝子は太いため息をついていた。どこからくるのかわからない快い感動が高志の動かす手のひらから全身にまでひろがる、それは一押しごとに強くなる。どこまで行くのかわからないほどだった。


 雨の中に勝子のため息ともつかぬ声が響くようになったとき、高志は勝子の手を導き、自分を握らせようとした、が、勝子にはそれすらできなかったのだ。もう体が崩れ落ちそうだった。

  高志はすばやく自分で終えた。そして勝子から手を離した。勝子はすべてが消えるのを感じた。

 帰ってから濡れた服を脱いだ勝子は、三箇所丸いしみがスカート下にあるのをみつけた。高志と関係があるのだと思って満足した。


 それから数年して、結婚し子供が生まれたとき、性行為ができないときでも勝子は高志に歓びを感じてほしくて、手を尽くして愛撫した。そのことを高志もよく記憶していたが、その意味をお互いにしっかり悟ることに失敗した。


無口な二人は感動してもおたがいに告げなかった。


(何か社会に貢献できなくても、個人的な小さな生活の中に完結した人生であれば、わたしらもそれはそれでよし、と幸せな人間が増えて安心するものです。どうしても何かを達成させようと強いるわけではありません。

 それどころか、なにかの拍子に大成功をおさめることにでもなると、羨む心情に影響されて、まるで取引でもあったかのように悲惨な最期を遂げることも多々あります。

  社会的に成功できたから自身の功績であると思うのは間違いであり、逆に成功しなかったから自分は能力が無いと卑下するのも本当ではありません。


 そうそう、少し混同したようです。流れと関係の無いことを喋ってしまいました。本題に戻ると、この高志と勝子夫婦ですが、日本が敗戦から次第に身を起こし、希望をもって日々復興していたころの両親のもとでふたりとも普通に愛を受けて、余り挫折することも無く呑気に善を信じて生きてきた人間でした。

その意味では決して不運を背負ってきたわけではありませんし、まじめな、しかし芯の無い二人なのでした。良くも悪くも、敗戦によって古い文化がじわじわと根底から変化していく中で育った根無し草の一種です。


 しかしまだ何かを信じて希望していた時代だったでしょう。それが果たされたかのような経済的大躍進と、その素早い衰退、それための失望感は国全体を覆いました。もう何を信じたらいいのかわからない時代が来たのです。


 わたしらが、こうなる未来を知らなかったはずはありませんが、より大きな考慮の元に、その小さな一部として、とりあえずは例の日置グループ担当の小さな後押しで、二人を結びつける手助けをしていました。勝子が日置出身の上昇気性

の強い女であり、喜んでその気になるようにと選ばれた家柄がこの没落はしていても元藩主の一家だったのです。

 そうです。先に登場させた高次はかれらの息子です。およそ人の気性はその親の遺伝子とその後の環境によって形作られるものですが、そこにわたしらが手を加えようとするかといえば、ノウでもありイエスでもあります。


偶然に対し恣意的にはたらきかけることはさすがに特別な次元グループにしかできませんし、またたいていのものは物理や化学、生物学的な法則に則っています。

 性格形成の時期に、そこに関係している両親などの性格、彼らへの影響勢力を加味するとかなりの情報処理能力が要求されます。わたしらはその能力をえていますが、意図の拮抗関係もありますので、結果として現れてくる性格心情は総合的判断のなすもの、というわけです。


 しかしわたしらが常にできるかぎりの幸福を子孫に願ってそうするものであることは絶対に信じてもらっていいのです。そして安心して、自分という存在をなだめてやってほしいのです。

 悲しみのどん底にあっても、それは意味あるものであり、克服しもっと深い人間になるための善き配慮であると納得してほしい、決して悲運に押し倒されないでほしいのです。

安心し、信じること、それがプラスのスパイラルの根本なのですから)





   『早世の愛のたとえ』


愛する人を亡くした悲嘆を考える会、そんな小さな記事をみかけるたびに山野純子は電話番号をじっと見詰める。いつのころからか、そこにインターネットのサイトアドレスが記されるようになっていくのもじっと見詰めていた。


 二歳の里美を残して夫が癌でなくなるのに時間はあまりに短かった。前の恋人との辛い関係から救ってくれた、愛して止まない夫孝彦であった。早く別れるからあんなにも愛が強かったのか。

 純子は里美の笑顔に救われていたし、力づけられてもいた。里美は孝彦に良く似ていた。孝彦を育てているようだった。それで生きていたと思う。


 里美が大学生になったとき、いまさらと思いながらも純子はサイトを開いてみた。里美に相談すると、やってみたら、操作は教えたげるからと孝彦のように言った。


 事例によりいくつかの窓ができている。パートナーを亡くした、というところをクリックする。そこには、最近配偶者を亡くしたという若い人、老いた人らの悲しみが書き連ねてあり、同じ思いの人の言葉や励ましの言葉が、ついている。封じていたわけではないが、涙があらためて溢れた。純子のようにもう十五年以上もたっているのは稀であった。ある投稿に目が留まった。


 「夫はまだ26歳でした。死にたくない、別れたくないと一日中言い続けました。私も死なないで、別れたくないと一日中言い続けました。そんな日もそれほど長くはなかったかもしれません。それほど癌の進行は早かったのです。

ある日、夫は意識を失いました。半日ほどでまた戻ってきて、その後はそれほど絶望的ではなく、眸がもうこの世に人のようではありませんでした。私だけが死なないで、別れるのはいやと泣いて泣いて息もとまりそうでした。

おまけに妊娠がわかったのでした。夫はそれを知っていたかのように、頷いて、私の頭を撫でてまた頷きました。大丈夫、もう僕は覚悟したよ、仕方ない、君にもう触れることが出来ないけど、いつも君の幸せを祈る存在であるだろうよ。私はいやいやとしがみついて号泣しました。いいわ、私も死ぬからと叫びました。

夜少し遅く彼が帰ってくるだけで、もしこのまま会えなかったらどうしようとパニックになりそうな私だったのです。堪えられるとは思えませんでした。夫はただ私を抱きとめていてくれました。その耳に大丈夫、安心して、護っているから、君も赤ちゃんも、夫は囁きました。

それがとても頭の中に響きました。その翌々日に昏睡が訪れ、一日して次第に息がなくなりました。頭の中で彼の声がずっと響いていました。」


 それは純子の経験と重なるものであった。こんなことあるんだわ、と自分の悲しみが一般化されるのを感じた。自殺で遺族になった家族、自動車事故で失った家族、と純子は窓を少しずつのぞいて歩いた。

 悲しみにうちひしがれた声、同感し慰める声、そしてどうしても護ってくれているように思えるという声、その三種類があった。


 純子は、孝彦が護っているから、と一度だけ言った言葉を絶対的に信じた。信じることの出来る夫であった。なにかあるたびに、ああ、あの人が護ってくれたと思って、やっぱりと確信してきた。


 娘の里美の耳がなんと片方難聴になってしまったときも、もうひとつがあるのはよかった、と自分を励ました。すると里美には別の能力が現れた。言葉に色がついて見えるというのだった。その色を描くことは喜びになったようだった。そんなこともしながら、里美は薬学部に通い、自立した女性になると決意してもいた。


 喪ってしまった幼児、胎児に対してまでそんな護ってくれるという感じを抱いている人も多かった。いつの間にか、悲嘆の克服法としてエンゼルマークの窓まで増えていた。そこのサイトの自死遺族の窓は、一応遺族以外はお断りしています、と書き添えてあったがあるとき、純子はボタンを押し間違えてしまった。


 様子が違うのでおや、と思ったが別に変わりは無かった。それで記事を読んでいった。

 ちょうど昨日付けの新着記事があった。それはもう十数年前に若くして息子を失った母親であった。そこに慰めを求めているというより、慰めを与えるためにそこに顔を出しているように見えた。


 彼女の助言や励ましはエンゼルマークの窓にふさわしいような感じだった。特に自殺の場合、かえって差別されたり冷たい視線をあびて告白しない人が多いのらしかった。罪の意識も家族は持つのである。

「でもね、たとえ欝になったことが原因であってもそれは普通の病気の一種なのですし、その他の肉体的な病気で苦しむのと同じだと思いますよ。そして肝心なことは、個人が苦しんだ分、悲しんだ分、その人たちは護りの力が強くなる、きっと護ってくれていると自分に言い聞かせることなんです。

 わたしたちは喪失を悲しんでいい、悲しまないことなんか出来ない、でもねでもね、あの子達の護る意思に対して真正面から受け止め、ありがとうよろしくお願いします、いつも有難うってそしてチーンて鳴らすんです。可哀想にと思いつつも、あの子たちの雄雄しい決意と自己犠牲の勇気を褒め称えてあげるんです」

 

 その女性は、はたしてエンゼルマークの窓でも見つかった。


「夢を見たんです。安定剤を使用するようになって以来、夢はもう見ない、と知っていました。でも息子の夢を見たんです。白昼夢だったかもしれません。


 大満月の宵がた、彼の月命日らしく、星の光を圧する黄金の望月は、彼岸と此岸との接点の薄蒼い幕にあけられたのぞき穴のようでした。愛され惜しまれ懐かしまれる非存在たちの情がそこに集約されてそれであんなに煌々と灯っているのらしい。

 月の軌道は楕円形なので、しかも地球の赤道に対しアミダがけになっていて、軌道の最も高い位置でかろうじて太陽光を全面にうけるのらしい。それが人類に与えられた僥倖としての望月の姿。

 しかもその宵は、楕円の最も地球に近くに接している場所なので大満月なのらしい。

みっくん、どうしてる? 言わずもがなの語りかけ。


 あ、飛行機が飛んできた。最終便の成田発なのか、やけに白々、きらめいて宝石のような。

 あ、ひょっとしてETのように?

 あ、あっ、ほんとに月に当たる!

 機体は本当に、映画ETの中の自転車ではないがそのごとく、金色の大円盤を影として通りゆく!

 しかもそれでもきらきらと輝きながら。

 君もあんなふうに天翔けていったのね。


 誰でもこの世を去るけれども、自らの理想に適わない生ならば生きるに値せずと決定する。それは普通は許されない、実行するにはその方法しかない。


 逃げたのではないよ、これは僕の自由意志だからね。

 みっくん、わかってるよ、尊厳死と呼ぶべきだっていうんでしょ。非存在になればお母さんを護ることができる、それがもうひとつの結果なのね? そうなの、みっくん?


 影でありながらきらきら輝きながら飛行機の形は通り過ぎていき、消えてしまった。

 私はそんな夢を見たように思います。そしてそれを固く信じることが出来るように思います。それが彼を支えることだと思われました。彼が私や係累を守護するのと同様に。」


 (山野純子は知る由もありませんが、そのサイトの人物とは彼女の古い友人麻子 クルトであったかもしれません。

 あるいは似たような縁の人物であったかもしれません。お互いに知らずに、あなたらだってすでにこの地上で助け合おうとしているのです、きっと)




    『富士玲子と飯島徹』



 月日は全人類と全生物の生死を運ぶ地球のうえに流れていった。

 真空でありながら、サイズの異なる物質の飛び交う大空間の中を、地球の属する銀河系も大回転しつつ移動していった。

 そのひとつの腕のかなり外側の太陽系も自転公転を幾重にも積もらせながらそれごとまた銀河系と共に疾走回転して、いずこへか進んでいった。

 地球の衛星はほんの少しずつ遠ざかりながら、斜めの自転軸をもつ地球にたいして自らの傾きを持った軌道を公転していた。つねに地球に同じ面をむけながら二十八日ほどで一周を終えた。

 その間に地球は二十八回自転していた。月の自転は二十八日もかかってやっとくるりとターンが完了する。

 地球は三百六十五回も自転しながら公転を一度終える。一年が経つ。


 平成二十三年になるまでに宇宙のどこへと銀河系が進行したのか、一体何億トンの星屑を、つまり微粒子をそらから受け取ってきたのか、いくつの生命が形成されたのか、いくつの生命体の中に取り込まれ体の一部となったのか、飯島徹は息子とビールジョッキを前に、とりとめない思考を巡らせながら夜空を仰いでいた。


「パパ」

父親は優しい視線を有理に向けた。「ん?」

「引越し、何とか間に合いそうだね」

「ゆうりにも助けてもらったし、ママの分はもう何もないから一人分だしね」

「ママ、幸せみたいだよ」

「うん、良かったよ、彼は真剣だしね」

「やっぱりね、福島に転職してしまうのはここには居づらいってこともあるんでしょ」

「そりゃね、まあ向こうの研究施設がパパの専門に特化するという絶好の理由もあるし」

「僕は里美ちゃんとこのまま一生過ごす、来週婚姻届を出すから」


 親子して生物化学と物理化学を専門に研究する職を選んだのは、いかにも仲のよい二人らしかった。

 妻のニーナは日本語に堪能になり、近所付き合いもうまくこなしていたのだが、徹の静かな感情表出に飽き足らなくなっていった。徹の中にニーナとは違うイメージが生きていることにまで気づいてはいなかったし、実際徹にとってそのイメージは幻の破片のようなものにすぎなかった。


 昨年の秋に、ニーナが離婚を切り出した。再婚したい相手が隣人であるというのにはさすがに徹も仰天した。しかもその人物は医者の息子なのだが、長い間ひきこもりの生活をしていた詩人だという。収入が無いわけではなく生活はむしろ豊かであるようだったので、彼女が彼を心身ともに支えることに愛情と生きがいをもつのなら自分はそれを受け入れるべきだろうと考えることが出来た。


「パパ、大丈夫か。やっぱり気落ちしてるんじゃ?」

「ああ、大丈夫だ。ママと彼氏と二人分も幸せが増えるんだ。有理たちもそうなんだしね。パパには学問的な使命があるだけで充分だよ。それはそうと、里美ちゃん、つわりはどうだい」

「なんとかまだ仕事してるし、辞める気はまったくないよ。お母さんが近くに引っ越してくるっていうし」

「それは有難いな、なによりだ」

「高齢出産にちかいからね。孫ができるってどうさ」

「嬉しいよ。よくもそんな幸運に恵まれたなと思って」

 親子はかるくジョッキを合わせた。


 徹の意識の中に、愛しい人々、護りたい面影がいくつも浮かんだ。

 彼の心のそこにはいつも深い愛情があるのだが、それが利己的なものでないために所有慾にならなかっただけのことだ。ほとんどの人間が好きだった。ある人の欠点はわかっていてもその人が好きだという気持ちを感じるのだ。


「ママとは話したのか」

「うん、少しね。変な気持ち。でもママ、きらきらしていたな」

「そうだろう、幸せになって欲しい」

 有理を見送ってから、飯島徹は見るともなく隣人の家の窓の明かりを見た。ふと、自分がニーナではない女性を思い描いていることに気づいた。


 富士玲子との連絡方法はずっと持っていた。ときどきメールで時候の挨拶を交わし、おたがいに充実した活動をしていること、子供のことなど報告していた。

離婚のことはまだ書いていなかった。なんとなく、玲子が自由で縛られない、感情に真実の恋愛をしているように以前から感じていた。そうであってほしいとも思っていた。


 冬はしばしば日本に滞在している玲子に、徹は少し期待してメールをした。

案の定、ピアニスト兼指導者としてしばらく日本にいる旨の返事が来た。玲子の耳の問題はなんとか克服することができ、その悲劇がかえって人々をひきつけたらしく、そして実際にコンサートで聴いてみると、演奏に誰もが感動を受けるようになっていた。


 二月末に東京で小さな演奏会が開かれるということだったので、徹は引越し準備半ばの自宅から電車で会場にでかけた。

 富士玲子を遠くからでも見るのは、昔、ドイツ時代以来である。

 徹は花束を持っていった。カードに挨拶と携帯の番号も書いた。


 演奏は実に人を泣かせた。玲子が情感を過度に表現するからではなく、あまりの音の美しさのために感動して涙が流れるのだ。となりで泣いていた麻子クルトのことを思い出した。自分の感情も心底から溢れるような感じがした。帰りに、駅まできたとき携帯が鳴った。


 お互いが美しく歳をとったことを同時に二人は感じたのだった。老醜はなくそれは円熟であった。最後の輝きであった。

 時間がとれるとすぐに電話を掛け合った。すると会いたくなって、会うと話が止まらなくなり、この三十年近い年月のお互いの専門活動や家族のこと、友人のこと、とうとう話し明かしたこともあった。

 一緒に福島まででかけ、マンションを借りる手続きに玲子もつきあった。それから自然に手をつないで、歩いた。大学を辞め、心機一転して働くことになっている中程度の薬剤会社がもつ研究所も見せた。


「なんだか心の中が熱くてわくわくするんだよね、僕はあなたのこと好きになったのかも。昔から好きだったのかな」

「あたし、きっと徹さんのこと愛してる。昔からもうそれは始まっていたのよ。縁の無いものだと思って無視していたのね。でもこうして会った。そしたらもう止まらないわ」

「今はじめて会ったとしてもきっと好きになったよ」

「そうだわ、今はじめて会っても愛したわ」


 何のためらいもなく、あるとすれば明日の仕事の予定に関してだけだったが、翌日の昼過ぎに新幹線で帰京することにして、ふたりは自然にホテルに入った。

 夢のような時間が過ぎた。食事をし、少しシャンパンもたのんでまるで映画のなかのシーンのようである。すれ違う人がなんとなく二人を見返る。それすら楽しかった。


 部屋に入ると、すぐに愛し合った。ろくに服も脱がないままひとつになることに夢中だった。それのみを願っている心身があった。ひとつになってから数分のうちに激しく上り詰めた。花火とともに空を舞っているような歓びをふたりとも味わった。と、そのあと告白しあった。


「まあ、服を着たままだわ」

「それも珍しいね、これからゆっくりしよう、バスルームを準備するよ」

 五十歳になったばかりの玲子は彫像のように完璧で美しい体のままである。年上の徹も長年テニスや陸上と縁が切れなかったので、鍛えられた肉体を保っていた。


バスタブで、ベッドで、夜景を窓から見ながら、二人は静かにあるいは情熱的にお互いを愛し合った。玲子はそのままで何度も達して声をあげた。徹はそれを感じるだけで射精も無いのに至福の感覚を味わった。まさにそれが脳の技であるのだと思いながら。




   『仮の別れ』


 三月は多忙である。その後なかなか会えなかった。退職と転居、就職、ひとりで荷物を造り全ての手はずを整えるのはなかなかの仕事である。玲子もいろいろな予定が詰ってきていた。


 三月九日に徹は荷物を運送業者に渡した。といっても三月末までしばらく戻ってきて最後の始末をつけなければならないため、身の回りのものと、使い捨てにするつもりのものは残してある。


 三月十日に東北新幹線で福島まで行った。マンションに荷物がくるのは翌日だったが、そこに寝ることはまだできないので、その夜は近くのホテルに宿泊した。


 玲子に電話してみると、これから南のほうに向かうという。故郷に数日滞在し、関西空港に息子のカルルを迎えに行き、一緒にコンサートの旅に出るので、その後三人で福島か東京で会うようにすることにして電話を切った。


 朝一番にマンションの鍵を開けに行く。まもなくトラックがついた。嵐のように段ボール箱が運び込まれ、あらかじめ決めておいた部屋へ番号どおりに積まれていく。荷物は自分であけると言ってあるので、昼過ぎにはすべての搬入が終わる。


 次に電気、ガス、水道の家具との接続などが行われるべく、業者の来る予定がつぎつぎと進んでいくはずであった。



 大きな衝撃がマンションの五階の部屋に轟く。徹は部屋中を揺さぶられて転がる。そうしながら玲子がいなくてよかったと思う。長い揺れである。次に方向の違う揺れに変わる。

 箱のままなのでかえってよかったと思うほど振り回される。やっと外に出たほうがいいかもと気づく。そうすべきではなかったかもしれない。どちらでも同じなのかもしれない。

 階段を下りるときはやや静まっている。これで済んでくれるだろうかと思う。


 そのマンションがもっとも海に近く、背後には新興住宅地帯が広がっている。

近くの木造の古い住宅は軒並み半壊状態になっている。泣き叫ぶ声があちこちから聞こえる。徹はあたりを見回す。とりあえず走っていって声の主を探そうとする。


 玄関からでかかったまま挟まれている女性がいる。徹が彼女を引き出す。まだ誰がいるか、と尋ねる。

 背後から轟音が聞こえる。恐ろしく寒い。女性が恐怖に顔をひきつらせる。徹は彼女を慰めようとする。


 そのとき轟音が徹を叩いた。信じられない、と思うほどの衝撃と冷たさ、一瞬にして徹の意識が失われる。


(飯島徹がこうして現世での生を終えたことを悲しみ惜しむ人はたくさんいたのですが、この場合、彼はなすべきことを達成していたという意味にとっていただきたいとわたしらは思うのでありますよ。

 一生において自分の為したことの清算をしないわけにはいきません。

 飯島徹がその優しさゆえにたとえばニーナを受け入れたことは、結果として彼女を苦しめたわけです。しかしもし気持ちを受け入れてもらえず押しのけられてもニーナには辛いことだったでしょう。

 そうするとどちらの行為にたいして、大げさに言うと、憎しみを感じるかは人の尺度によるわけです。ニーナの係累にこのことで徹にマイナスのイメージを抱いたひとはいたことでしょう。その力が強い場合、徹の身に事件が起こりえます。


 これを防げなかった場合、徹の係累がその死をおだやかなものとし、意味を与え、心残りがないように手配することでしょう。

 飯島徹はやがてわたしらのなかにもどってきます。どちらが古巣なのか、それは問題ですが。彼の係累の現世の人々や、愛した人々、たくさんの人を彼は世話することになるでしょう。


 富士玲子はまだ実際に多くの人に感動を与えねばなりません。

 麻子クルトはまだ自分を掘り下げねばなりません。

 山野純子は孝彦の忘れ形見である里美の、有理との理想の人生の手助けをする必要があります。


次第にわかってもらえたでしょうか、わたしらのあなたらへの願いがどんなものであるのか。


 物質の存在はけっして消滅しない、かすかな因果律、思いの余波によって網のように波のようにつむがれていること、ひとつの思いに護られ、一瞬の思いが護り、よりよきものとなると願いそう信じて、つまりはあなたらの身の金剛不壊であることを莞爾として信じる、につきるのであります。

 事実かって?

 明るく信じる思いそのものこそ善い事実そのものなのです)

           

         この項 了



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