3-2(カシムとの話)
「こんにちは、ルーク」
そう言って優雅に微笑んだ青年は、少なくとも表面上はこの上なく上機嫌に見えた。きちんとアイロンがかけられた涼しげな白いリネンのシャツが、ちょっと嫌味なくらい彼の若々しさと爽やかさを引き立てていて、手の中の本さえ計算されたアイテムかと疑うくらい太陽の光と整備された芝生が似合っている。
シンプルなベンチに座って笑顔を輝かせる青年に、ぼくは大人げなく顔を引きつらせた。
「……やあ、カシム。お元気そうでなりより。大学のキャンパスが、世界の誰より似合っているよ」
「何を言って……まさか待ち合わせ場所を大学内にしたことを、まだ根に持ってるんですか?」
爽やかな笑顔を呆れ顔へと変えた青年に向かって、ぼくはじっとりと目を細める。
「未知の世界にぼくを一人で来させるなんて、ひどいやつだ」
「たかが大学を訪ねるくらい、何が問題なんです。別に魔物の巣窟に呼び出しわたけでもないのに」
そう言って、場違いな空間に身を置く恐怖を知らない青年が不思議そうに肩を竦める。全く、なんてにくたらしい。
ぼく達のそばを、二人組の学生が夢中になって何かを話し込みながら通り過ぎた。木々の平和なざわめきを遮るように、あちらこちらから若者達の笑い声が聞こえてくる。
その楽しげな声に、ぼくは暗たんとしたため息をついた。
「……モンスターでも眺めてた方が百倍マシだ」
「魔王城へ連れていかれるよりかはマシでしょう」
「今まさに、魔王城のエントランスで受付させられている気分なんだけど」
「なるほど、記名順に名前を呼ばれるシステムの魔王城だと――というか、いったいあなたの目に大学はどう写っているんです?!」
言いながら、現役大学生がベンチから立ち上がった。少しも荒々しいところがないのに、きっとこいつには敵わないと皮膚感覚で理解させられるような、不穏で優雅な身のこなし。
青年の褐色の腕を軽く小突き、ぼくは肩を竦めた。
「さあ、とっととぼくを先導してくれ、勇者どの。早いとこ魔王に謁見して、はじまりの村に帰りたい」
「言ってることが、むちゃくちゃですよ……」
ぶつぶつ言いつつも、カシムは素直にぼくを先導して歩き始めた。
うっかり了承してしまったアランについての調査のために、ぼくは生前の彼が通っていたクイーンズランド工科大学を訪れていた。記念すべきぼくと大学生四人組との初対面から、約一週間が経とうとしていた。この頑固な青年持つ何かがそうさせるのか、それとも一瞬のこととはいえ本音を交わしあったからか――いや、単に大学という場所に慣れている人間がいてくれる心強さからだろう。ぼくは自分でも不思議なくらい、ほぼ初対面のカシムの隣で安堵を覚える。
まだまだ日差しが痛い昼下がりのキャンパスは、目に映るすべてのものが光をはらんでいるようだった。掃き清められた石畳の小道も古びたれんが造りの建物も、インテリアデザインを生業にするぼくには特に目新しくもなんともない。それなのに一体どうしてだか、目の前をうろうろする人々に自分がなじめている気がしなかった。まっとうで、賢くて、可能性に満ちた人たちの群れ。身に付けたライトグレーの襟つきシャツが、少しでもぼくを擬態してくれたらいいのだけれど。
TPOを考え抜いて選んだスニーカーで青年に追いつき、ぼくはにこりと彼に笑いかけた。
「……いいか、こんなところに呼び出したからには、絶対にぼくを一人にするなよ」
「わかりましたよ。手でもつなぎましょうか」
「ホントにやるぞ、このやろう」
そう威嚇して、ぼくはうやうやしく差し出されたカシムの手のひらを、ぱちんと叩いた。
「それで、今日はあの三人にアランの話を聞くんだよね。ええと、クロエと――」
「ヴィクトールとイーサンです」
「あ、そうそう。その三人だ」
名前と共に脳裏に浮かんだ三人の姿に、ぼくは頷いた。すらりとしなやかな長身のお嬢さんと、二人の赤毛の青年。ひょろっとした早口のヴィクトールとがっしりとした寡黙なイーサンは、アランの話では赤毛同盟という名の謎の組織を結成しているとのことだった。
「その三人とは、どこで話をするんだい? カフェでもいいけれど、五人が落ち着いて話をするのは、ちょっとばかり難しいと思うよ」
「ああ、その話もしようと思っていたんですよ」
青年がそう言って、目についた建物内のカフェにぼくを誘った。鉄筋とガラスでデザインされた外観の、近代的な建造物。その一階に位置するカフェは、ごくありふれた簡易的なもので、スタイリッシュとは真逆の印象だった。モニター越しに何かを議論する学生たちも、テーブルいっぱいに広げた資料を読み込んでいる教授らしき人も、コーヒーとマフィンを流し込むスペースにデザイン性など求めてはいないのだろう。
硬くて座り心地の悪い椅子に腰を落ち着けて、赤いカップを手に取った。手頃な値段の紅茶、味も相応だ。
居心地悪くお尻をもぞもぞさせるぼくに向かって、ブレンドとサンドイッチをテーブルに配置した青年が口を開く。
「クロエとイーサンの話は、彼らの研究棟にある会議室を借りて聞くことができるようです。イーサンは学部が違うので、空き教室で話をすることになりました」
「イーサンとは別々に話すんだ?」
「というか、ひとりずつ、それぞれに話を聞きます」
「ひとりずつ? いったいなんだってそんな面倒なことを」
やや呆れを含んだ響きに鼻じろむ様子もなく、カシムがサンドイッチにかぶりつく。
「それぞれに話を聞くメリットの方が大きいと思ったので」
「はあ、メリット」
「まず、ひとりずつ話を聞くことで、他の友人たちがいたらできない話が聞けるかもしれない」
こいつ、まさか事情聴取でも始めるつもりか?
「それから、アランについての雑談が始まって、聞きたいことが聞けなくなる事態を避ける意図もあります。わたし達は急ごしらえのチームですから。場の状況を管理できなくなるリスクを避けたくて」
「チームね……いやそれよりも、カシム。君は彼らに聞きたいことがはっきりしているんだな。ぼくはアランの生前の様子を、彼らの雑談を通して知るくらいのつもりでいたんだけど」
カシムがほんの微かに身を引いてブルーアイズを泳がせた。青年の反応に、ぼくは思わず眉を寄せる。
「ちょっと待った、君はいったい、アランの友人からどんな話を引っ張ろうとしているんだ?」言いながら、彼が身を引いた分だけテーブルに身を乗り出した。「まさかとは思うけれど、犯人探しをするつもりじゃないだろうな」
「まさか!」青年が慌てたように首を横に振る。「それがわたしたちの仕事だとは思っていません」
「アランを殺した犯人が、彼らの中にいるとも思っていないよね?」
ぼくの言葉に、とんでもないと言いたげにカシムが更にぶんぶんと首を振る。青年の青い目を覗き込みながら、ぼくは続けた。
「――ってことはさ。君はアランの傷について調べて回るつもりだな」
青年が首を後ろに倒しながら目をつむる。観念したようにも、どう説明するか考えているようにも見える。どちらにせよ、肯定だ。ぼくは今度こそ呆れをたっぷり声に含ませて、口を開いた。
「暴行傷害だって、警察の仕事だよ! そもそも、君がアランの傷に気がついたのは、高校の時だろ? 彼らは大学からの友人だから、彼の傷には無関係じゃないか」
「分かっています。本当に、犯人を探すつもりはないんです。彼を殺した人間も、彼を痛めつけた人間も――ラザーの業火に未来永劫焼かれてしまえとは思うけど」
青年から漏れ出た吐き捨てるような激しい言葉に、ぼくは反射的に口を閉ざしてしまう。びっくりと目を見開くぼくに向かって、カシムが続ける。
「暴行がまだ続いていたのか、それとなく探るだけです」
その低い声はいつもの十分に抑制がきいた響きで、ぼくは遅ればせながらここが公共の場だということを思い出した。手をキーボードの上でうろうろさせながらこちらを気にする、東アジア系の青年と目が合いそうになった。その好奇心に満ち溢れた表情に、ぼくは慌てて肩を寄せる。ざわざわした喧騒の中にあって、どうやらぼく達は、ぼくが思っていたよりも人目を惹いてしまったようだった。
カシムの方へと頭を近づけながら、ぼくもぼそぼそと言葉を返す。
「分かったよ。話を聞くのはひとりずつ、議題はアランの日常、君の狙いは彼への暴行が続いていたかどうか。ノー犯人探し。オーケー?」
ぼくの言葉に真剣な顔でうなずいて、カシムがクリスチャン・ポールのシンプルな腕時計に目を落とした。
「そろそろ時間です。出られますか?」
促されて、ぼくは慌てて手元のカップを空にした。いつの間にか、彼の皿とコップはきれいに空になっていた。そつのない立ち振る舞いの青年だが、この時ばかりは年相応の食欲を存分に発揮したみたいだ。
芝生に挟まれた小道をさらに奥へと進み、道の途中にあった立て看板で進むべき方向を確認しつつ、ぼく達は物理学の研究棟にたどり着いた。
「クロエとヴィクトールは、同じ物理学専攻でも分野が違うそうです」
広々としたエントランスを横切りながら、カシムが言う。
「クロエが天体物理学、ヴィクトールが素粒子物理学――マクロとミクロの世界ですね」
「あー、うん。なんかノーベル物理学賞の発表とかで聞いたことあるような」
適当な答えで話を濁しながら、ぼくは相槌を打った。彼らの研究内容なんて一ミリたりとも想像できなかったけれど、クロエがアランに宇宙の話をしていた理由だけは分かった気がした。
「そういえば、アランは何学部だったんだろう」
「ロボットですよ。確かロボット工学専攻だったはずです」
「ロボット?!」
いかにも厭世的な雰囲気を纏った青年の思いも寄らない研究対象に、ぼくは思わず声を上げた。飛び上がるほど意外なようでいて、同時にいかにもありそうだとも思えるから不思議だ。
目の前にはゆったりとした弧をえがく螺旋階段があった。この階段を登っていくアランと白い風船みたいなロボットを想像してにやりと笑い、ぼくはすぐにその笑顔をしゅんとしぼませる。
そんなぼくの様子に気がついたカシムが、そっとぼくの背中に手を当てた。
「階段を使いましょうか?」
「なんで」
「登りたそうに見えたので。螺旋階段がめずらしいのかな、と」
「ぼくはインテリアデザイナーだっての!」
失礼極まりない発言に噛みつくぼくに小さく笑い、青年はすぐにその笑いを薄めた。
「――アランも、この階段を上ったかもしれませんね」
「…………」
「まあ、彼の学部は違う棟のようだから、この階段は使ったことがない方にわたしは賭けますけれど」
「……そう」
短く返して、ぼくはずんずんとエントランスの奥へと進んだ。そして、ぎりぎり丁寧だと言える程度の力でエレベーターのボタンを押す。
「そうそう、会議室の間取り図が手に入ったので、席順も考えてきたんです」
ぼく達を迎えにきた無機質な箱に乗り込みながら、カシムがポケットからデバイスを取り出した。
「質的研究での取材方法として習ったんですが、取材を受ける側が集中しやすい座り方と言うのがありまして」
「君さ、実のところ彼らと雑談するつもりないだろ」
ぼくの言葉をかき消すように、エスカレーターの扉が静かに閉まった。それをいいことに、カシムはぼくの言葉をさらりと聞き流す。
「
「……まあ、いいけどね。そんなにうまくいくかな? 会議室に案内してくれるのは、クロエとヴィクトールだろ」
「席につくことをためらわなければ、大丈夫ですよ。はじめのインタビューはヴィクトールなので――」
言葉の途中でエレベーターの扉が開いた。その瞬間、二人揃って扉の外に視線が吸い寄せられる。
ドアの前をちょうど、オレンジがかった赤髪が通り過ぎていくところだった。自分に向けられた視線に気がついたその赤髪が振り返る。すぐにぼく達が誰だか気がついて「おや」と言いたげにかすかに眉を上げた。
「いいタイミングじゃないか。約束の時間より早いのに」
そう言って、赤髪の青年――ヴィクトールがその視線を前方に向ける。
「君の言った通りだったな、クロエ。ぼくは絶対に遅刻すると思ってたんだけど」
「自分の基準で人をはかるなって、いつも言ってるでしょ」
そう言って、隙のない黒のファッションにすらりとした身を包んだ女性が、愛らしいしぐさでぼく達に笑いかけた。
「ハイ、カシム、ルーク。ヴィックもあなた達と約束してるって聞いたから、様子を見にきちゃった」
彼女の言葉に、ぼくの隣でカシムが動揺のあまり、挨拶も忘れて硬直する。
その足を踏みつけながら、ぼくはヴィクトールと――もっと後の時間に約束をしているはずのクロエに向かって満面の笑顔を振りまく。
「やあ、今日は忙しいのに時間をくれてありがとう! また会えて嬉しいよ!」
固まりかけた空気を勢いで叩き割りつつ、ぼくは今からの時間に暗雲が立ち込めるのをひしひしと感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます