例え貴女と結ばれなくても

夏鬼

例え貴女と結ばれなくても

 某所。某日。

 連日による大雨がやっと収まったある日の事。とある街に住む少女ーー木郷真奈きさとまなは赤く腫はれてしまった目を瞬しばたかせながら、ベッドから這い出てきた。シャッと勢いよくカーテンを開けると久し振りの快晴で、朝の日差しが眩しい。

 しかし、真奈の気持ちは今朝の天気とは裏腹に昨日きのうまで続いていた大雨と同じくらいにブルーだった。窓から見える子供達の楽しそうに駆けていく様子やおばさん達の会話風景を見ていて 呑気のんきでそれでいて無性に腹立たしいとつい思ってしまう程に心は沈みきっていた。

 何故そこまで真奈の気持ちが落ち込んでしまっているのか、と尋ねられればその発端は彼女の幼馴染みにある、としか言えないだろう。その 件くだんの幼馴染みが何か別段本人が嫌がるような事をしたとか些細ささいな事で喧嘩した、とかでもない。ならなんなんだ、と問われれば行方不明になった、としか返すことは出来ないだろう。なんの前触れもなく、神隠しのように急に音信不通になってしまってから真奈はずっとこの調子でクラスメイト達からも心配されている。はぁっと大きく溜め息を吐いてしまうのはもうこの頃朝の日常となっている。

 真奈はふと自分の長年使用してきた勉強机に目を向ける。少しばかり乱雑に置かれたノートや教科書。コスメや彼氏とのプリクラ写真を貼ってある鏡。その近くに置かれている「My Best Friend」とペンで書かれた写真が写真立てに鎮座ちんざしている。それをそっと手にとり、じぃっと見つめていた。

 少しそれを手に取って暫くぼうっと眺めていた真奈だったが、それをそっと写真を伏せる形で元あった場所に戻した。


 ーー写真を見つめていても帰ってこない。


 真奈にとって幼馴染みーー赤崎琴美あかさきことみは大切な人だった。友達としてではなく、一人の女性として真奈は琴美の事を愛していた。

 近頃は「自由恋愛」で異性同士だけでなく、同性同士での恋愛も認められてきてはいる。

 しかしながら、やっとそうなったと言えど今の今まで異性同士が当たり前だったのに途端に同性同士もいいですよ〜、と言われたところで認識だとか世間が受け入れることが出来るのか、と言われれば難しいの一言に尽きてしまうのでは? と感じてしまう。寧ろそれを異常だ何だと囃はやし立てるものだからまだまだ完全とは言い難いのが現状だろう。まだ受け入れるのに後何年かは必要になるのではなかろうか。そう思う程には辛辣しんらつで不平等な世の中になったものだ。それでも好きあって付き合う男性や女性が増えつつあるのはいい傾向なのだろうけれども、理解をしてくれる人が一体何人いるのやら。

 閑話休題かんわきゅうだい。

 さて、話が脱線してしまいました。真奈が琴美に恋慕れんぼを抱いている、とまでは話しましたかね? え? 真奈には彼氏がいるだろう? えぇ、確かにおりますよ。真奈も世間の目や本人に嫌われたくないという思いから異性とお付き合いをしているのですけれども、それでも彼女が求めるのは琴美ただ一人だけ。そんな長年積もりに積もった、拗らせ続けた想い人が忽然と姿を消してしまった、となればどれだけのショックに苛さいなまれてしまったのかは想像もつかないことでしょう。でも三日三晩も泣き続けて腫れた目は充血も相まって見る人はとても痛々しい印象を受けてしまうでしょう。

 真奈が一人悲しみに耽ふけっているとコンコンとドアをノックする音に真奈は思考の海から浮上してどうかしたの、と尋ねた。その声は少しばかり苛立ちが含まれているようにも聞こえます。

「落ち着いて聞いて頂戴ね、真奈。

 今朝、お父さんが郵便受けに新聞を取りに行ったらね、あなた宛てに、手紙が送られてたの。琴美ちゃんから」

 思わず呆然と立ち尽くす。

 今、母はなんと言ったの? とでも言いたげな顔をしている。信じられない、そう思っているのが妥当なのだろうか。

「何、言ってるの? お母さん。

 真奈、今冗談なんて聞きたくないよ?」

 真奈の母は気さくで冗談を言うのが好きな人だ。

「本当よ。

 手紙、此処に置いておくからね?」

 そうとだけ言って、リビングへと降りていった。階段を降りる音が遠のいたのを確認して、真奈は恐る恐るドアを開けて、足元に視線を下げる。そこには『真奈へ』とその側には『琴美より』の文字。

 琴美は字を書く時にボールペンで書く癖がある。勿論シャーペンも持ってはいるが、ボールペンの方が書きやすいのだそうだ。

 その際に、書き始めにインクが溜まったような感じになってから書くというちょっと変わった癖を持っていた。

 描き始めの字の一角目は丸い跡が残っている。そして、こんな癖を持った知り合いは琴美以外に真奈にはいなかった。

 厚みのある便箋びんせんの封を机の上のペン立てから取り出し切っていく。

 便箋の中にあった手紙の束を全て取り出すと一番上に「遺書」と大きく書かれた二文字に真奈は目を疑った。いくら真奈の友人達から「天然」やら「ドジっ子」やらと言われていても、この二文字の意味が分からないわけがなかった。理解できなかったら良かったのに、と後悔したがこの先に琴美の事が何か分かるかもしれないと思い、そっと「遺書」の面を裏にして置いた。


 拝啓 木郷 真奈様


 これを貴女が読んでいる頃には私はもう何処にも存在していないでしょう。

 それでも、私のこの穢れた本当の想いだけでも貴女に伝えたいと思い、遺書にてそれを書き記すことにしました。

 貴女は覚えているでしょうか。

 初めて私達が会った時の事を。

 私を虐めから庇ってくれたことを。

 初めて喧嘩した時のことを。

 そのどれもが私にとってはとても大切な想い出です。

 貴女からしたらとても些細なことでしょうけれども、私にとっては確かに宝物でした。それと同時に憧れでもありました。私のヒーロー。いや、女の子だからヒロインかしら。当時の私にはとても輝いてみえました。しかし、その憧れはいつしか別の物に変わっていきました。恋慕へと。いっその事この想いを押し付けてしまおうかと何度も思いました。それを思うと同時に醜く、汚いこのドロドロとしたものに嫌気もさしていました。


 もしも、私達が出会わなければ。

 もしも、私が男子であったなら。

 もしも、貴女も同じ想いであったのなら。


 何度も思っては「もしもの可能性」はあるハズがないと自分を押し殺しました。幾つもの年がすぎる度に私のこの想いはどんどん膨らんでいき、いつか破裂してしまうのではと不安に思うほどに成長していきました。

 そして、私達が高校生になった後に貴女に恋人が出来ました。その嬉しそうに報告した貴女の言葉が頭の中でずっとただひたすらにグルグルと回っていました。

 誰が? 貴方が。

 誰と? 隣のクラスの男と。

 どうした? 付き合った。

 ただそれだけが頭の中を占領していました。

 好きな人が好きな人と付き合った。友人として、親友として祝うべきだろうと言い聞かせましたが、それでも受け入れたくありませんでした。だって、私を選んで欲しかったから。貴女は知っていますか? ハッピーエンドになった二人と、そうなる事が出来なかった人がいるということを。報告を受けたその後に私はその男子と貴女をどうしたら離れ離れにすることが出来るかと策を思案し続けていました。しかし、どうやっても貴女は私には振り向いてはくれないのだと思い知ってしまったのです。だって、あんなに楽しそうに、幸せそうにしていたらそんな気持ちも萎えんでしまったのです。

 でも、この想いはどうしようも出来ないほどに膨らみ、いつこの手を赤く染めてしまうかもわからない。そうなれば、貴女を悲しませてしまう。それだけは避けたかった。だから、私はこの道を選びました。

 貴女を悲しませるくらいならば、いっそ私は自らこの手で命を絶ちます。

 それも許されるのであれば、私の想いを聞いてください。


 愛してました。

 たとえ、死んだとしても永遠に私は貴女を愛し続けます。

 出来るのであれば、貴女に永遠を誓うのが私であれば良かったな。


 あら、そろそろおはようの時間かしら。時間が経つのは私達が歩くよりも余程早歩きなのですね。気持ち悪いでしょうか。それでもこの心に嘘偽りはありません。ひっそりと思いを告げずに生きればよかったのだろうけれども、それを選べば間違いなく私は過ちを犯してしまうでしょう。

 私の時間は後何時間もありません。

 今日いつも通り学校に通って、

 授業を受けて、

 そして放課後に姿を眩ませるつもりです。

 最後になりましたけれどちゃんと勉強もしなきゃよ? 私はもういないけど、怠けるのは程々にね? 恋人とちゃんと幸せになって。

 貴女のその先の未来に私はいないけど、私の分まで色んなこととか物とか見て。それじゃあ、さようなら。

 私の想い人。

 貴女の親友、琴美より。


 ーーなによ、これ。


 所々にインクの滲んだ後がちらほらとある。

 ーーそんなの聞いてないよ。

 途中からなんて書いてるのか読めないような箇所もあった。

 ーーこんなのって。

 それでも私はひたすらにその文を読んだ。

「酷いよ、琴美は」

 ポツリと呟かれた一言。ポトリポトリと目から涙が溢れてくる。ズビッと洟を鳴らす。

「私も、大好きだよ…ばかぁ」

 あぁ、琴美も私と一緒だったんだ。私も琴美もすれ違っていたんだ。どこからとかそんなの今はどうでもいい。時計の針が止まってしまえばいいのに。そして、巻き戻って私の想いも伝えることができたらいいのに……。

 それから後の事はあまり覚えていない。

 母から聞いただけなのだが、私は叫ぶように泣いていたらしく、そのまま泣き疲れて眠ってしまったのだと。それから暫くして、琴美の遺体が発見された。死後三日、四日経っている状態で発見されたと今朝母から告げららた。明日は琴美のお葬式をするのだと琴美の母から言われ、出席するとだけ伝えた。その後は学校には行かずに勉強机に数枚の便箋とペンを用意した。


 拝啓 赤崎 琴美


 やっほー琴美! 元気してる? 私はね、琴美のせいで目元ウサギさんみたいになっちゃってるよ! もー! 私がそっち行ったらうーんと怒るんだからね!

 まぁ、こんな茶番はちょっとポポーイってしてっと!

 遺書、読んだよ。琴美も辛かったんだね。

 あのね、琴美はさ、ずっと後悔して抑え込んで、苦しんで、諦めてたんだね。遺書読んで琴美の本音知ってから私もね色々と考えたんだよ? それに私だけ琴美の本音知ってるなんてフェアじゃないから私も教えるよ。私の本音。っていっても書き方っていうのかな?

 伝え方がちょっと分かんないし、文章もちゃんとなってないかもだけどそれでもちゃんと書くね!

 私もさ、琴美と会った日とか初めてお友達になった日とか親友って呼び合うようになった日とか全部覚えてるんだよ。だって、私も琴美の事が大切だったから。大事で傷付けたくなくて、嫌われたくなくて私も諦めちゃってたから。普通なら気持ち悪いとかって思われちゃうんでしょ? そんなの琴美に言われたら私耐えられないもん! 私がこういったの苦手なの琴美は知ってるでしょ? だからもう伝えちゃうね!

 私も琴美の事愛してるよ!

 友達としてじゃなくて、ちゃんと恋愛面として! だから、琴美がこれ読み終わったくらいに私もそっちに行くから待っててね!

 じゃあ、もう暫くそっちで待っててね!

 貴女の想い人、真奈より


 そこからの私の行動は早かった。


 クラスのみんなには私は暫く誰にも会いたくないとメールして彼氏にも連絡してこないで欲しいと伝えて速攻で電話を切った。

 そして次の日には琴美の母に伝えた通りに葬式に出席した。琴美は山の中にある木で首を吊ったのだと親戚か誰かの話を耳で拾った。その話を聞いて思い当たるのは霧がよく出ることで地元ではとても有名な山が脳裏を掠めた。葬式の途中で母に外の空気を吸いに行ってくると伝えて葬儀場を後にした。そこからはずっと走っていた。ちょっとだけ後ろめたい気持ちはあったけど、やっと琴美に会えると思えばそんなことどうでも良くなった。

 走って走って走って。

 何も考えないで風と一体化したようにただ一箇所だけを目指して走り続けた。

 どのくらい走り続けたのかは分からない。

 もう辺りは暗くなって夕日も沈みかけているのかぼんやりと少しだけ空が明るく見える。

 その例の山の麓近くで少しだけ輪郭を視認できるその場所を見上げた。

「待っててね、琴美」

 普段は不気味に見えるはずのこの山。

 それでもなぜか私は鼻歌混じりに道無き道を歩き始めていた。スキップするような足取りで進む。ピクニックにでもいくような軽さも感じる。それでもなぜか止まることをせずにふわりふわりと奥へ奥へとどんどん進んでいった。どこまで進んだのかも、今が何時なのかも分からない。深夜なのかもしれないし、そんなに奥に来てもいないのかもしれない。

 ピタリと不意に私は一本の木の前で私は足を止めた。

 ーここだ。

 なぜかそれだけが頭で考える事ができた。

 いや、考えるよりももう本能にも近い。

 察知したような動物的な何か。

 近くに恐らくは置いていったものなのか、ご丁寧にロープが近くに置いてあった。まるで用意されていたようにも思えるそれをなんの躊躇いもなく私はそれを手に取った。そして、初めてするのに輪っかをすいすいと作っていく。まるで作った事があるかのように。でも、私は作った事がない。それでも作業を進める手が止まる事はなくそれを難なく作り上げた。それを器用に木の枝に引っ掛けて首をその中に通した。針に糸を通すように。

「これにて喜劇の幕は降ろされました。

 それでは皆さん、また来世!」

 私は誰もいない中でそう言って勢いよく体重を掛けた。


 某日 某所


 異性も同性でも付き合うようになった時代。

 異性同士で付き合うのが当たり前という風習にも似た固定概念が薄れ、今となっては男同士、女同士が付き合うのも当たり前になっている。寧ろそれを否定する方がおかしいんじゃないのかと言われている。

「琴美ー! 待ってよー!」

「ふふっ、そんなに慌てなくても私はどこにも行かないわよ」

 ふわふわとした雰囲気を纏い、少しクルクルとカールさせている茶髪の女の子が黒い髪をサラサラと流した清楚系の女の子の元に小走りに走り寄っている。琴美と呼ばれたその女の子は凛としていながらもその茶髪の子に微笑みかけている。走り寄った女の子はへらりと笑って見せた。幸せそうに笑い合う彼女たちの指には銀色のリングが二人の左手の薬指に嵌められている。

「琴美、だーいすき!」

「私もよ。愛してるわ、真奈」

 チュッと触れるだけのキスを交わし合って、二人は帰路についた。

 離れることのないように、ピタリと寄り添いながら。

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