第29話

あの時から、雄也は紗代子に会いに病院にやってくるようになっていた。


彼は院長と昔から仲が良かったらしく、紗代子が院長室に呼ばれる時は、必ず雄也が部屋に来ていた。


紗代子は、浜辺で抱きしめられた事はなかった事にしたかった。


ただ、雄也はそんな紗代子の気持ちなどお構いなしに紗代子をデートに誘うのだった。


院長も、雄也と紗代子が一緒になる事を望んでいるような感じだった。


「紗代子君、雄也は直治様の血の繋がらないお兄さんでね、直治様をいつも支えていたんだよ。

彼は組長の座を自ら辞退した経緯もあってね。」

院長は組の専属の医師という立場でありながら、彼らの良き理解者でもあるようだった。


母親は違えど、直治と雄也にとっては組長は父親なのである。

ただそうはいっても、組長ともなれば中々子供と一緒に普通の親子関係を築く事は出来なかったのだろう。


雄也の母親は、組長の愛人の子供だった。

組からしたら妾の子という立場。


雄也自身、自分の立場を快く思わない人達もいて、辛い思いをしてきたに違いない。


それでも直治の兄として、いつかは組長になるかも知れないと言われながら育てられた。


雄也はそんな自分の立場が嫌で仕方がなかった。


直治はそんな事は全く頭にないようで、遊ぶ時はいつも雄也と一緒だった。


直治はそんな雄也を兄と慕い、紗代子の事も雄也ならば安心して話ができたのだろう。


ただ、雄也も彼女を好きになってしまったという誤算までは考えていなかった。


雄也は思っていた。


紗代子が直治と一緒になる事で、どんなにか辛い思いをしなければならないか。

それをわかっているからこそ、余計に直治に紗代子を渡す事は出来ないのだ。

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