魔法学園×青春白書

Qキョクチ

序章1『望んだ未来を手にするために』


● ● ●


「――では、君だけの入学試験を始めようか」

 静けさに包まれたその場所で、言葉だけが響き渡る。

 広い空間だった。

 鳴る声はすぐさま大気に融け、決して反響することはない。

 それもそのはず、その空間の“頂き”はあまりに高かったから。

 大人十数人を直列で並べてなお届かぬ天井が、そこにはあった。

 そんな上空から降り注ぐのは光の筋。

 無数の照明が塊となって天に吊されている。

 今、その機械の群は本来あるべき働きをしていない。

 この空間全てを照らすようなことはせず、ただ直下の、限定された場所だけを照らし出す。

 そこに広がる、硬い大地だけを照らしていた。

 大地は円形に敷き詰められ、その外周を数段高い壁が囲う。

 地面の広さもまた、天井と同じくかなりのもの。

 上下左右全てにおいて、充分過ぎるほど動き回れる広大な空間こそが、この場所だった。

 その意味する所はただ一つ。

 誰にとっても、分け隔てない“戦場”であること。

 しかしここは戦場であって戦場でない。

 なぜならここで散る命はなく、あってはならぬ場所だから。

 ここは戦場であれど、決して死地にはなり得ない場。

 ここは己の力を発揮する場であり、より多くに向け、示し、見せつける“舞台”なのだ。

 すなわち“ここ”とは、――戦いを披露するための“闘技場”である。

 故に大地を取り囲む壁の向こう、そこには膨大な椅子の群が林立している。

 階段状に徐々に高くなるそれら“客席”の間には、所々に大きな通用口が据えられ、ここへとやって来る大勢を予感させた。

 それを証明するように、戦場の真上、照明がぶら下がるそこに、別の大きな機械群も、吊り下がっていた。

 それは、四方八方に向けられた幾つもの特大モニター。

 眼下の戦いを、来たる全ての客が楽しめるように映し出す、投影装置に他ならなかった。

 そうしてこの闘技場は娯楽の場として、より多くの人間のために造られているのだ。

 しかし今、その娯楽的要素の一切を排し、ただ一つの行事が行われようとしていた。

 “それ”に観客は必要ない。

 “それ”に楽しさは必要ない。

 “それ”に必要なのは、覚悟と実力だけ。

「よろしくお願いします!」

 一人の少年が“試練”を乗り越えるために、ここにいる。


● ● ●


 戦場の中心。そこに立つのは二人の男女だ。

 片方は十代後半に差し掛かろうかとしている、まだ幼さが少し残る少年。

 片方は二十代後半と思しき、細身で、だけどしっかりとした体つきの女性。

 少年の方は、真面目な印象を強く受ける顔付きで、そこに立っていた。

 持ち前の金の髪は肩に掛からぬよう綺麗に整えられ、白鉢巻で抑えられている。

 身に纏うのは前の開いた白の上着に、その奥から顔を覗かせる密着タイプの黒インナー、そして長めのブーツと、それに裾を押し込んだ上と揃いの白ズボン。

 それは彼にとって最も着慣れた運動着であり、一張羅であり、“戦闘服”である。

 それをいつも通りにキッチリと着こなしながら、彼はここにいる。

 その一挙手一投足には一切のだらしなさがなく、まさしく真面目そのものという少年だった。

 一方の女性は、肩ほどで切り揃えた深紅の髪をユラユラと揺らして、一切隙を見せぬ佇まいでここに立っていた。

 その立ち姿は、いかにも達人然としていて、強者の風格というものをまざまざと見せつける。

 そんな彼女は、しかし少年と違って、真面目とは程遠い印象を抱かせた。

 それは何故か?

 まず第一に、彼女は女性でありながら男物のスーツを身に着けていた。

 上下黒のそれは、お洒落さよりも機能性を追求した代物。

 同じズボンタイプでも、美を求めるような女性向けでは明らかにない。

 ある種カタさすら感じさせるそんなスーツを、しかし彼女はキッチリと着こなし、見る者にまるで違和感を抱かせない。

 隙の無い身のこなしと、多少ズレてはいるもののキチリとした衣服。

 それだけを見れば、彼女は真面目なように見えるかも知れない。

 だが、彼女が浮かべる表情こそが、それら真面目な物との大きなギャップを生んでいるのだ。

 彼女が浮かべるのは、ひどく軽妙で、軽薄な笑み。

 まさしくふざけている者特有の“小気味良い笑み”だった。

 イタズラ好きの子供めいたそんな笑みが、真面目な風貌とミスマッチしていて、だけど何故かそれがピタリと嵌まっていた。

 例えるなら、真面目にふざけている。

 ふざけたように振る舞いながら、しかし為すべき事はキチリと為す。それが彼女だ。

 だから今も、彼女はふざけたように真面目をする。

 目の前の少年に向け、彼女は言葉を紡いでいく。

「知っての通り、これは我々としても異例の対応だ。本来であれば君は試験を受けることすら難しかっただろう」

 告げる内容の厳しさに反し、ニッと笑みを湛えながら彼女の言葉は続く。

「しかし君は我々にそれを惜しいと思わせるだけの成果を示した。心技体、その全てにおいて君は十分な実力を持っている。ただ一つ、君が抱えている“ある事情”だけを除いて」

 そう言ってから、彼女は不意に、少しの間だけ目を閉じる。

 眼前に立つ少年の“これまで”に、僅かな感傷を抱いてから、彼女は再び少年を見据えた。

 そしてなおも、言葉は紡がれる。

「だからこそ、君にはこの“機会”が与えられた。――誇って良い。君のこれまでは、決して無駄ではなかったのだから」

 ただ素直な賞賛を、彼女は少年へと送った。

 彼の過去を知っている訳ではない。

 だがここに至るまで、到底容易い道でなかったことだけはハッキリと分かる。

 故にこその言葉だった。

 女性のそんな賞賛を受け取った少年は、思わぬ事に少し驚き、だけど困ったように頬を掻いては小さく苦笑する。

 そんな少年に、女性はただただ笑みを返し、しかし、

「さて――」

 その言葉を皮切りに、彼女の空気が一変する。

「――――」

 それに呼応するかのように、大気が揺れる。

 空気が重くのし掛かる。

 不意に静まり返ったその空間の中で、少年は“それ”を見た。

 照明に明るく照らされた筈の正面、しかし確かな“光”がそこに激しく灯っている。

 “それ”は二つの光。

 滾り、猛り、ユラユラと炎めいた鋭い“眼光”。

 その向かう先は、唯一つ。

「…………」

 少年は、それを前に身が固くなるのを自覚した。

 目の前からの、笑みを崩さぬ遥か強い視線が、少年を射竦める。

 そうして彼女から向けられるのは、しかしそんな視線だけではなかった。

 この空気そのものが、彼女の放つ“重圧”が、少年を押し潰さんと重くのし掛かっている。

 それすなわち、彼女の“闘気”。

 圧倒的な気迫が、どこまでも無遠慮に溢れ出て、周囲を侵す。

 加減など一切ない、潰れるなら潰れてしまえとばかりの容赦ない“それ”を受けて、

「――――」

 まず始めに少年が感じたのは“恐怖”だった。

 彼女から注がれる視線に、闘気に、何もかもに、少年は恐怖する。

 どうしようもない彼我の“隔絶”。

 それをまざまざと見せつけられて、少年の身はひたすらに強張っていく。

 次いで生まれるのは、どうしようもない“諦観”。

 もはや到底勝てるものではないと、諦めの想像が容易く少年に襲い掛かる。

 そうして心に巣くい始めようとするそれらの感情を、しかし少年は固唾と共に飲み下す。

 そんなもの、己にとっては常なるものと、当たり前のように押さえ込んで噛み潰す。

 未だ挑んですらいないのに、そんな“程度”で屈するものかと心の中で吠え立てながら。

 それが果たして“やせ我慢”なのか、あるいはもっと別の“何か”なのか。

 答えの証明は、これから挑む先にこそ。

「…………」

 少年はただ力強く構えてみせる。

 己の“挑み”を始めるために。

 それを見た女性は更に笑みを濃くしていきながら、沸き上がる闘気をより一層高めていく。

 そして、

「“試験”の勝利条件は一つ。私から“一本”取ること、それだけだ。方法は一切問わない」

 彼女は告げる。少年が何をすべきかを。

「私に“やられた”と思わせたなら、晴れて君も私の“生徒”になるわけだ」

 何か質問はあるかな、と圧迫の闘気を崩しもせずに、彼女は笑って問うのだ。

 そんな相手に対し、少年は重圧に晒されながらも、だけど深呼吸一つで己を確かに整え、

「普通に一本取るだけではダメ、ということでしょうか?」

 問いを返した。

 それは、“目的”の再確認。

 “一本取ること”と“やられたと思わせること”、それが同義なのかどうか。

 ただ勝てば良いのか、それとも何か奇天烈を起こさなければならないのか、その確認だ。

 前者であればいいと、少年は思う。後者であったなら、自分には“何もない”からと。

 そんな少年の問い掛けに、しかし女性は声を出して笑ってみせた。

「別にそれでも構わないが、まさか取れると思っているのかな?」

 彼女から言わせれば、“一本を取ること”と“やられたと思わせること”は同義ではない。

 しかし少年が“やられた”と思わせる方を難しいと感じるのに対し、彼女はその逆を思う。

 すなわち、自分から“一本を取ること”の方が“やられたと感心させる”だけよりも余程難しいという現実を。

「他に質問はあるかな?」

 女性の再度の問い掛けに、少年は静かに首を振って応える。

 彼にもはや雑念などない。

 求める答えは得た。

 ならば心は決まり、やるべき事もハッキリと定まる。

 奇策も特別も必要ない。ただ己の持ち得る“全て”を、この相手に通すのみ。

 少年はただ真っ直ぐに、目の前の乗り越えるべき“モノ”を見つめる。

 その視線はどこまでも愚直で、自らを貫き通さんとする意志の顕れ。

 迎え撃つ側もそれを一身に受け止めて、ただ頷きを返して笑う。

 そうして、

「では――」

 少年は大きく息を吸い、

「行きますッ!」

 己だけの“試験”を始めた。

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