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 クリスマスイブだというのに。

 本当ならこの後バーに行く予定だった。なのに愁斗くんの記憶を奪ったから、彼の記憶では私を誘っていない。だから私の予定はなくなった。

 彼は私のせいで昨日の記憶をなくしている。もしかすると練習の成果もなくなっているかも知れない。

 全部私のせいだ。彼に何かあったら、私はもう今まで通り暮らしていけない。


 いつもと変わらない部屋。何も変わらない。

 世間はクリスマスイブと言うだけで、どうして特別な一日にしたがるのだろう。特別な一日に期待するのだろう。

 ベッドから見上げる天井もいつも通り。スマホを向けて天井の写真を撮ってみる。

 面白くない。

 あまりにも普通で、あまりにもありきたりで、いつも通りで、だからそのまま削除した。


 もし、私が彼に出来ることがあるとすると……

「見に行こう」

 考えるよりも早く身体が動いていた。


 いつもより支度に時間がかかった。いつもの私ではあり得ないほど着る服に悩んだ。バーに行くのは初めてだし、私だとバレたくない。いつもと違う雰囲気にしようと、お姉ちゃんの部屋に忍び込んで服を選んだ。彼女にバレたら怒られると思いながらも、いつもと違う自分になることにちょっとだけ大人になった気がした。

 家を出るとき、両親に遅くなる旨のメッセージを送った。彼女に服を勝手に借りたことを謝ると、何故だか『ガンバレ』と返信があった。


 バーは少し中心部から外れた静かな一角にあった。

 イルミネーションで飾られた入口からは、とても幻想的な雰囲気に感じた。これが大人たちが通うバーなのかと思うと、ちょっとドキドキした。私みたいな小娘が一人で入るにはちょっと躊躇う。意を決して扉を開けた。


 バーと聞いて、ジャズの流れる静かな空間をイメージしていた。でもここは小さなレストランといった風に感じた。

 入ったはいいけど、勝手が分からずオドオドとしてしまう。すると案の定、店員さんに声をかけられた。こういう人をバーテンダーと呼ぶのだろうか、無知で恥ずかしい。

「お待ちしておりましたよ。こちらへどうぞ」

 えっ、どうして?

 何も言わすに席へ案内されるなんて。なんとなく恥ずかしく、俯きながらついて行く。

 そこは奥の方の席。なぜか『予約席』と札が置かれている。

「どうぞ。あれ、聞いていませんでした?」

 とんとん拍子に案内され、不思議そうな顔をしていたのかもしれない。

「今日の事は彼から聞いています」

 聞けば一週間前の下見で私が来ることを伝えていたらしい。


 席から愁斗くんを探す。先のテーブルいた。そこにはカップルが座っている。

 チラチラと気付かれないよう様子を伺う。カードを手に何か話をしているようだ。

「失礼します」

 おっとビックリ。顔を上げると先程のバーテンダー。手には赤色の液体が入ったグラス。それをテーブルに置いてくれた。

「えっと、これは」

 何も頼んでいないのにどうして? もしかしてバーとは勝手に飲み物が出てくるところなんだろうか。どうしよう、そんなに持ち合わせがないのに。

「レッド・バードです。大丈夫です。彼のお給料から引いておきます、というのは冗談ですよ。私からのサービスです。ごゆっくり」

 バーテンダーを見送り、グラスに口をつける。暖かい室内に冷たいグラスが気持ちいい。

「あ、おいしい」

 トマトジュースのお酒なんて初めて。これははまってしまいそうだ。


 愁斗くんはというと、先程のテーブルでカード当てをしている。とても受けていてちょっと嬉しそう。緊張のせいかたまに声が裏返っているけど、会話も弾んでいるみたい。いつもの下手なマジシャンが、今日はプロのように見えるのは私だけだろうか。ちょっと微笑ましい。

 その後も彼はテーブルを回り、マジックを披露していく。やはり緊張のせいか何度も失敗をしている。でもその後のフォローがうまく、お客さんからすればそれは失敗ではなく、フェイントのように見えているだろう。だから、そのあとの成功は大きな拍手がついてくる。


 今度は新しいテーブルで困った顔をしている。客は少し年配のカップル。強面の男性と、きつそうな女性。席が遠く会話がよくきこえない。

 横目で眺めると、男性が財布からおもむろに一枚のお札を取り出した。チップだろうか。愁斗くんが手を振って断っているみたい。

 違う。そのお札を使ってマジックを要求している。それもそのお札は一万円札。もしかして復活マジックを要望されている? 愁斗くんの苦手なマジックの一つなのに。


「出来ないのか?」

 大きな声に店内の客が振り向く。同時に私も立ち上がった。でもすぐ隣の女性がなだめ落ち着かせた。

 どうしよう、愁斗くんには出来ない。


 悩んだ末、渋々といった表情で愁斗くんが一万円札を受け取る。

 どうして受け取るの? この状況じゃ無理だよ。


 震える手で受け取ったお札を小さく折りたたんでいる。必要以上にどんどん小さくたたんでいく。時間稼ぎだろうか。

 しびれを切らせた男性は、愁斗くんからお札を奪う。そしてお札をビリビリに破いてしまった。

 そんなことをしたら元に戻せない。なんてもったいないことをするんだろう。いや、愁斗くんどうするつもり?


 男性は破れたお札を愁斗くんに突きつけている。元に戻せと言っているのだろう。愁斗くんは両手を胸の辺りに挙げ、首を振っている。

「おい、どうしてくれるんだよ!」

 またもや男性は大声と共に立ち上がる。客達も振り返る。自分で破ったくせに!

 そして、また破れたお札を愁斗くんに握らせた。


 心臓がドキドキする。せっかくのほろ酔い気分が、一気に冷めてしまう。

 なんてことをするの? どうしたらいいの? 私には何が出来る?

 膝の上で、握っている手のひらに爪が食い込んで痛い。


 マジックは万能じゃない。お客さんを楽しませるもの。

 そして必ずタネや仕掛けがあるもの。

 この状況で破れたお札を元に戻せるのなら、それは魔法だ。


 ……魔法……


 私が魔法でお札を元に戻せば!

 愁斗くんの手の中の破れたお札と、破れる前の綺麗なお札をイメージする。


 ダメだ、手の中で修復するとお札の動きで愁斗くんに気付かれてしまう。

 でも、このままじゃ愁斗くんが傷ついてしまう。傷つくのは私だけでいい。

 魔法がばれたら、もう一度記憶を失ってもらえばいい。

 愁斗くんが無事なら、私はそれでいい。


 私にはみんなと違う力がある。

 この力のおかげでつらい思いもした。力をなくしたいとも思った。みんなと同じ普通の人間になりたいとも思った。

 でももしその力が人の役に立つならば、それは今しかない。自分一人が犠牲になることで助かるのなら。


「戻って!」

 元に戻るお札をイメージする。そしてそのイメージを愁斗くんの手の中に送る。

 刹那、愁斗くんの表情が変わった。

 そして、急激に血圧が下がったように目の前が揺らぐ。ちょっと力を使いすぎたのかな? それともお酒のせい?

 うまくいったかな。

 身体の力が一気に抜けた。

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