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 明日はクリスマスイブだというのに。

 世間では家族そろってのディナーを心待ちにし、サンタクロースに願いを伝え、恋人達と甘い一夜を過ごす、そんなクリスマスの前日。

 もちろん一部の人たちは、それらのことに全く縁もなく、いや、己ために思い思いに過ごしている。

 私も今日は、クリスマスイブに期待する最後の日として、大人しくしている予定だった。


「なのに……なんで練習なのよ」

 ここには手品の練習に励む愁斗くんと、椅子に座ってため息をついている私しかいない。


 奇術部。練習している姿は誰にも見られてはいけない。

 窓は閉められ、黒いカーテンが外の明かりを遮蔽している。


「あれ、言ってなかった?」

 聞いてない、聞いてない。今朝の電話は理不尽な召集命令だけ。

 鏡越しに頬を膨らまし怒ってるぞとアピールするも、私に視線を向けようともしない。鏡に映っているはずなのに。

 テーブルからトマトジュースを取り喉を潤す。冬場の室内はとても乾燥する。夏場でなくてもよく喉が渇く。


「一週間ほど前、松谷先輩から電話があって。ほら、駅前のバーでマジックを見せてるって話したことあっただろ?」

 そういえば先輩がプロマジシャンのアシスタントの傍ら、バーでアルバイトをしているとか。

 バーには行ったことがない。居酒屋と違って、きっとおしゃれなんだろうな。

「おーい、聞いてる?」

「聞いてますよ!」

 気持ちよく妄想していたのに、ちょっと苛つく。

「で、明日のバイトを代わってくれって。一度そういうバイトしてみたかったんだよな。それで二つ返事で引き受けたってわけ」

「それで、なんで私が呼ばれないといけないの?」

 練習相手なら誰でもいいじゃない。


「それは、あっ」

 愁斗くんの手から白いボールが落ちて転がる。そのまま鏡にぶつかって方向を変える。転がるボールを追いかける姿が面白い。この話の間にも何度も白いボールが転がっていった。

 確かに彼は……下手だ。

 これじゃおマジックを見せるどころかネタばらし。


「四つ玉は保険。メインはクロースアップだから相手がいるだろ? それにメグ今日暇だろ?」

 カチンときた。

 クロースアップの練習に相手がいた方がいいとは思う。でもどうして私が暇だと決めつけるのだろう!

 予定があるかも知れないと考えるのが普通じゃない?

 ……予定なし……だけど。


「この部分がうまく出来ないんだけど、教えてくれない?」

 メインはクロースアップとか言いながら、まだ四つ玉を諦めていないみたい。

 仕方なく一式を受け取り、奇術部伝統の演技を始めた。


 何もない手のひらから一つの白いボールが現れる。指と指の間をそれが行き来する。

 それは二つになり、三つになり、そして両手の指と指の間全てに白いボールが収まる。

 指を器用に動かしてボールを操る。

 本当はそう。私のもそう見える。

 でも私のは違う。ボールが指と指の間を意思を持ったかのように動いている。


 マジックと魔法は相性がいい。


 頭の中でボールの動きをイメージすると、そのようにボールが動き出す。

 それは魔法によるもの。

 決して手先が器用なのではない。でもそれが魔法であるとは誰も気がつかない。見る人はマジックと信じて疑わないから。

 私にとってマジックは観客に見せる魔法。堂々と魔法が使えるのがマジック。


「さすがメグはうまいよな。……やっぱりクロースアップにしよう」

 諦めが早いというか、でももう少し練習をするべきじゃないのと思いながら、四つ玉を返す。

 魔法でマジックのように見せかけている私が言えたものじゃないけど。


 今度はカードを持って近づいてきた。

 飲みかけのトマトジュースに口を付ける。

「それにしてもトマトジュースなんてよく飲めるな。俺は無理」

 こんなにもおいしいトマトジュースを否定されて腹が立つ。一気にそれを飲み干し、愁斗くんの顔に思い切り息を吹きかけてやった。

 彼は「トマトくさい」と大げさに手を振るものだから、カードが箱から飛び出し散乱した。

 本当にこんなのでバイトをこなせるのだろうか。情けなくて、またため息が出る。


「ところでさ」

 散乱したカードを集めている彼の方を振り向いた。

「なに? お礼においしいものでもおごってくれるわけ?」

「えっ、いや……まいったな。どうして?」

 えっ、あたり?

「お腹がすいたから」と小声で言うと、ちょっと照れて笑ってくれた。

「バイトの後さ、お店の好意でまかないを出してくれるんだって。で、せっかくのクリスマスイブだから誰か連れておいでって。えっと、要は今日のお礼にどうかと思って。いや予定があるなら他誘うし。どうかな」

 クリスマスイブのお誘い?

 もちろん予定なんて入ってるわけでもなく、家族と何気なく過ごすぐらいしか考えていなかった。まあ断る理由もないよね。

 ふと見上げる。頬が緩んでニヤけている自分と鏡越しに目が合った。

 幸い彼は目をそらしていたので、私の表情に気がついていないと思う。

 はずかしい。顔を引き締め、大きく深呼吸。

「そんなに私と行きたいのなら、行ってあげてもいいよ」というと、「そんな上から目線なら他の人を誘う」と押し問答。結局私が「連れて行ってください」とお願いするという、逆転現象で落ち着いた。


 そのあともイブのお誘いで浮かれながら、機嫌良く彼の練習に付き合った。

 そして遠くから聞こえる『あかとんぼ』の音楽で、長い時間練習をしていたことに気がついた。


「そろそろ帰るね」

 バイト先までの道のりと待ち合わせ時刻を確認して私は立ち上がる。

「ああ、今日はありがと」

 彼も椅子から立ち上がろうとしたそのとき。


「あっ」


 テーブルに椅子が当たり、上に乗っていたトマトジュースの缶が傾く。まだ中身が残っている。

 このままじゃ彼にジュースがかかってしまう。今着ているのは明日使う予定のちょっと気合い入ったジャケット。汚すわけにはいかない。


 止まって!

 反射的に力の意識を缶に向け、傾いたまま止まる缶をイメージする。


「えっ、どうして?」

 トマトジュースの缶は斜め四十五度に傾いて器用に立っている。少なくとも私の知っている物理法則ではあり得ない。


 魔法を使ってしまった。それも彼の目の前で。


 缶はゆっくりと元の状態へと戻っていく。何もなかったかのように。

 恐る恐る彼の顔を見上げると、これ以上ない驚きの表情で缶を見つめている。

 身体の中の血液が一気に凍っていくかのように、指先まで冷たくなった。

「やだ、透明な糸で引っ張っただけだから……」

 とっさに出る言い訳。彼の表情は固まったまま変わらない。瞬間的に敗北を感じた。

「ごめん、嘘……」


 しばらくの沈黙。エアコンの音だけが部屋の中で響いている。私は彼をじっと見つめる。まだ彼は固まったまま。

 背中に冷たい汗が流れるのを感じる。

 どうしたらいいの? わからないよ。

 沈黙に耐えられず、残っていたトマトジュースを飲み干す。

 止まっていたときが流れ出す。

「愁斗くん、見なかったことにして! 誰にも言わないで! じゃ!」


 背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえたけど、もう立ち止まれなかった。

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