第35話 恋路の果てに 4

「甘えるな、ってそういう仰り方はあんまりだと思います」


 紅薔薇の反論にも「彼女」は嘲笑を浮かべたまま。


『最初に来たあの子には、強い覚悟とわたしへの慚愧があったわ。だからこそ無事に返したし、アドバイスもした。なのにあなた達は何? ひとの食事に文句を言って、ただ返せ返せと喚いて。そういうのをあなた達は甘え、って言わないの?』


「それは……」

『あの子には「赤いのはわたしが食べる」って言ってあるし、取り込まれてここに来ればどうなるかは十分想像できてたはずよ。そういう覚悟も踏みにじるつもりなの?』


 正論だと思う。

 でも、納得できない。

 心の奥底から湧き出る感情が、怒りなのか悲しみなのかさえ分からないまま愛弓が叫ぶ。


「でも、丸ごと全部食べなくてもいいじゃない! 神さまみたいなあなたなら、清ちゃんたちを選り分けることだってできたはずでしょ! なのに、なのに……」

 最後は言葉にならず、そっと肩を抱いてくれた紅薔薇の胸にしがみつくように顔を埋め、声を殺して泣いた。


『泣かないでよ。こんなことぐらいで』

 投げつけられた暴言に愛弓は弾かれるように振り返り、べしゃべしゃに濡れた顔で叫ぶ。


「こんなことってなによ!」


 愛弓の涙を心底うっとうしそうに睨み返し、


『望むものが手に入らなかったぐらいで、人の遊び場で泣きわめかないで欲しいってこと』


 ひと息で、しかし重みを乗せて言い放った。


「清ちゃんとオルちゃん返して!」


 もう「彼女」の言葉は愛弓に届いていない。清香とオルマティオを失ったことの悲しみが耳を塞ぎ、喚くことしかできなくなっている。


『あのさぁ』

「あなたにとっては取るに足らない小さな命かも知れません。けれど、わたくしたちには大切な友人なんです。それだけは分かってくださいまし」


『わたしが』


 遮られたことへの苛立ちも上乗せした「彼女」の視線は、紅薔薇でさえ怯むほどに鋭かった。


『失われる命になんの感傷も抱かないと思ってるの?』左耳のイヤリングきらりと輝く。『でも食事は食事。どんなに貧しく見えても、その人が精一杯働いて得た食事を哀れんだりするような無礼を、他人がしていいはず無い。一番それをやっちゃいけないのがあなた自身なことぐらい、言われなくても分かるわよね?』


「……はい。申し訳ありません」


 深く腰を折る紅薔薇から愛弓に視線を移し、


『そっちは?』


 怯みながらも愛弓が口にするのは同じ言葉だった。


「……清ちゃんとオルちゃん、返して。……お願いだから」


 ああもう、と呟きながら頭をがりがりと掻き乱し、観念したようなため息に乗せて言った。


『分かったわよ。もう。しつっこいわね』

「……え?」

『誰もあの子たちまで食べた、なんて言ってないでしょうが』

「どういう、意味ですの?」

『生きてるわよ、ちゃんと。わたしが食べたかったのはあの赤いのだけだから、あの子たちは残してあるわ』

「ホント?」

『嘘言ってどうするのよ。頭ごなしにひとを悪者扱いするから、ちょっと意地悪しただけ』


 ぱちん、と指を鳴らすと、「彼女」の背後にある地底湖に大きな泡が浮き上がり、そのままふわりと空中を横滑りし、ゆっくりと湖岸に降下した。泡の中に横たわるのは、確かに清香とオルマティオだ。


『あなたたちってホント、意味分からないわ。他人の為なら命を簡単に投げ出すコもいるのに、享楽の為に他人の命を簡単に奪うし。滅茶苦茶よ』


 その言葉も駆け寄る愛弓の耳に入っているかどうか。


「清ちゃん! オルちゃん!」


 抱き起こそうと手を伸ばした愛弓の背中に、「彼女」は鋭く釘を刺す。


『こら、起こすな。変な物取り入れた影響で自我がまだ安定してないから、ヘタに刺激すると記憶も感情もぐちゃぐちゃになるわ』


 今度はしっかりと聞き入れた。薄皮一枚で触れなかった右手をゆっくりと戻し、ぎゅっと握り締めて。穴が空くほど清香とオルマティオの顔を見つめた。

 青ざめた顔。ゆっくりと上下する胸。よく見ればアザや擦り傷だらけの手足。オルマティオに目立った外傷は無いが、深い眠りが彼に積もった疲労を物語っていた。


 ―もう、大丈夫だよ。清ちゃん、オルちゃん。


 安堵する愛弓とは逆に、紅薔薇は「彼女」への嫌悪を隠そうとしない。


「ずいぶんと意地悪、ですのね」

『あら、言ったことは本音よ。もう少し成長してくれないと、いつまで経っても、どれだけ才能があっても他の星になんて行けないからね』


 野望を見透かされたような言葉にどきりとしたが、まさかと思い直した。


「……心に留めておきますわ」

『忘れてくれて結構よ。老婆心だから』


 冗談だと思うことにした。


『さ、そろそろいいでしょ、帰る支度をしなさい。その子と白い鳥はあなた達が地表に出たときに送ってあげるから。でもいいわね、本人が目を覚ますまで起こさないこと。どこへ運ぶにしても激しく揺すったりしないこと。点滴ぐらいはしてもいいけど、話しかけたりは絶対にしちゃだめよ。いいわね』


 はい、と頷いて、


「地上まで送る、ってそんなことまでできるんですの?」

『あのね、この星はわたしのからだなの。それぐらい簡単よ。あなた達が随分痛めつけてくれたけど』

「心底意地の悪い方ですのね」


 紅薔薇の声色には、非難よりも裏切られた感情の方が強く滲んでいた。


『あなた達のお母さんだもん』


 敵わないのだろう。清香に本当の意味で勝てないように。龍血核を巡る決闘で幾度となく勝利を収められたのは、彼女が決闘に対して逡巡があったからに過ぎないのだから。


「最後にひとつだけお訊きしてもよろしいですか?」

『なに?』

「この巨人には新たな「意志」が芽生えていました。それは、どこへ?」


 そうねぇ、と「彼女」は僅かに首を傾げる。つられてイヤリングがきらりと閃く。


「?」


 底意地の悪い笑みを浮かべ、少し膨らみのあるお腹をぽんぽん、と叩いた。


「……そうですか」

『もう訊きたい事は無いわね? じゃあさっさと帰りなさい。お母さんを怒らせないで』


 渋々頷き、愛弓の肩に手を置く。


「いきましょう」

「うん。……お邪魔しました」

『地上への穴はあとで塞ぐから、もうこれっきりにしてよ』


 最後ぐらいこちらもジョークで返した方が良いのか考えたが、結局ありきたりな言葉を紅薔薇は口にした。


「努力しますわ」

『今度は地震と津波ぐらいじゃ済まさないからね』


 もう、我慢できなかった。


「清香さんとオルマティオさんのこと、よろしくお願いします」


 深く腰を折って、ふたりは天井の大穴から地上へと向かった。

 急ぐ必要は無いのに、どうしても急いでしまう。

 清香が焦っていた理由もなんとなく分かった。

 あんな毒の色をした愛情を素直に受け入れられるとしたら、その人はきっと余程愛情に飢えているのか、果てしなく鈍感なのかのどちらかだ。

 でも、と遙か眼下を見る。


「どしたの?」

「いいえ。なんでもありませんわ」


 一度停まって、そう、と返事をして、視線を上にやって。愛弓は呟く。


「わたしも、ちょっと気になったよ」


 え、と愛弓に視線をやった時にはもう先へ進んでいた。


「そうですわね」


 愛弓を視線で追う。地上まではまだ遠い。

 見なくてもいいのに、紅薔薇は下を見た。

 言われればそうだと分かるほどの大きさになるまで「彼女」との距離は離れていた。


 顔を上げようとした瞬間、きらり、と赤い光が閃き、イゼルマが驚いたように声を発した。


『……え、次元の穴が開いた?』

「どういうことですの? イゼルマさん」

『分からない。さっきの地底湖の近くでほんの一瞬、次元因子の活動を感知したんだけど、すぐに消えてしまったんだ』

「あの方が、何かなさった……?」


 性分として確認したいが、行けば「彼女」はまたきっと毒色の愛情をぶつけてくるだろう。それでも行かなければ。そう決めた瞬間、自分と「彼女」の中間地点の壁が鳴動し、穴を塞いでいく。


『来るな、と言っているようだね。急ごう。きっとここもすぐに塞がれる』

「……ええ」


 ―最後まで超然とした方ですわね


 上から愛弓が、「どーしたのー?」と呼びかけている。


「なんでもありませんわ」

「分かったー。早くおいでよー」


 ええ、と頷いて登頂を再開する。

 自分が暮らすのは地上なのだから。

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