第30話 迷子の帰る道 3

「さて、どうしましょうか。このままでは本当にジリ貧ですわ」


 いままでの瓦礫の巨人たちとの戦闘を思い返し、何か参考になることが無いか検討を始める。

 龍血核は瓦礫を纏って自らの身体とし、龍血核を抜き取ることでその活動を停止した。

 ならば、とひとつの可能性が紅薔薇の脳裏を過ぎる。

 その視線の先で、ようやく愛弓が清香をキャッチし、オルマティオの背中で手を振って無事を知らせている。自分の龍血核が吸収されることを恐れた紅薔薇は、一切の躊躇も見せずに赤い巨人の背中から飛び降りた。


「あ、もうっ! オルちゃん、お願い!」


 唇を尖らせながら、オルマティオを向かわせる。落下地点に入り、手を広げる愛弓のすぐ前に紅薔薇はふわりと降り立つ。


「紅ちゃんまで飛び降りないでよっ。オルちゃん大変じゃない」

『私なら問題ない。三人とも軽いからな』

「あら。お上手ですわね」


 うふふ、と微笑み、ちょこんと座る。かわいい。三人が座ってもまだ余裕のあるオルマティオの背中はこのままどこかへ行ってしまいたくなるほど快適だった。

 ぱん、と軽やかに手を叩いて清香が赤い巨人を見つめる。


「さて、行きますか」

「うん」

「ええ。高度やこの巨人の「意志」の成長具合を鑑みてもこれが最後でしょう」


 愛弓に先ほど割った龍血核の残りを渡した。

 眼下に広がる風景は看板の文字をどうにか読み取れるほどにまで近づいている。仮にもう一度宇宙へ連れ出したとしても、巨人の妨害が今度はどんな結果に結びつくのか、紅薔薇にも想像できなかった。

 だがそれでも、三人は諦めない。

 乗りかかった船だから。例えそれが滝壺に向かっている現状だとしても、

三人一緒なら崖っぷちからダイブしてそのままどこかへ飛んで行ける。

 そう信じられるから、三人は前に進める。


「オルちゃん、お願い」


 ああ、と返してオルマティオは巨人の背中まで上昇する。清香と紅薔薇がまず降り、残った愛弓は降りながら変身し、すでに手を繋いでいたふたりに導かれるように手を繋いで背中の中央付近に着地する。

 そのまま三人で輪になって意識を高める。


「せーのっ!」


 反応はすぐにあった。巨人の胸部中央から透明な光が伸びている。太さも長さも親指ほど。三人はふわりと移動し、光が輪の中央に来るように位置を調整する。「意志」を抜き出し、このばかでかい図体だけでも次元の扉を潜らせようとしているのだ。


「まさかみんな同じ事考えるなんてね」


 清香が呆れ、紅薔薇が苦笑する。


「仕方ありませんわ。いまのわたくしたちは龍血核を介して一心同体です。思考も感情もスープのように混ざり合っていますもの」

「そだね。でもわたしはわたしでちゃんとあるから恐くないし」

「うん。じゃ、やるよ」


 やり方は分かっている。瓦礫の巨人との闘いで何度もやった。だけど今回は乱暴に抜き出すのではなく、それこそ赤ん坊を扱うように慎重に。

 針に掛かった魚が海面にあがってくるように、「意志」の光が段々強くなる。


『もう少しよ。みんな、気を抜かないで』


 はーい、と愛弓が返事をした瞬間だった。

 激しい悪寒が三人を襲い、次いで猛烈な虚脱感が全身を埋め尽くす。


「だめ、これは……っ」


 愛弓の警告も虚しく、三人の変身は解除される。背中から五センチほどの高さにいた三人が着地する。しかし、清香の足下だけは泥沼のように柔らかく、


「え、やだ、なにこれ!」


 あっという間に足首まで沈み込んでしまう。


「オルちゃん、お願い!」


 愛弓に言われるが早いか、オルマティオは巨大化して清香の二の腕を脚で掴んで引っ張り上げる。


「痛い痛い痛い! もうちょっと優しく!」

『無茶を言うな!』


 オルマティオが何度力強く羽ばたいても清香の沈下は止まらず、むしろすねの中程まで取り込まれてしまっている。その間にも波紋はどんどん広がり、すぐに愛弓たちの足下へと迫る。逡巡しながら後ずさりするふたりは、苦しそうな表情で清香たちを励ますことしか出来なかった。


「ふたりとも、こっちはお願い!」


 そう言って清香は龍血核のひとつを紅薔薇に、まだ意識のはっきりしていない春嵐丸を愛弓に投げる。キャッチするよりも早く紅薔薇は黒夜叉に詫びながら再度変身していた。受け取った龍血核を半分に割って愛弓に。

 これで清香の手元に残った龍血核の欠片はあとひとつ。赤い巨人も龍血核だが、オルマティオが決別を明言した以上、別物だと認識した方がいい。


「愛弓さんも早く変身を!」

「え、でも、春ちゃんと?!」


 それ以外に選択肢は無いよね、と覚悟を決めて春嵐丸を見る。意識を取り戻した彼の、大丈夫、と語る優しい瞳が何よりの勇気となって、ふたりの変身を後押しした。

 茶虎の毛皮に包まれた愛弓は、普段の言動も相まって一層仔猫っぽく見える。


「デュオラ! 愛弓と春嵐丸を守ってよ!」


 叫びながら清香も龍血核を半分に割ってオルマティオと口づけを交わし、変身する。朱い光が弾けたそこには、清廉さと慈愛に満ちた白い羽根を全身に纏う清香の姿があった。


「オルちゃん、お願いだからね!」


 その言葉が届いたかどうかは愛弓には確認できなかった。変身を終えた直後、まるでそれを待っていたかのように、清香の身体は一気に龍血核の中へと引きずり込まれてしまったから。


「大丈夫です。清香さんは龍血核をまだひとつ持っていますし、オルマティオさんは元々龍血核の「意志」。きっと良い方向へ向かいます」

「うん。信じてるから。だいじょぶ」


 きゅっ、と口を結んで次元の穴を見据える。


『ああいう顔するんじゃない、って前に言ったでしょうに』


 苦しそうに呟いたのは、デュオラだ。


     *


 もっと息苦しいのかと思っていたが、赤い巨人の中はちゃんと呼吸ができた。

 巨人の中は泥やゼラチンのように粘度の高い赤い物質で満たされているが、呼吸や歩けるだけのスペースはある。オルマティオが内包する龍血核と反発しているようだ、と説明された。


「じゃあなんで上で吸収されたの?」

『アユミの変身には彼女が集めたものを使ったからな』

「だったら、あんたの中の龍血核はまだ使えるのね?」

『ああ。それより、身体的な問題は無いようだな』

「ん。心配してくれてありがと。あと、変身拒否しなかったのも」

『問題ない』


 変身して彼の本質が少し分かった。ぶっきらぼうだけどいいやつ。愛弓が好きになるわけだ。


「こんな中で一万年もひとりぼっち、ねえ。想像できないな」

『お前達が受精し、出産されるまでの記憶が無いのと同じようなものだ。あの次元では時間はさしたる意味を持たない』

「ふうん。あたしそういう話苦手だから、それ以上詳しく話しても理解しないからね」手を横に振りながら苦笑する。

『そうか。早く外に出るぞ』

「まだよ。あたしまだやることあるんだから」

『お前が龍血核に吸収される可能性があるからだ』

「そのつもりだったら、とっくに消化してるわよ。心配性ね」

『何かあったらアユミが悲しむ。それだけだ』


 さらりと言われて清香は少し面食らった。


「惚れられたわね、愛弓も」

『勘違いするな。アユミに恩義は感じているが、私に性欲は無い』

「あ、そう。まあいいんだけど。愛弓結構頑固だからね」

『よく知っている』


 口調に諦観した色が乗っていたので清香は苦笑した。


「あいつのこと、よろしくね」

『ああ。アユミには大恩がある』


 本当に惚れられたなぁ、と呟いて、まだ手の中にある龍血核を見つめる。手元に残ったのは、これで正真正銘最後だ。でもこれだけ小さくなっては次元の扉は維持できなくなっただろう。紅薔薇たちがなんとかしてくれればいいけど、それは分が悪すぎる賭けだ。

 いまは自分が出来る最大限をやる。「彼女」への嫌がらせと、紅薔薇たちが笑っていられるために。

 胸に手を置いて、自分の鼓動を確かめる。

 生きてる。

 これからも、あいつと、愛弓と一緒に生きていくんだ。

 清香が掌の龍血核に意識を集中した刹那、龍血核に亀裂が入り、それはすぐに葉脈のように全体に広がっていく。


『いかん、吸収される』

「もう! もうちょっと我慢しなさいよ!」


 悔しさも顕わに叫んでみても、龍血核の崩壊は止める要因にはならず、あるいは鳥の姿ならば修復出来たかも知れないオルマティオは、


『すぐに来るぞ』


 低く強く警告を発した。

 ん、と返事をして三秒ほどの間が空いて、それは唐突に清香の眼前に現れた。

 強く眩く「意志」の光。赤い巨人の背中から透かし見えたそれとは比べものにならない輝きは清香の目を肌を照らす。


「っ!」


 両の手首足首に赤い泥がまとわりつき、限界まで引っ張った。痛みは無い。「意志」の光はこぶし大の塊となって清香の身体の周りを何度も漂い、やがて下腹部の前に停まった。


「そう。……ちょっとイヤだけど、いいわよ」

『おい?!』


 次の瞬間に何が起こるか、オルマティオでも察知できた。


「他に方法は、」


 言い終えるよりも早く、「意志」の光はするりと清香の下腹部へ沈んだ。

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