第29話 迷子の帰る道 2
雲に入った。視界は思ったより悪くない。ちゃんと互いの顔が見えるし、赤い巨人もほぼ全身が見渡せる。
「せーのっ!」
三人同時にかけ声を放つ。
最初に聞こえたのは、地響きのように重く、腹に響く音。次いで耳をつんざく、数百の落雷が起こったような轟音が駅前商店街全体に響き渡った。
轟音が収まると、雲を抜けた向こう側に十文字の亀裂が入り、はらり、と薄皮が剥がれるように、空が何枚も重なりあって捲れあがった。
切り裂かれたそのは、誰も見たことの無い世界が幾層も折り重なって映し出され、一番深い場所、何も重なっていない場所は漆黒の闇が広がっていた。
『開いた、か』
「あの一番奥の黒いところが、オルマティオの世界ね」
清香たちにも下の様子が見えているのは、きっとデュオラたちとも意識を同調させているから。清香はそう結論づけ、便利だからいいか、と納得した。
『ああ。私が生まれた世界だ。もう一度見れるとは思わなかった』
「オルちゃん嬉しい? それとも淋しい?」
『……少し、分かった。これが、恋しい、という感情なのだな』
「恋しい?」
『ああ。私はあそこへはもう行かない。アユミとこの次元で生きていくと決めた。だが、あの限りなく無に等しい空間はやはり私の生まれ故郷なんだと、痛感させられてな』
「そか。ちょっと嬉しい」
紅薔薇が、まあ、上品に微笑んだのと、赤い巨人が動き出したのは同時だった。左腕の断面がびくびくと動き、ついでずるり、と新たな腕が生えた。
「わあ。このでっかいのがやると不気味だね」
愛弓がつぶやく間に赤い巨人は両手を次元の穴へと伸ばす。こじ開けることは多分無いと思える。わざわざ地球に戻ってきたのだから。
「紅ちゃん!」
「ええ!」
即座に手を離し、愛弓と紅薔薇が赤い巨人の腕を伝って手首まで駆けていく。
清香が残ったのは、彼女が空中戦を苦手にしているから。あとは穴へ落とすだけなのだから、穴の維持は清香ひとりで十分だと三人とも判断したのだ。
『体調はどう? ひとりでも平気?』
「ん? うん。あいつに一個持たせたから、穴の維持はふたつあればやれる」
『大丈夫そうね。少し心配したわ』
「なによデュオラ。年上ぶっちゃって」
『たまには余裕あるところ見せとかないとあんた、私をただの居候としか思ってないから、ね』
「そんなことない。春嵐丸、前より楽しそうだから。……少し、感謝してる」
『ばか』
薄く笑って、自分の手を見る。
―あなたの手はふたつしかない
ふたつでいい。愛弓と、あいつと繋ぐ分だけあれば十分だから。
『もうじき雲を抜けるわ』
「分かった」
五秒と経たずに雲を抜ける。次元の穴の淵へ巨人が手を添え、包み込むようにして穴を塞ぎ始めた。
「せえのっ!」
目を見開き、意識を開放する。
三分の一ほど閉じられていた次元の穴が、再び開き始める。
力比べが始まった。
「くぅっ!」
すごい力だ。無理もない。だってこっちが持っている龍血核と、この巨人が使用できる龍血核とでは量が違いすぎる。
だがこちらにも優位な点はある。
愛弓たちが物理的に妨害してくれている。
自分ひとりじゃないこと。この事実は清香の心を強く支えてくれた。
その間にも赤い巨人の落下は続く。周囲の空間ごと拘束しているのか次元の穴も落下し、穴のサイズは半分になったところで膠着した。
『まずいわね。このままじゃ次元の穴が閉じるわ』
「だったら何か考えてよ!」
先に動いたのは、赤い巨人の方だった。
「やだ、なんで!」
愛弓の悲鳴に目をやれば、なんと彼女の変身が解けているではないか。
『巨人が龍血核の力を吸収したの?!』
『ああ。僕たちのも少しずつだが吸収されている』
デュオラたちの会話も清香たちの耳には届いていない。
「愛歩さん!」
紅薔薇が、別れ際に持っていった龍血核を半分に割って愛弓へと投げる。しかし、赤い巨人は愛弓が乗る右手を払う。反動で愛弓は中空へと投げ出された。投げられた龍血核が腕に当たると波紋を残して赤い巨人に沈んでいった。
「愛弓ぃっ!」
次元の穴の維持も忘れて清香は走り出す。その視界の隅で、人と同じ構造だと思い込んでいた赤い巨人の右腕がぐにゃりと逆方向に曲がり、清香へと迫る。
「なんでも有りね、もう!」押し出そうとする赤い巨人の手の下に潜り込み、「はあっ!」渾身の力を込めて蹴り上げた。
磁石の同極を近づけたように赤い巨人の手は大きく弾かれ、直後、虫を潰すように掌を振り下ろしてきた。
「ちょっと待ってなさい!」
自分たちをすっぽりと覆う圧倒的な影に清香は全く怯まない。深く屈んで十分に力を溜め、掌の中央へとロケットのように飛んでいく。
「せえっ!」
清香のアッパーにより、大きくたわみ、はじき飛ばされる赤い巨人の手はしかし、全くダメージを感じさせない挙動でまだ空中にいる清香の右側から掌底をぶつけた。
「きゃあっ!」
辛うじて両手を交差し、身を固めてダメージは散らせたが、空中で受けた清香の身体はピンポン球のように軽々と飛ばされてしまった。
「さ、や、ちゃぁんっ!」
巨人の下を潜って猛スピードで愛弓が清香へと飛んでいく。なぜ、と驚く紅薔薇の疑問はすぐに氷解する。
「かっこいーでしょー、紅ちゃーんっ!」
オルマティオが鷲よりもさらに大きな巨大な鳥へと姿を変え、その背中に愛弓を乗せて高く上昇している。
「オルちゃんが食べてた龍血核でおっきくなったのーっ」
言い終えるや否やオルマティオは翼から力を抜き、清香へと急降下していく。
胸をなで下ろしながら見送る紅薔薇は、こちらを振り落とそうと暴れる左腕の上を平然と歩きながら赤い巨人の背中へと戻った。
「さて、どうしましょうか。このままでは本当にジリ貧ですわ」
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