第27話 その輝きは愛に似て 6

 なんであんなことをしたのかわからない。

 あんなのはあたしじゃない。

 からだがかってにうごいたんだ。

 きっとそうだ。

 あいつがさきのばしにするからいけないんだ。


『随分オトコマエだったじゃない。おねえさんドキドキしたわよ』

「うるさいっ!」

『照れちゃってかーわーいーいー』

「黙ってないとあんただけぶん殴るわよ!」


 はいはい、と引っ込んだが、そんなことで清香の爆発しそうな恥ずかしさが消えるわけでもなく。


「なんなのよ、もう……っ!」


 せっかく勇気を出して言おうと思ったのに、あいつが変な理由を付けてはぐらかすからだ。

 ふと思う。

 あいつを見ていると湧き上がってくる、暖かく、心地よい感情を果たして何と呼べば良いのか、清香自身答えを出しあぐねている。

 たぶん、「好き」と呼べる感情なのだが、少し違う気がする。

 好きなだけなら愛弓だって母だって同じなのに、あいつに感じるのはもっと別の。

 考えて考えて浮かび上がってきた単語は、一番チープで凡庸なものだった。自分の無教養さにあきれ果ててため息と独り言を吐く。


「終わったら、ちゃんと言わないと」

『お、ついに口にしたわね』


 あれだけ言ったのに、性懲りもなく割り込んできた。


「殴るわよ」

『まあまあ。でもどうしたのよ急に素直になって』


 そのことなんだけど、と前置きし、


「あのさデュオラ」


 口調が変わったことにデュオラは少し戸惑う。


『え、な、なによ?』

「後でお願いしたいことがあるの」


 清香の声が幾重にも真意を隠していることぐらい、付き合いの浅いデュオラにも分かった。


『い、いいけど、なにするつもりよ』

「まだないしょ。どう転ぶか分からないし、あんたが痛い思いをすることは無いから、安心していい」

『だからってあんたが、』


 そこで巨人の肩まで到着した。デュオラは強引に押し込められてそれ以上言葉を発することはできなくなった。


「おまたせ、愛弓」


 オルマティオは巨人の右肩の真ん中あたりに座っていた。首の付け根に出た清香との距離は十歩ほど離れていた。

 赤い巨人の肩は思っていたよりも広く、傾斜もそれほどない。両脚を開いてもまだ十分に余裕があった。表面は濡れていないし滑ることもない。これなら踏ん張りも効く。不思議だったが、デュオラに解説してもらっても理解できないだろうな、と疑問を口にしなかった。


「あとはもう、このでっかいのだけだから。さっさと終わらせるわよ」


 オルマティオは首だけを振り返って清香を見つめ、淡々と言った。


『お前たちが龍血核と呼ぶこの巨人は、本を正せば私の器だ。どう使うかは私が決める』

「あんたが何をするつもりなのか知らないし、納得出来る内容ならあたしも手伝う。だからその前に愛弓と話をさせて」


 オルマティオはゆっくりと首を振った。


『アユミはいま深い眠りに落ちている』


 予想通りの答えに、ああもう、と荒い鼻息をひとつ。


「ウソ寝は止めていい加減に出てきなさい、愛弓。オルマティオのことはあたしも悪いやつだとは思ってないから」


 驚いたように目を見開き、オルマティオは薄く笑った。


『よく分かったな』


 まあね、と頭をかいて、


「さっきあれだけ紅薔薇のこと泣かせておいて、まだあいつに言い足りないことがあるとか思えないし、あいつが泣いてた理由とか考えたら愛弓が何しようとしてるかぐらいは想像つく」


 じっと愛弓を見つめる。


「だから出てきなさい、あたしたちも手伝うから」


 元々、こじれていたあいつとの関係をどうにかしたかったら協力していた清香にとって、事の善悪はそもそもどうでもよく、困っている人に優しく手を差し伸べてしまう愛弓の気持ちも理解できる。


「ねえ、あんたは一体何者なの? あたしのパートナーは知らないって言うから、教えて」


 分かった、と語った素性は、彼に異変が起こるまでの出来事を短くまとめたものだった。

 聞き終えて清香はやっぱり、と嘆息した。


「デュオラ。あんたたちが一番悪い、って分かった?」

『う、うん。その、ごめんなさい。オルマティオ、許して欲しいとか言わない。あなたの好きなようにしていいわ』

『お前を痛めつけても、痛むのはアユミの拳とその猫だけだ』

『だからってなにも贖罪をしないわけにはいかないわ』

『ならばアユミに協力しろ。それだけでいい』

『分かったわ。全面的に協力する。……ありがとう』

「で、オルマティオ。あんたたちの体調はもういいの?」

『ああ。あのときは吸収した龍血核から呼び起こされた記憶の奔流に私自身が耐えきれず、制御不能になった。アユミが追いかけて落ち着かせてくれたから、いまは大丈夫だ』


 んー、とサヤカは首を捻りながら説明をかみ砕く。


「食べ過ぎて苦しくなって戻しそうだったから席を外してたら、愛弓が背中さすってくれて落ち着いたってこと?」

『お前たちで言えばそうだな』

「なによもう。自分のからだだったら、ちゃんと自分で動かしなさいよ」

『サヤカに言われたくないと思うけど?』


 デュオラのため息に、清香の顔が真っ赤になる。


「うるさいっ! あたしのことよりオルマティオでしょ!」


 怒鳴ったことでどうにか冷静さを取り戻した清香は、内に秘める作戦をひとつ進める。


「これは返すわ。あたしたちが持ってても扱いに困るだけだから」


 自分のポシェットを探って龍血核を取り出す。巨木のような大きさに清香も少し驚いた。

 龍血核を巨人の肩に置くと、そのままするすると沈み込み、どぷん、と重い水音を残して全て沈んだ。


『おまえ達はそれを欲していたんじゃないのか?』

「あいつは欲しがってたけど、あたしは欲しがってたわけじゃないわ」

『そうだったな』

「愛弓はなんて言ったの?」

『こっちに置いておくのは難しそうだから、どうにかして返したい。アユミはそう言ってくれた』


 愛弓らしいわね、と嘆息する。


「でもあんたはともかく、このでっかいのは地上に居続けることはできないと思う」下に顔を向け、「上がってきて!」紅薔薇を呼びつける。


 散歩に誘われた飼い犬のように顔を輝かせながら紅薔薇が凄まじいスピードで駆け上がってくる。あっという間に踏破して清香の左に並び立つ。彼女の笑顔があまりにまぶしすぎて、別れ際のアレがまたくっきりと脳裏によみがえり、赤面してしまう。


「……さっきの、忘れてくれていい、から」


 あいつへの気持ちに整理は付いたが、恥ずかしいものは恥ずかしい。


「あら。照れてらっしゃるのですか? あんなに情熱的でしたのに」


 のぞき込んできた紅薔薇の顔は、いつも以上に大人びていて、なのに自分はすごく子どもっぽい表情をしてるに違いないと思えて、とても満足に視線を合わせられなかった。


「ばかっ」


 うふふ、と笑い、紅薔薇はオルマティオに視線をやる。清香は、頭ひとつ分高い紅薔薇の横顔を見つめ、気付かれる前に視線を愛弓たちに向けた。


「ねえオルマティオ。龍血核は宇宙に出しておいてもへいき?」

『……どういう意味だ?』

「もし大丈夫なら、あんたもその鳥の姿でへいきなら、からだだけは何にもない宇宙に置いておけば、少なくても瓦礫の巨人は出てこないかな、って思ったから」

『このからだは、光すらない空間で産まれた。問題は無いと思うが』

「じゃあみんな手を貸して。このからだを宇宙に一旦預ける」

「ならひとつ提案があります。月軌道よりも内側は宇宙ゴミで溢れています。龍血核を放置すればいままでのようにデブリを纏ってしまうでしょう」


 その先に龍血核がどんな行動に出るのか、誰にだって想像できる。


「じゃあその外に、ね。紅薔薇、月まではどれぐらいあるの?」

「およそ三十八万キロですわ。でも、龍血核の力を使えば、ですわね、イゼルマさん」

『耳に痛いね。実は怒っているんだろう?』

「いえいえ。そんなことありませんわ。おーっほほほ」


 目が笑っていなかった。

 仲いいなぁ、とふたりを羨ましく思いながら愛弓を呼ぶ。


「愛弓来て。三人必要なの」


 渋るかと思ったが、案外素直に立ち上がってくれた。


『何をしたいのかは分かったが、急いだ方がいい。この龍血核に新たな意志が産まれようとしている』

「あ、さっき話してたやつ?」


 歩きながらオルマティオは、「アユミには少し話したが」、と前置きし、


『本来「龍血核の意志」は、この星の時間で一万年かけて成長する。しかし私は五千年ほどで引きずり出され、数日で自我を得た。この次元は「意志」の成長に影響を与える要素が多すぎる。早ければあと数時間もしないうちに新しい「意志」は産まれ、おそらく未熟な自我を得る』


 焦燥感を含んだオルマティオの説明に、清香は首を傾げる。


「あんたは嬉しくないの? 弟か妹が生まれるのに」

『現在「意志」は胎教と同じくお前たちの闘争を見て育ち、それを意思疎通の手段として認識している。私もアユミと触れあうまではそう思っていたし、巨人が瓦礫を纏って暴れるのも、原因はそれだ』

「そんな……」

「ほらみなさい。あんたが楽しそうにやるから、でしょ」


 え、とデュオラが驚いたように口を挟む。


『なに、あんた気付いて無かったの? あんたも満面の笑顔で殴り合ってたの』


 一番そばにいた彼女に反撃されて、清香はぐうの音も出なかった。


「と、と、とにかく。うん、とにかく「意志」が生まれるまであとどれぐらいかかるの?」


 恥ずかしそうに咳払いをして、清香は話題を戻した。


『……正確には分からないが、あと十時間以内には必ず生まれる』

「そんなことになってるなら、いまさら宇宙へ放置しても」

『効果はある。ただそれはアクセルを踏んでいない、というだけでブレーキを利かせている状態ではないがな』

「やらないよりは、ってことね」


 ああ、とオルマティオが頷き、清香が深呼吸した次の瞬間、赤い巨人が身じろぎした。


『始まったか』

「あんた、とことん冷静ね」

『私はこれ以上の感情は無いからな』

「ちょっとだけうらやましいわね」


 言いながら清香は愛弓と紅薔薇に手を差し伸べる。

 手の平に、腕時計の文字盤ほどの龍血核の欠片を三つ乗せて。


『やはりまだ持っていたか』

「そりゃあね。切り札は取っておかないと」


 オルマティオのあきれ顔にも笑顔で応える。

 その間に愛弓が龍血核のひとつを取って掌に乗せ、紅薔薇に手を差し出す。


「オルマティオさん、いままでの非礼をお詫びいたします。わたくしが浅薄でした」


 にゃふ、と愛弓が口角を上げ、オルマティオが答えた。


『あれは全てアユミが考え、行ったことだ。私にそこまでの深い感情はまだ無い』


 意を決したように、だが悲痛な面持ちで紅薔薇が愛弓の前に愛弓出て、


「不躾ではありますが、イゼルマさんを通じておふたりの会話は聞いていました。ですから出てきてください愛弓さん。わたくしには耐えられません」


 言い終えるや否やオルマティオの表情が一気に明るくなる。髪も肌も色が戻っていく。彼女が帰ってくる前兆だ。紅薔薇の気持ちも明るくなった。


「しょうがないにゃあ。せっかくさいごまでこのままで行こう、って思ってたのにさ」


 腰に手を当てて清香は呆れたように言う。


「やっと出てきたわね。心配させないでよ」

「ごめんごめん。でも考え事したかったし、清ちゃんと話がしたかったのも本当だし」

「……愛歩さん」


 怒っているような、安堵したような、複雑な表情をした紅薔薇がそこにいた。


「愛弓さんは、おひとりで何をなさろうとしていたんですか?」

「だから、考え事をさ」

「違います! わたくしから遠ざかっていくあのとき、愛弓さんはひとりでこの巨人をどうにかなさるおつもりでした! だからわたくしは……っ」

「んー、まあ最初はね。どうにもできないならわたしが、って思ってたけど、清ちゃんも同じように考えてたって分かったから、いまはみんなでやるつもりだよ?」

「そうやってまた、わたくしをのけ者になさって……」


 拗ねる姿がかわいい。

 が、誤解は解いておこうと清香は愛弓の隣に立って紅薔薇の鼻先に指を突きつける。


「だーかーら。あたしと愛弓のことであんたが妬くのは筋違いだ、って言ってるでしょ」ぴん、と軽く鼻先を弾いて、「愛弓はともだちで、あんたは……好きなひと、なんだから」


 場が、静寂に包まれた。

 もうおかしくなっているのだから、このまま突っ切ってしまえばいいや、と清香も覚悟を決めての発言だ。

 静寂を破ったのは愛弓。


「おおお。ついに言ったねぇ。言っちゃったねぇ」

「ほ、ほんとう、ですか……?」

「二回も言わないわよ。聞き逃したなら当分言わない。だから、あんたはヤキモチとか妬かなくていいから」

「う、うれしいです……」


 いまにも泣き出しそうな紅薔薇を見て、さすがに慌てて清香が付け加える。


「でもね、け、けっこんとかは分からないわよ。あんたが途中で飽きたりすればそれまでなんだから」

「そんなことはしません!」

「そう? ありがと。あたしも嬉しい」


 言って小首を傾げて微笑む姿が実に幸せそうだ。


「ずるいですわ。そんな風に可愛らしくなさるなんて」

「たまにはね」

「ちょっと見ない間に清ちゃん変わったね。前は絶対にそんな風に笑わなかったのに」

「言ったでしょ。たまには、って」


 微笑みあう三人に、オルマティオが冷静に告げる。


『終わったか? だったら急いだほうがいい』

「あんたねえ。もうちょっと余韻とかさあ」

『そんなものを感じていたら全てが終わる』


 そうだけどさ、と照れ隠しをしながらもう一度龍血核を手のひらに乗せて愛弓の前に差し出す。にゃふ、と口角を上げてふたつを取り、空いた左手を龍血核が乗る掌に重ねる。


「ほら、紅ちゃん」


 ええ、と穏やかに微笑み片膝をつく紅薔薇。そのまま龍血核をひとつ受け取って左手を愛弓の掌へ、まるで王族にかしずくナイトのように恭しく乗せる。そしてゆっくりと立ち上がって右手を、清香の左手に乗せる。


「これで、ひとつになれますわね」

「もう、ばか」


 差し出された紅薔薇の掌に自分のそれを乗せる。右手に愛弓の、左手に紅薔薇のぬくもりを感じる。意識を集中すると、ふたりが互いのぬくもりを感じていることも感じられる。


「……すごい」

「うん」

「ええ」


 感動しているのはイゼルマたちも同じだった。


『三人の思いの力が次元因子を媒介にして龍血核へ作用しているね。生身でこんな芸当、僕たちにも出来ないよ』

『ちょっと待ってよ。次元因子は、三次元人には意識して干渉できないはずよ。なのに、なんでこんなに……』

『じゃあこれが、心の力なのかな。肉体と、精神と、魂がそろって初めて生まれる、生命体が持つ究極の力。だからこの次元はこんなにも生命に溢れているんだろう』

『だろうな。三つが揃うのは三次元の生命体だけだ。そしてアユミたちヒトは、その力を最大限に発揮できる』

「にゃふふ。オルちゃんたち楽しそう」

『ああ。こんなにも高揚するのは初めてだ』


 うふふ、と紅薔薇も微笑む。


「そろそろいきますわ」


 三人の中心に朱い光が生まれ、見る間に膨らんで三人を赤い巨人を包む。


「紅薔薇、ナビをやって。愛弓はそれを目標にして飛んで」

「清ちゃんは?」

「あたしはふたりを守る」

「おー、かっこいー」


 にゃふ、と愛弓が微笑むと巨人は重力から解き放たれ、ふわりと浮き上がる。

 三人同時に空を見上げる。

 愛弓がばさぁっ、と背中の翼を大きく広げた。


「いくよっ! せーのっ!」


 かけ声の直後、三人は宇宙にいた。

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