第25話 その輝きは愛に似て 4

『私は人類じゃない』


 驚く清香を薄く笑いながら続ける。


『さっきも言ったけど、「地球の意志」みたいなものね。色々都合がいいからこういう姿をしてるけど、体の組成は人間とは全然違うわ』


 少なくとも清香の目には人間にしか見えない。

 信じられないが、やることはひとつだ。


「あなたが誰であっても、どんな存在であっても、あたしは赤い石の場所を教えてもらえればそれでいい。だからこれ以上邪魔したり、足止めするつもりなら」


 腰を落とし、全身に力を込める。


『そうやってすぐに暴力で片付けるの、いい加減止めたら?』

「うるさいっ!」


 砲弾のような加速で「彼女」の間合いを詰める。「彼女」はくすくすと挑発的な笑みを浮かべるだけ。ぼこん、と地底湖が大きく粟立ったのを視界の隅に捕らえ、次の瞬間には赤い壁に叩き飛ばされていた。


「っ?!」


 痛みもあったが、それよりも驚きの方が強い。吹き飛ばされながら清香は自分を殴りつけた壁へ視線をやる。そこにあったのは赤い、指だけで人の背丈ほどもある巨大な拳だった。


「……龍血核?!」


 くるりと回転しながら着地して、巨大な拳をじっくり見る。デュオラが囁く。


『間違いなく龍血核よ』


 微笑みながら「彼女」が人差し指のあたりに寄り添い、言う。


『さ、出ておいで。本当の姿を見せてあげなさい』


 呼びかけに応えるように、ざぱっ、と地底湖が激しく波打つ。


『いきなり出てきてわたしを食べようとするから、一発ひっぱたいて反省するまでそこに閉じこめておいたの。あなたたちの目には映らないように細工はしてね』


 ざぱ、と湖岸に巨大な赤い手が乗せられた。「彼女」が寄り添う拳が広げられ、地面に手の平を付けると激しく波打つ地底湖の湖面が大きく盛り上がり、頂点を突き破るようにして頭部とおぼしき部位が現れる。

 丸みを帯びた頭部はゆっくりと上昇し、首も顎も見当たらないまま肩へと繋がり、ふた抱えはあろうかという腕へと続く。胴体にも継ぎ目や割れ目は無く、ただのっぺりとしたままの輪郭は湖面から出している腰のあたりまで続いている。


『あー、ストップストップ。天井破けちゃうわ』


 腰の部分が湖岸に差し掛かったあたりで巨人の頭部は、天井から伸びる鍾乳石を擦って破片をぽろぽろと落としている。「彼女」の言葉が通じたのか、赤い巨人はそれ以上湖からあがろうとせず、湖岸に手をついた状態で動きを止めた。


「きれい……」


 表面は磨かれたようにつるりとしていて、そこから染み出す朱い液体が洞窟を照らすライトグリーンの光を反射して金色に輝いていた。


『やっぱり、生命体だったのね……』


 デュオラが呟く。仮説の証明ができたことへの悦びよりも、目の前の圧倒的な存在への畏怖が強く出ていた。

 呟きを耳ざとく聞きつけた「彼女」が皮肉っぽい笑顔で返す。


『ずーっと昔から、みんな色々試してたけど、地面の上で暮らすには、やっぱりこの形が一番いいみたいね』

「みんな……」


 清香の呟きは、赤い巨人が湖から現れる水音でかき消された。


『あなたたちが欲しがってるのは、こいつね?』

「そうよ。どうにかして処分するか元の世界に返すかするから、渡して欲しいの」


 すっかり嫌われたな、と「彼女」はため息を零し、


『いいけど、どうやって返すの? あなたが着てる猫くんの中にいるひとだって、送り返す道具も技術も無いんでしょ?』

「なんとかするわ」

『もっと具体的に言ってよ』

「……ひとつ、考えがあるから。うまく言えないけど、ちゃんとしたイメージはあるわ」


 ハッタリでも、急な思いつきでもない。

 龍血核が生命体かも知れない、と言われたときからずっと考えていた。どうにかして送り返す方法は無いか、と。


『ふうん。まあいいわ。でもさ、ちょっと分けてくれない? わたしも病み上がりだからさ。滋養のあるものを欲しいの』


 病み上がり、と言う言葉に引っかかり、清香は問いかけてしまった。


「……怒ってるの? 人があなたにしたことを」


 紅薔薇ならいざ知らず、清香は普通の女子高生だ。人類が行ってきたことの全てを把握しているわけではない。が、映画や歴史の授業で見聞きするのは、人類の歩みは破壊と闘争に彩られている、という事実だ。

 それを清香は「他人がやった事」だとはどうしても思えない。父と母がいて自分がいる。その父母だって親がいる。そうやってずっと辿っていけば、かつて行われた環境破壊に自分が関わっていない、なんてとても言えない。

 深く考えすぎだよ、と愛弓は苦笑し、ご自分を責めないで下さいまし、と紅薔薇は手を握ってくれた。

 目の前にいる「彼女」の言を完全に信じたわけではないが、超然とした雰囲気は確かにそれを裏付けている。「彼女」の返答を身構えながら清香は待った。


『あんなの。ちっとも苦しくなんか無かったわ』

「でも」

『あのね。わたしにはでっかい隕石が何個もぶつかったり、丸ごと全部凍ったりした時期だってあるのよ? 大気の状態がちょこっと変わって気温が上がったぐらいでどうにかなると思う?』

「お、思わない。けど」

『でしょ? まあ、お腹壊して苦しんでるひとに絆創膏貼って喜んでるような感じのことをやられても、って思ってはいたけどね』

「……ごめんなさい」

『あなたが謝ることは無いわ』


 明るく笑う姿が、余計に清香の胸を締め付ける。


『これでも少しは期待してるのよ。あなた達のこと。せっかくここまで命を繋いできたんだから、太陽系を飛び出すぐらいしてくれないと。お母さんとしては物足りないわ』

「でも」


 自分だって些細なことでケンカしたりへそを曲げたりしている。そんな種族がどうやって仲良く宇宙で暮らせるようになると言うのだ。

 そんな清香の不安を「彼女」は、またも明るく笑って吹き飛ばす。


『自信持ちなさい。わたしも、あと四十億年ぐらいなら見ててあげられるし、あなたたちよく言ってるじゃない。愛は地球を救う、って。いい加減証明してみせてよ』

「あ、愛とか、そういうの……」


 紅薔薇の顔がいくつも脳裏を過ぎり、戸惑う清香に「彼女」は穏やかに微笑みかける。


『あら、両方の性を愛せるあなたなら、世界を変えられるかも知れないわよ』

「……いじわる」


 ふふ、と清香の睨みを受け流し、「彼女」は赤い巨人に向き直る。


『じゃあ、この赤いのは私が食べるから、あなたはそこで見ていてね』


 また唐突に話が変わった。

 理解が追いつかない清香へ、「彼女」は構わずに続けた。


『すぐに食べなかったのはね、証人が欲しかったから。無い無い、ってあちこちほじくり返されても迷惑なだけだし』


 え、と「彼女」の言葉を咀嚼し直す。ようやく理解が追いついて、叫ぶ。


「食べる、ってちょっと待ってよ!」

『なによもう。ひとの話聞いてなかったの?』

「あたしだって渡して欲しい、って言った!」

『ちょこっとだけよ。どれぐらいでお腹いっぱいになるかは、わたしにも分からないけど』

「そんなの!」


 駆け寄って肩を掴んで赤い巨人から引き離そうとする清香。しかし、あっさりと掴み返されてあっさりと投げ飛ばされてしまった。


『ひとの食事を邪魔しないの。お母さん怒るわよ』


 指を鳴らすと、清香が着地した地面が突如盛り上がり、まるで意志があるかのように足を絡め取り、がっちりと固定してしまった。


「このっ!」


 足を固定する土を破壊しようと拳を振り上げるが、もう一度「彼女」が指を鳴らすと、地面がロープのように清香の両腕も絡め取り、固定する。


「なんでこんなこと!」

『いまさらさ、人や生き物が何を食べて生きてるか、とかのお説教はしたくないわ。あなたはそこで見ててくれればいいの』

「待ちなさいよ!」


 清香の怒号を、肩越しにひらひらと手を振って払い除けて「彼女」は赤い巨人の手の甲へ腹ばいになり、大きく口を開けて、がぶしゅ、とかじり付いた。

 顔を離すと同時に赤い液体が噴き出し、「彼女」の顔を全身を赤く濡らす。しかし汚れなど委細構わず「彼女」は手の甲から五指へ、そして手首へかじり付き、食いちぎって咀嚼し、喉を大きく鳴らす。

 手首から始まった「彼女」の食事は一切の躊躇を見せずに巨人の肘を通って肩口へと進んでいく。瞬く間に左腕は欠片も残さず食べ尽くされ、そのまま横っ腹へとかじり付いた。

 巨人が動き出したのはその瞬間だった。

 ぶるぶると身をよじらせながら顔を下へやる。最初に「彼女」を、次いで清香を確かに見た。

 不審に思った「彼女」が食事を中断させて巨人を睨みつける。


『こら、動くな』


 顔を髪を赤く染め上げた「彼女」が短く叱りつけても巨人は動きを止めず、湖岸に乗せていた右腕で横っ腹の「彼女」の頭を鷲掴みにしてそのまま清香の頭上を掠めるように壁へと投げつけた。


『ちょ、うわわっ!』


 壁に叩き付けられるより早く「彼女」は猫のように中空で体を何度も回転させ、軽やかに着地した。


『こらぁっ! いきなり何するの!』


 怒鳴りつけながら全身から赤い液体をぼたぼたと滴らせる「彼女」の姿は、赤い巨人と相違なく見え、あるいは命の本来の姿とはこういう物なのかも知れないと清香は思った。


「呼ばれてる?」


 清香の呟きに「彼女」が振り返る。


『誰に?』

『……多分、地上の龍血核に』


 そうとしか考えられない。

 龍血核は、元々一つの生命体だったのだから。

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