第20話 「心」と「意思」と 4

 鼓動に似た感覚が脳を揺さぶり、その余波が悪寒となって全身を駆け抜けていった。

 その震源地がそれぞれに持つ龍血核だと気付くまで、そう時間はかからなかった。

 一番苦悶の色が濃かったのは紅薔薇だった。清香と愛弓は頭痛程度の衝撃でしかなかったが、彼女の白磁のような肌は青ざめ、すぐさま紅潮し、熱く濃い息を吐き出した。


「……イヤ、ですわ……っ。わたくしたちが振るうのは、ただ暴力を示すものでは……、いいえ、違います。拳で語らう、と言うことは……あなたがやっていることとは、真逆の事なのですから……っ!」


 途切れ途切れに聞こえる彼女の言葉は、誰かと会話をしているようにしか聞こえず、だが彼女以外の誰もその相手を見つけられない。

 背筋がぞっとする。


「紅ちゃん、誰と喋ってるの!」

「なにをやったの、デュオラ!」

『私じゃないわよ!』

「紅ちゃん、ポシェット捨てて!」

「……そのような考えは……愛が、心がありません。わたくしは、そのような考えで拳を振るっているのではありませんっ!」


 ポシェットを外し、両手で振りかぶる。地面へ投げつけようとして、動きが止まった。


「……っ!」


 このポシェットは市民プールへ行くために、と三人でショッピングに行った時に買ったものだ。清香が身につけているウエストポーチと同じメーカーなのは、言うと怒るだろうから内緒にして、ふたりに気付かれないようにこっそりとレジに持っていったお気に入りだ。


「早くしなさい! 怒るわよ!」


 その清香に怒鳴られて紅薔薇はようやくポシェットを投げ捨てた。


「は、はいっ!」


 べしゃっ、と湿った音を立ててアスファルトに落ちたポーチから、じわり、と龍血核が滲ませる赤い液体が滲み出てくる。

 悔しそうに、苦しそうにポシェットを見つめる紅薔薇があまりにも哀れに見えた愛弓は彼女の肩をぽん、と叩いて、


「だいじょぶだよ紅ちゃん。また今度買いに行こ。もしよかったらわたしが新しく作るし」


 ぐす、としゃくり上げて紅薔薇は笑顔を作った。


「はい。そうですわね」


 任せて、と頷いて、訊くべきかどうか一瞬だけ考えてからすぐに疑問を口にした。


「でもさっき紅ちゃん、誰と喋ってたの? 黒ちゃんの中にいるひと?」

「……イゼルマさんでは、ありません。彼と近しい存在だとは思うのですが、もっと幼くて、わたくしたちの決闘を、誤認なさっているようなご様子でした」

『それ、まさか……』


 口を挟んだのはデュオラ。心なしか動揺がみえる。


「デュオちゃん、心当たりあるの?」

『ううん。まさか。いくらなんでも速すぎるわ……』


 そう言い残して引っ込んでしまったため、これ以上の詮索は出来なくなった。もう、と唇を尖らせてから、ポシェットの落ちた場所を注視する。


「ねえ、清ちゃん。さっき倒した巨人の核があんなに小さかったならさ……」

「言っちゃだめ。あたしだって考えたくない」

「……やっぱし?」


 ふたりの間に紅薔薇が立ったその時。聞き覚えのある不気味な音が三人の耳朶を打った。

 重く、粘り気のある何かが地面を這い回るような音だ。

 ポシェットが落ちた場所を頂点として、アスファルトが盛り上がり、人の形を成しながら、アスファルトや周囲の建物まで巻き込みながらどんどん巨大化していく。

 その迫力に圧倒され、ポシェットが転がって剥き出しの地面に落ちたことには誰も気付いていない。


「おふたりとも、逃げてくださいまし。ここはわたくしが」


 一歩前に出てふたりを振り返った紅薔薇が悲痛な面持ちで宣言した。


「やーよ。逃げてどうにかなるなら全力で逃げるけどね」

「そだよ。わたしも清ちゃんも好きで巻き込まれたんだから」


 ふたりは笑顔で突き返す。

 でも、と言いかけた紅薔薇を、清香が釘を刺した。


「いいわね。あんたとはもっともっと、おばあちゃんになっても遊びたいんだから、責任感じてひとりで突っ走ったりするんじゃないわよ」

「いいこと言うね、清ちゃん」


 褒められて照れる清香の手を、紅薔薇がきゅっ、と握り締める。やっと落ち着き始めた鼓動がまた弾けんばかりの勢いで鳴り始める。


「ふつつかものですが、末永くよろしくお願いいたしますわ」


 あまりにもしおらしく、瞳を潤ませて言うものだから、先ほどの自分を思い出してしまった清香は耳も鎖骨も真っ赤にして怒鳴り返す。


「ば、ば、ばか! なんでこんな時に言うの!」

「あら、もうわたくしの気持ちはお伝えしたはずですし、清香さんも先ほど……」


 頬を赤らめる紅薔薇の表情は、清香に自分たちの未来を想像させるのに十分すぎて。

 恥ずかしそうに目線を逸らすふたりを見て、愛弓はにゃふ、と微笑んでふたりと手を重ねる。


「そだよ。わたしも末永くよろしくね」

「もう、あんたまで」


 しかし両手から伝わるぬくもりは恥ずかしさを鎮め、これ以上ない勇気を与える。ふたりもそうだといいな、と清香は祈った。


「とにかく。いまはあいつから龍血核を抜き取ることが先よ」

「うんっ!」

「はい!」


 見上げてみれば、何という巨大さだろう。

 巨人が作る押しつぶされそうな影にすっぽりと覆われた三人は、もう一度だけ手を握り合う。

 ひとりでも、ふたりでもきっとくじけていた。けれど、三人だからきっとやれる。

 大丈夫。春嵐丸たちだっているんだ。

 やれないはずがない!


「行くわよ!」


 清香のかけ声と共に三人が一斉に飛びかかる。ずずん、と重い音を立てて巨人の拳が地面にめり込む。紅薔薇が腕を伝って巨人の胸部を目指して駆け上がっていく。


「てああっ!」


 大気さえ振るわせる裂帛の気合いと共に、コンクリートが鱗状に覆う胸部へと渾身の拳撃を放つ! 耳をつんざき、肩を竦ませるほどの轟音が鳴り響く。ぐらりと巨体がよたつき、丸太を束ねたような両腕が店舗群をいとも簡単に破壊していった。 


「あの辺りも避難は完了しています!」


 ならばもう遠慮はいらない。


「おぉ~、さっすが紅ちゃん。わたしも負けないんだから!」


 今度は愛弓。空き店舗を破壊しながら後退する巨人の顔面目がけ、


「ラブリー・ストライクぅっ!」


 この至近距離でヴェイパートレイルを引くほどの加速を加えたパンチを見舞う。この一撃で巨人の額から上が弾けるように破壊され、完全に転倒。背中や腕に無人の家々がビル群が押しつぶされていく。遠慮はいらない、と分かっているが心は痛む。


「ったくもう!」


 豪雨のように降り注がれる瓦礫をしなやかにくぐり抜けながら、清香はまだ残っている建物の屋上を飛び渡って巨人へと迫る。

 どれだけサイズが大きくなろうと、龍血核のある場所はきっと同じ。


「せえのっ!」


 適当な屋上から跳び上がり、巨人の胸に飛びつく。倒れているのに、その高さは飛び渡ってきた民家の屋根と同じ高さだった。紅薔薇の一撃により大きく凹んでいるが、まだ龍血核には届いていない。


「このっ!」


 拳の乱打を浴びせ、瓦礫を剥ぎ取っていく。しかし分厚く張り付いた瓦礫は中々剥がしきれない。それを見かねて紅薔薇たちが加勢に入る。


「わたくしたちも!」

「うんっ!」


 三人同時の攻撃で掘削速度は跳ね上がり、ものの数秒で龍血核の赤い固まりに辿り着く。ふう、と愛弓が安堵のため息を漏らす。直後、巨人が両手を持ち上げ、三人を押しつぶそうと振り下ろす!


「紅ちゃん!」

「はい!」


 愛弓と紅薔薇が同時に迎撃に向かう。愛弓が右、紅薔薇が左。テニスコートほどもある巨人の胸を駆け抜け、腕を伝って駆け上っていく。


「せえっ!」


 巨人の手首付近でジャンプした紅薔薇は、回転をたっぷりと加えた踵落としを見舞う。その一撃で巨人の手は粉々に粉砕され、ばらばらと破片をまき散らす。その衝撃で一旦動きを止めた腕はしかし、手首だけになりながらも紅薔薇を殴りつける。


「きゃうっ!」


 攻撃後の無防備な瞬間を狙われ、さすがの紅薔薇も防御できず、そのまま巨人のヘソ近くまで吹き飛び、何度か転がってようやく止まった。

 右肘のあたりで立ち止まった愛弓は、紅薔薇の元へ駆けつけたい衝動を懸命に抑え、


「ラブリー・ブレードぉっ!」


 手刀で縦横無尽に切り裂き、右肘から先を破壊する。これで反撃はできないはずだよね、と破片が降り注ぐ中で翼を広げ、紅薔薇のもとへ急行する。


「いけませんわ、愛歩さん!」


 どうにか立ち上がった紅薔薇が見たのは、落下する破片が意志を持つかのように愛弓へとまとわりつき、彼女を雁字搦めにして地面へと引きずり落とす様子だった。


「磁石じゃ、ないんだから!」


 どうにか受け身は取れたが、愛弓へは破片が次々と襲いかかり、彼女の体を覆い尽くしていく。あっという間に背中が見えなくなり、手や足に付着した瓦礫が巨人の表面と結合し、愛弓を四つんばいの姿勢で固定した。


「愛歩さん!」


 紅薔薇が駆け寄り、背後から肩を掴んで巨人から引きはがしにかかる。


「待って紅ちゃん、清ちゃんが!」


 え、と清香のいる方向に視線をやれば、彼女の周囲から三メートルほどの巨人がぞろぞろと生まれ、取り囲んでいた。ざっと見積もっても三十体はいる。壁となった巨人たちの向こうでは清香が反撃に転じた様子が聞こえてくるが、狭められた足場で満足な攻撃を繰り出す余裕はきっと無い。

 かといって愛弓を放置して、こちらにも巨人が現れたら彼女はどうなる。


「そんな!」


 どちらを優先すればいいかを逡巡する間にも清香を囲む巨人は数を増していく。愛弓に張り付いた瓦礫は少しも剥がせていないのに―。


「わたしはいいから、清ちゃんを!」

「は、はい!」


 指示されてやっと紅薔薇は走り出す。


「清香さん、いま参りますわ!」

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