第18話 「心」と「意思」と 2

「はー、やれやれ。やっと終わったよ」


 瓦礫の巨人たちを片付けて愛弓は変身を解き、災害時は無料となる自販機からスポーツドリンクを一本失敬して休息を取っていた。

 体を動かすのは好きだ。

 もともとのセンスもあったのだろう。中学生の頃はいくつもの運動部に助っ人として公式試合に出場もしていた。

 しかしそれでは一生懸命練習している正規部員に悪いから、と高校に入ってからは全ての誘いを断っている。


「プロになろう、って子もやってるんだしね」


 日陰に入ろうと周囲を見回し、見つけた生家では無い別の本屋の軒先に移動してガラス窓にもたれかかって変身を解いた。


「んじゃ、はいこれ」


 頭に乗っているオルマティオに、集めた龍血核を差し出す。ひとつひとつは小さかったが、数が多かった為、全部集めたら両手に乗るほどになっていた。オルマティオは飛び降りて両脚で龍血核を掴むと愛弓の足下に落とし、自身もその近くに降りた。


「はやく記憶が戻るといいね」


 ああ、と答えてくちばしで器用に持ち上げて一気に龍血核の固まりを飲み込む。蛇みたい、と愛弓はぼんやりと思った。


「いい天気なのはいいけど、暑いのはどうにかして欲しいなぁ」


 これでこのじっとりとした暑ささえ無ければ、絶好の読書日よりなのに。すぐ後ろが本屋なので覗いてみたい衝動にかられたが、お店のひともいないしね、と諦めた。


「清ちゃんと紅ちゃん怪我して無いかなぁ」


 と、ゆったりと心配しつつ、ドリンクをもう一口。じわりと冷気が染み渡る感覚に目を細める。怪我で連想するのは、この商店街のひとたちだ。


「逃げ遅れたひととか、いないといいけど」


 野良猫の一匹も見かけないのは、異常や危機を察知して逃げているのだと、愛弓は信じる他無かった。

 紅薔薇のSPたちの姿も見えないが、彼らは彼らでやるべきことを果たしているのだろう。


「紅ちゃんがそういう無茶を指示するはず無いしね」


 突拍子もないことをやるのは、下界の風潮に慣れていないから。彼女本来の居場所でなら、どんな些細なミスもしない。愛弓はそう信じている。


「早く平穏無事な日々が戻りますように」


 自分もこの瓦礫を造ったからこそ、そう願わずにはいられなかった。

 瓦礫の撤去や建物の修復に、素人の自分が何も手伝えることは無いのだから。

 もう一口ドリンクを飲んで、よし、と立ち上がると、


「愛歩さーん」


 力強く、優雅なストライドで紅薔薇が駆け寄ってくる。


「あ、紅ちゃん。お疲れ~」ゆるゆると手を振って呼び寄せた。

「ご無事でなによりですわ」

「にゃふふ。オルちゃんがサポートしてくれたから、どうにかやれたよ」


 はい、と飲みかけのスポーツドリンクを渡す。助かります、と受け取ってごくごくと飲んで返した。半分ほど残したのは、多分清香の分だろう。


「よい方のようですわね」

「うん。声もね渋いんだよ」

「まあ。それは何よりですわ」ぽん、と手を叩いて微笑み、「……では、わたくしもお役目を果たすといたしましょう」す、と片足を引き、腰を落とした。


 きらきらと輝く紅薔薇の瞳とは対照的に、愛弓は心底嫌そうにうめいた。


「え~、やるの~?」

「ええ。愛弓さんはともかく、……ええと、オルマティオさんは拒絶なさるのでしょう?」

「ま~そうなんだけどさ~。ケンカはよくないよ。やっぱし」

「ケンカではありません。決闘です!」


 土煙と共に紅薔薇は天高く舞い上がる。


「も~、仲良く分けっこでいいじゃない~」


 言いつつも空を仰ぐ。全身に力を溜めた紅薔薇がそこにいる。逆光でよく見えないが、きっと笑っているんだろう。

 しょうがないなぁ、と諦めに似た覚悟を決め、


「オルちゃん、お願い」


 こくりと頷いて愛弓が差し出した手のひらに乗る。す、と彼のからだを引き寄せて口づけをかわし、朱い光に身を包む。


「行きますわよ!」


 紅薔薇の姿をした流星が迫る。愛弓を包んだ朱い光が弾ける。着弾と同時に大量の土煙とアスファルトの破片が舞い上がり、視界が極度に落ちる。


「もうっ!」


 背中の翼で土煙を吹き飛ばしつつ大きく後退する愛弓。


「そんなもので!」


 委細構わず紅薔薇が突っ込んでくる。速力をたっぷり乗せた右拳が唸りを上げて愛弓の腹部を狙う。受け止めることもカウンターを狙うこともせず、柳のように自然体で避ける。


「ふっ!」


 伸びきった右腕が鋭角に曲がり、全体重を乗せた肘打ちへと変化する。


「わわっ!」


 のけぞりながら膝を折ってぺたん、と背中から地面に倒れ込む。紅薔薇の肘が顎を掠める。通り過ぎるのを待ってハンドスプリングで起き上がると、そのまま前方宙返りを繰り返しながら間合いを大きく離す。


「愛弓さん!」

「なによう。わたし紅ちゃん殴りたく無いの」

「なぜですの。龍血核を集めればどんな願いだって叶えられます」


 紅薔薇が何にこだわっているのか、やっと辿り着いた愛弓は少し意地悪な口調で言った。


「そういうの、ズルだと思う」


 拍子抜けしたように瞬きを繰り返しながら、紅薔薇は鸚鵡返しをする。


「ず、ズル?」

「うん。自分がやりたいことの為に誰かの助けを求めるのはね、しょうがないし、いいと思う。けど、いくら合意があっても誰かを殴ったりして、正体の分からないものを頼るなんて、わたしならしない。絶対」

「愛弓さん……」

「もし、さ。わたしが最初に龍血核の事を知って、それで……例えば世界を征服しようとしたら、紅ちゃんはどうする?」

「もちろん止めますわ」

「でしょ? わたしだってそう。だから、もう龍血核をケンカして集めるのを止めて欲しいの」

「わたくし、は、そのようなつもりで龍血核を回収していたわけではありませんわ。イゼルマさんだって困っていらしたんですもの」

「そんなの言い訳だよ。紅ちゃん最近おかしいよ。お仕事ちゃんとやってる? 期末の成績少し落ちたでしょ。黒ちゃんも黒服さんたちもいっつも心配そうな目で見てるの、気付いてないよね」


 少し文句を言うぐらいで済ませようと思っていたのに、一端それを口にしたら止まらなくなってきた。


「大体さ、それでなくても秒刻みのスケジュールなのに、無理矢理ケンカすることねじ込んでさ、それで紅ちゃんがどうにかなっちゃったら、悲しむひとも困るひとも一万人とかじゃ足りないってことも、全っ然気に留めてないよね」

「……ですが、集めなければ…………」


 煮え切らない紅薔薇に、ついに愛弓の堪忍袋の緒が切れた。


「みんなで協力すればいい、って言ってるの! なのになんで清ちゃんとケンカなんかするかな! 大好きなんでしょ?! いますぐにでも結婚したいぐらい!」

「あ、愛弓さんには分からないことですわ! 清香さんがどれほど繊細かなんて!」

「知ってるよ! 生まれた時からずっと一緒なの! 清ちゃんのめんどくさい性格はね、もう、イヤっていうほど経験してるんだから!」


 こんなにも大声を出している愛弓は、恐らく清香でさえ数えるほどしか見たことが無い。紅薔薇は当然初めて見る彼女の怒りに戸惑い、反論することも、ぐずぐずつぶやくことも出来なくなった。


「それでもともだちでいるのはね、そういうめんどくさいのを全部打ち消すぐらい清ちゃんが優しいからだよ! なのにあんな笑顔で殴ったり蹴ったりして、なにがおもしろいのよ!」


 ふんっ、と大きく鼻息ひとつ。

 それで一端自分の気持ちを落ち着かせて、今度は優しく言う。


「……あのね、わたしも武道を否定するつもりは無いよ。紅ちゃんがお稽古したり試合したりしてるのを観てかっこいい、って思うから。でも、いま紅ちゃんが清ちゃんとやってるのは、ちゃんとした審判のひともいない、ただの暴力なの。自分たち以外のひとが、それまで、って言って終わらせてくれないならいつまでも続けられるし、そうなると行き着くところまで行っちゃうの。……だからイヤなの」


 言い切って少し冷静になった目で紅薔薇を見れば、瞳を潤ませ、何度もしゃくり上げている。


「わたくしは、わたくしたちは……っ」


 しまった、言い過ぎた。


「あー、えっとね」


 こんなところを清香に見られたら、なんと言われるか分かったものではない。

 珍しく狼狽する愛弓の右から、駆け寄ってくる人影がひとつ。予想通り、清香だ。


「愛弓ーっ」

「うひゃあっ!」


 思わず悲鳴が出た。

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