第17話 「心」と「意思」と 1
同じ頃、バスロータリーに出現した巨人たちは紅薔薇によって全て瓦礫へと姿を変えていた。
『この周辺に龍血核の反応はもう無いようだね。お疲れさま』
イゼルマの言葉で残心を解き、紅薔薇は現状を彼に問いかける。
「いえ。それよりも、龍血核は全部であとどれぐらい残っていますの?」
『僕たちが集めたのが六割。サヤカが一割ぐらいだね。ざっと見積もってみたけど、この一帯にある龍血核を回収できれば、ほぼ目的は達成されるよ」
龍血核の回収を初めて三ヶ月余り。家業と学業のふたつを背負う紅薔薇は回収作業にだけ専念してはいられない。争奪戦が起こることを懸念した彼女はマスコミを含めたあらゆる方面に根回しと口止めを施した。回収作業はふたつの隙間を縫って紅薔薇だけが行っているので、回収率は中々上がらない。
「やはり、ここ以外にもまだ龍血核は散乱しているのですね」
『それが不思議なんだけど、あれだけ広範囲に散乱していたはずなのに、いまはこの駅前一帯に全部集まっているんだ』
「動いている、ということですの? 龍血核自身が」
『そうなるね』
説明に少し背筋が寒くなった。
見た目はただの石だ。表面を朱い液体が覆っているのは違う次元の存在だと直覚的に理解できるが、それらが勝手に動いているなんて、想像の範疇を超えていた。
「原因は分かりませんの?」
『活性化が始まっていることと関連はあるんだろうけど、まだ確証は無いよ』
「分かりましたわ」
ふう、とひとつため息を吐いてお腹の辺りで腕組みをする。
清香の手前、イゼルマをビジネスパートナーだと言い放ったが、彼を完全に信用したわけではない。
最初は人助けだと信じていた。
今年の四月、新学期前の最後の休日に彼女は黒夜叉と一緒に、実家の庭園で読書と紅茶をのんびり楽しんでいた。
そこへ突如巨大な赤い隕石が落下した。隕石自体は落下の衝撃で粉砕され、目撃情報は方々手を回して表沙汰にはさせなかったが、その残骸から瀕死の重傷を負ったイゼルマが現れ、黒夜叉に取り憑いた。
―興味深いお話、と思いましたのに……。
ジャンルを問わずあらゆる書物を読み漁る紅薔薇は、特に冒険譚や英雄譚は本棚の特等席に陳列するほどに好きな世界だ。彼に協力を依頼されたとき、自分が物語の主人公になれたような錯覚で夜も眠れないほど興奮した。
清香がライバルとして立ちふさがったのには、正直困惑したけれど。
こうして目的を半分ほど消化しても、まだイゼルマは本心を明かしていないように感じている。龍血核を全て集めたらどうなるのか、デュオラが警告したように世界は破滅へと向かうのか、そうなったとき自分たちで対処できるのか―
得体の知れない恐怖が今更のように首をもたげ、心の一番弱いところをじわりと締め付ける。
「いまある量で、火星に行くことは出来ないんですの?」
『無理だよ。キミが思うよりもずっと、惑星間の移動はエネルギーを使うんだから』
「そうでしょうか……」
紅薔薇には信じられなかった。いまの地球の技術力でも火星への有人航行は、往復で一年ほど要するが可能だ。それなのに、小石ほどの大きさで原子力発電所と同等のエネルギーさえ生み出せる龍血核が彼が言うほど大量に必要なのだろうか、と。
『宇宙開発はきみの家の家業なんだろ?』
そこへこんな、心を見透かされたようなイゼルマの言葉は、さすがの紅薔薇も動揺を隠しきれなかった。
「え、ええ。そうですわ。火星開発、引いては太陽系外への人類進出は我がフォーゼンレイム家の悲願なのですから!」
『じゃあサヤカたちとまた決闘しないとね』
「……そうですわね」
『どうしたの? 暗い顔して』
「わたくしが心を痛めていないとでも、思っていらっしゃるのですか?」
『あんなに楽しそうにしていても?』
「清香さんと拳を交えることは、楽しみと共に苦痛を伴うのです。体にも、心にも」
『心……、か』
「お有りでしょう? 六次元の方々にも」
『いや、心と感情は違うよ。こちらにきて理解出来た』
「違う、のですか?」
『ああ。キミたちは脳で思考するけど、感情の昂ぶりに痛んだりするのは胸だろう? だけど胸部を割いてみてもあるのは心臓。分析すれば、受けた刺激に神経や筋肉が反応し、心臓やその周辺の筋肉に作用するのだろうけど、ね』
「六次元の方々は……、そうでしたね……」
彼らには肉体が無い。
こうやって自分の口から彼の声が出ていることの不自然さも、いまでは全く気にならなくなっていたのに、思い出してしまった。
『誰かのことを強く想い、誰かのために行動するとき、キミたちは時にとんでもない力を発揮する。それは心の力が原動力となっているんだ。ぼくたちには出来ないことだよ』
清香への想いをひとまず別の場所に置いて、紅薔薇は心についての議論を交わすことにした。
「感情とは違う、と仰いましたが、精神とは違うのですか?」
『似て非なるもの、だよ。精神は心を構成する最大要因だけど、全てじゃない。精神と肉体と魂。この三つが揃わなければ、心の力を引き出せない』
そういうものでしょうか、と実感が無い以上彼の言葉を受け入れ、違う疑問をぶつけた。
「以前仰っていましたわね、次元因子は心にも反応する、と」
『心にも、じゃない。心にのみ反応するんだ。通常、次元のつなぎ目を塞ぎ、六次元人を三次元の生命体に同居させる接着剤である次元因子は、心の力を受けることで強いエネルギーを発揮する。それが龍血核のエネルギーとどんな違いがあるのかは、まだ研究が必要だね』
紅薔薇はありとあらゆる知識を高いレベルで習得している。しかしそれでもイゼルマたちの存在は、学んできたすべての知識を覆してしまった。
『ぼくは学者だ。だから数式や理論で表せないことを言いたくはない。けど、この世界の命は実にロマンチックなんだ』
―やはり楽しいのです。生きることと、それに不随するすべては。
知識を得ただけで現象のすべてを把握したと思わないでください―家庭教師のひとりに言われた言葉を思い出し、紅薔薇は努めて明るく言った。
「龍血核がこの地域に無いのなら仕方ありませんわ。純然とした決闘で奪い合いましょう」
『やっぱりやるんだ』
「ええ。わたくしは拳士ですから」
どちらに行くか迷って、愛弓を選んだ。
愛弓とも一度手合わせしてみたかったら、というのが本音だ。
「愛弓さんはどんな素敵な拳を振るわれるのでしょうね……」
うふふ、と笑み、商店街へと急いだ。
進まない商談があるならば、取るべき選択肢はふたつ。
傷が深くならないうちに破談にするか、辛酸を舐めながらねばり強く進めるか。
紅薔薇が後者を好むのは言うまでもない。
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