第8話 恋せよ乙女 3

「ったくもう、ったくもう、ったくもう、ったくもう愛弓まで!」


 ホームルーム中の校内は静まりかえっていて、清香の足音と声が幾重にも反響している。


『どこいくの』


 下駄箱の上にゆったりと座る春嵐丸が、デュオラの声で問いかけてきた。


「帰るの!」

『その前にお願いがあるんだけど』

「いやよ。もう知らない。春嵐丸の中にいることだけは認めてあげるけど、あいつの顔見ることなんか絶対にしたくない!」

『ちょっと囃し立てられたぐらいで、なに怒ってるのよ』

「見てたのね」

『ええそうよ』

「恥知らず」

『そういうの、八つ当たり、って言うの』

「だったらなに」


 もう、と大きくため息を吐いてデュオラは本題に入った。


『いいから手伝って。このまま集めてたら、あの子にも危険が及ぶ可能性があるの』


 知らない、と口にしかけて、最後の最後で踏みとどまった。


「どういうこと」




 春嵐丸は普段、清香の家を中心に散歩と狩りの日々を送っている。同居人が学校に行っている間は校内に常駐し、下校するまで敷地内からは出ようとしない。

 デュオラは普段、春嵐丸に協力してもらいながら龍血核の眠る場所を探し歩いている。体の主導権は彼にあるので、授業が終わるまでデュオラは校内での捜索しか行えないのが現状だ。

 龍血核には活動周期があり、それが強くならなければ感知出来ないので地道な捜査が欠かせない。それなのに学校から出ない、と春嵐丸に言われた時は愕然としたが、紅薔薇が動けばそこに龍血核があるでしょ、と清香に説得されてようやく納得した。


「なんで学校にまであるのよ」


 清香たちは体育館に向かった。


『そこまでは分からないわ。でもいままでも色んなところに散らばってたんだから、ここにあってもおかしく無いと思うけど』

「あんた学者センセイでしょ。はっきりして」

『あのねえ。龍血核はまだまだ未知の部分が多いの。私たちが理解してることなんて前にサヤカに話したことで全部よ』

「だったらなんでそんなモノを持ち込むのよ!」

『自分のケンカの原因をひとのせいにしないで。気になったからアユミちゃんに訊いたけど、プールの一件は責任の大半があんたにあるわ』

「あんたに関係ないでしょ!」

『あるわよ。ここまで縁が深まったら、なんとかしたい、って思う。龍血核のことを抜きにしても、ね』

「よ、余計なお節介よ」


 ―少しは聞く耳を持ったみたいね……


『じゃあ本人と話をすることが先決ね』

「ったくもうっ」


 本音の本音を言えば、清香も紅薔薇と仲直りはしたい。きっかけさえあれば、謝るつもりでいたのに、変な風に話がこじれて、それにうまく乗れない自分が恥ずかしいやら悔しいやらで子どもっぽく怒鳴り散らすことしかできず、いまもこうしてデュオラに八つ当たりしている。

 そもそも、あいつと仲良くしていること自体が自分には不釣り合いなのだ。

 勉強だって拳術だって養子だって、あいつにかなうものなどひとつも無いのに、あいつは自分を受け入れている。

 感情がぐちゃぐちゃに捻れた今は、それが同情されているのかも知れない、とまで考えてしまう。そんな自分が嫌いだからやっぱり八つ当たりしてしまう。


『あんたぐらいの年齢なら、それが普通よ。なまじ頭いいから想像が妄想にすぐ変わって自分が悪いんだって落ち込むの』

「分かった風な口、きかないで」

『年上の経験談ぐらい、素直に聞きなさい』

「うるさい」


 心配してくれているのは分かるが、お説教は聞きたくない。いつの間にか目の前にあった体育館のドアを両手で開け、意を決して入る。


「おーっほほほ。ごきげんよう、清香さん」


 あいつはもう変身を終え、舞台の縁に足を組んで座っていた。


「元気そうね」

「ええ。清香さんとまた決闘が出来るんですもの。高揚もします」


 結局あいつは自分と殴り合うことが何よりも大事らしい。

 あいつからすれば自分は、遊び相手程度の力量しか感じ取っていないのだろう。


「ならいい。やっぱりこれで最後にする」

『ちょっとサヤカ?!』

「うるさい。……いくよ、春嵐丸」


 にゃ、と返事をして彼は清香の身体を駆け上って左肩に乗り、優しく口づけを交わす。直後、ふたりを朱い光が包む。

 変身を妨害するような野暮を紅薔薇は持ち合わせていない。お腹のあたりでゆったりと腕を組みながら、その時を待ち続けている。

 一瞬の後に光の繭が弾け、そこに愛らしくも勇ましい茶虎の毛皮を纏った清香の姿があった。


「ならばわたくしも全力を出すとしましょう!」


 流れるように舞台から降り、砲弾のような重さを伴う加速で清香へ向かう。


「はああっ!」

「せええっ!」


 真っ正面から拳がぶつかり合う。衝撃波が体育館の壁を照明をびりびりと振るわせ、その破壊力の大きさを誇示する。


 ―これで最後にするんだ。


 清香の決意は、固い。

 




「はーい、それじゃああたしからは以上よ。級長ー、号令ー」


 重苦しい空気の残滓がちらつく中、ホームルームは終わった。


「やっぱしやりすぎたかなー。うん。謝りに行こっと」


 最初は煮え切らないふたりにハッパをかけるつもりだった。清香が怒ることは予想通りだったが、紅薔薇が無反応だったのは想定外だった。

 照れた紅薔薇に対し、清香が振り上げた拳のやり場を失ってうやむやの内に仲直り、というシナリオを描いていたのに、自分はまだまだふたりとの距離があるのだと愛弓は反省した。


「紅ちゃんはいいとして、問題は清ちゃんだよね……」


 いままでのケンカは、ほぼ全て学校でやってきた。嫌でも翌日には顔を合わせるわけだから、大抵はどちらかが痺れを切らし、下校前には謝っていた。

 けれど、今回は違う。顔を合わせなかった時間がながすぎる。


「清ちゃんすぐ自分を悪者にして落ち込むからなぁ」


 困ったもんだ、と唇を尖らせながら帰り支度を始める。

 どごおんっ! と轟音が響いたのは丁度その時だった。

 な、なんだ?

 雷? 地震?

 ばか、どっちも違うよ


「はい、静かに。落ち着きなさい」


 生徒たちが慌てふためきながら適当なことを口走り、早苗が手を叩いて落ち着かせる中、愛弓は喧噪に紛れて教室を抜け出した。早苗に「じゃーねー」と軽い挨拶を投げ、真っ直ぐ体育館を目指す。

 一歩進む毎に轟音と振動が強くなっていく。


「まったくあのふたりは~。学校まで壊す気じゃないでしょうねぇっ」


 騒ぎを聞きつけた他の生徒たちが、体育館への渡り廊下に続くドアの周辺にすでに集まって人垣を作り始めている。ここからだと轟音はさらに激しくなり、道路工事の十倍以上の音と振動が鼓膜だけでなく全身を振るわせる。


「ちょっと通して!」


 強引に体をねじ込みながら前へ前へと進み、ドアを開ける。黒のスーツに身を包み、幅の広いサングラスを装着した男達が体育館を背にしてずらりと並んでいる。紅薔薇専属のSPだ。

 それぞれたっぷり一抱えはある太ももを肩幅に開き、鉄板でも仕込んでいそうな分厚い胸はいまにもスーツを破ってしまいそうだ。

 紅薔薇の実家に遊びに行った時に見た何人かも居る。強面の彼らだが、話してみれば心根は優しく、忠義に厚い。犬の中でも特に大型犬が好きな愛弓には彼らが愛おしくて堪らない。

 この轟音の中では会話は成立しないと思い、会釈をしてから生徒手帳の白紙ページにペンを走らせ、黒服のひとりに見せる。


『藤枝愛弓です。通ってもいいですか?』


 そう書かれたメモを見せられた男は無線でやりとりを行ったあと、にこりと笑い、


「お嬢様から伺っております。ごらんの有様ですが、どうぞ」


 すい、と体を開いて道を造った。不思議なことに、自分の声さえ聞こえない耳に彼の声はすんなりと滑り込んできた。すごいな、と感心しつつもう一度ペンを走らせて見せる。


『ありがと。危ないと思ったら、皆さんもすぐに逃げてくださいね』

「心遣い、感謝します。愛弓さまもお気をつけて」


 慇懃に腰を折って愛弓を見送り、黒服はまた油断無く周囲へ視線を巡らせる。


「そう言っても逃げないんだろうな……」


 一列に並ぶ男たちの背中を見やる。鍛え上げたその身体は全て紅薔薇を守るためにのみ使われ、他者を不用意に傷つけることは無い。愛されてるなぁ、と彼女が羨ましく思えた。

 さて、と体育館に向き直れば、ふたりのケンカはまだ続いていた。


「ったくもう。お互い好きなんだから素直に告白しちゃえばいいのに」


 手が触れ合って頬を染め合うような初々しい関係にふたりはすでに無く、紅薔薇の実家で一緒に入浴はしたが、告白もキスもまだという、愛弓からすれば亀の歩みのような進捗状況だ。

 同性同士の恋愛感情が異性とのそれと同等になったこの時代、紅薔薇も清香ですらテレビドラマや映画などで描かれる同性の恋愛劇は素直に受け入れている。

 なのに、いざ自分のこととなると途端に「あいつはともだちだから」の一点張りになる。


「ともだちが恋人や奥さんになっても別に変じゃないと思うけどな」


 腕まくりしてドアに手を掛ける。

 ふと中から清香の冷たい声が聞こえる。


『どうしたのよ。そんな程度じゃあたし、あんたを嫌いになれない』

『そんな必要ありませんわ。だってわたくしは清香さんのことを嫌いになんかなりませんもの』

「も~~。なんかこんがらがってるし……」


 焚き付けた責任は感じているが、拗れさせたのは当人たちだ。自分は一度仲裁役に回ろう、とドアに体重をかけるが、


「あれ?」


 開かなかった。厳密には指一本分ぐらいには開いたので施錠はされていないと分かった。


「ってことは~、歪んで引っかかってるのか」


 さらに呆れた。

 いくら夏休みでも、ホームルームが終われば今日もバスケ部やバレー部が練習に使うのに。自分たちのケンカがどれほど迷惑なのか、この際はっきり言っておかなきゃ、と、開けられるドアを探し出して開け放つ。


「こらぁっ! いつまでやってるの!」

「あ、愛弓さん?!」


反応が遅れたのはほんの一瞬。


「隙有りっ!」


 だがその一瞬があれば十分だった。


「だああああああっ!」


 渾身の一撃を顔面にたたき込み、吹き飛ばす!


「きゃあああっ!」


 折りたたまれたバスケットゴールに背中から叩き付けられ、そのままずるり、と落下する。辛うじて受け身を取れたのは紅薔薇だからた。


『くぅぅぅぅ……ん……』


 か細い犬の鳴き声が体育館に響き渡る。同時に朱い光が紅薔薇を一瞬包み、ぱちんと弾ける。

 その場に残ったのはセーラー服姿の紅薔薇と、利発そうなシェパードが一頭。紅薔薇の相棒、黒夜叉だ。すぐに目を覚ました黒夜叉は心配そうに主人の髪や頬の匂いを嗅ぎ、無事を確認すると一歩下がった位置に足を揃えて座った。


「これで満足したでしょ。もう謝らなくていいから、これから先、あたしに構わないで」


 いままで聞いたことの無いほど、清香の声は冷たく沈んでいた。


「清ちゃん……?」

「いやです。お断りします。この身が塵芥(ちりあくた)と化そうとも清香さんとのご縁を切ることは致しません」


 ふたりに何があったかを愛弓は全く想像できない。


「あ、あのさ、ホームルームの時のことなら謝るよ。だからさ、清ちゃん、そんなこと言わないで」

「あんたは関係ない」

「でもさ」

「いいえ、大ありです。わたくしと清香さんと愛歩さん。三人でなければならないのです」

「あのさあ、なんであたしなんかに構うのよ。あんたと一緒にいないときに聞こえてくるやっかみが、どれだけうっとうしいか、あんた知らないくせに!」

「質問に質問で返す無礼を承知で申し上げれば、なぜ清香さんがそこまでご自身のことを卑下なさるのかが分かりません」

「あたしは! あたしはあんたみたいにきれいでも無いし頭も悪いの! 前世や前々世でどれだけ徳を積めばそんな風に生まれるのか知らないけど、あんたとあたしじゃ、生きてる世界が違うの!」

「同じです。少なくともいまのわたくしは一介の高校生。清香さんとなんら変わりませんわ」


 真っ直ぐ見つめてくる紅薔薇の瞳にウソも同情も滲んでいない。

 だからこそ、余計に清香には重荷になってしまう。


「清香さんは、わたくし以上に輝ける素質をお持ちです。そうでなければ……」

「そうでなければ、なに」


 ゆっくりと立ち上がる。そのまま清香へと歩み寄るが、まだ回復は満足でなく、しかも瓦礫の散乱する床に時折足を取られ、転びそうになる。慌てて愛弓が駆け寄るが、片手で制されて愛弓は珍しく狼狽するばかり。

 ようやく清香の前に辿り着いた紅薔薇は、押しつぶそうとする疲労を懸命に堪え、強く言う。


「なにも伝わっていなかったのですね」

「そうよ。あんたも、こんな風にあんたを容赦なく殴れる自分も、みんな全部きらいなの」


 きびすを返し、背を向けた状態で清香は淡々と言う。


「今日で道場も畳む。龍血核の回収だけはやるから、それが終わったら……、これから一生、あんたとは口をきかないから」

「なぜですか! なぜそうやってすぐにご自身を追いつめるのです!」

「あんただって分かるでしょ!? 拳術は人を殺す手段に過ぎないって! 父さんは『大切なひとを守るためのものだ』って言ってたけど、誰かを守るために誰かを傷つけてたら、何も守れてないじゃない!」


 冷静に、一切の手加減を止めて紅薔薇と対峙した時、自分の目と耳はあいつの隙と急所を探し、手と足はそこを打つための動作を滑らかに行っていた。

 子どもの頃、あれだけ嫌っていた栗原流の稽古が実は想像以上に浸透していたことが恐ろしく、あいつであろうとも躊躇なく行使している自分が心底嫌いになった。


「でしたら、わたくしが急所の外し方を教えます。……清香さんがいま抱えていらっしゃる悩みは、わたくしにも覚えがあります。……恐いですよ。少しでも間違えば大怪我に繋がることですから」

「だったらなんで、あんなに楽しそうに」

「清香さんなら、応じていただけると信頼しているからです」

「でも、あたしとあんたとじゃ……」

「以前にも申し上げた通りです。なんのしがらみも無い友人はおふたりが始めてです、と」

「……」


 いま清香がどんな表情をしているのかを、ふたりは想像するしかない。

 愛弓は、ほっぺた赤らめてるんだろうな、と予想し、付き合いの短い紅薔薇には全く予想できなかった。

 やがて肩越しに振り返り、淋しそうに、ちょっぴり嬉しそうに呟く。


「……ともだち、なんだ」


 あら、と腕組みして挑発的に言う。


「わたくしから申し上げたほうが、よろしいですか?」


 ふふ、と笑う清香。


「いい。さっきのも無し。あんたが教えてくれるなら、もうしばらく道場は続ける」


 ほっ、と安堵のため息を零し、同時に床にへたり込む紅薔薇。


「なになに。どしたの急に。ふたりだけで分かり合っちゃって」


 ぽっかりと空いた天井の大穴から、カラスに似た白い鳥が入ってくる。白い鳥は何をするでも無く、バスケットゴールの淵に留まってこちらを見ている。どこかで見たような気がした清香だったが、いまは愛弓にひと言言ってやらなければ気が済まなかった。


「いいの。むしろ今回は愛弓が地雷埋めたんだから、あとで埋め合わせしてもらうからね」


 ありがと、と春嵐丸に礼を言って変身を解く。にゃあん、と笑顔で返して彼は愛弓へと駆けていく。腕の中に飛び込んできた小さな騎士を愛弓は笑顔で受け止め、挨拶の頬ずりを交わす。

 春嵐丸を抱いたまま愛弓は黒夜叉に歩み寄り、彼を労う。


「そうですわね。清香さんが拳の道を歩まれる覚悟を決められたことは幸いですが、わたくしとしてはもっとスムーズに、」


 言葉を切った理由を、清香はすぐに察知した。


「……何の音?」


 清香の小振りな耳に、あまり聞き慣れない音が滑り込んできた。

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