第6話 恋せよ乙女 1
決闘の日々が始まった。
ある日は廃病院。
ある日は建設途中で放棄されたビル。
ある日は住宅街の真ん中で。
ほぼ連日の決闘に清香はうんざりし、紅薔薇は活き活きとしていた。
「あったま来た! もう絶対絶対許さないんだから!」
「おーっほほほほ。なにをどう許さないと仰るのです?」
そして今日の舞台は、陽の傾き始めた廃校のグラウンド。
生徒数の減少を主な理由に、数年前廃校になったばかりだと言うのに、校舎の窓ガラスは大半が割れ、外壁には亀裂がいくつも走り、大時計は十時二十分を指したまま。植木の枝葉が伸び放題になっていて、伸び始めた影が校舎全体に漂う異質さも一緒に引き延ばしているようだ。
「プールのことに決まってるでしょ!」
「あれはわたくしだけが悪いのではない、と何度も申し上げていますわ!」
連日の疲労から清香の攻撃に精緻さは欠け、拳を蹴りを振り回すだけの単調なものになっている。それは清香自身よく分かっているが、紅薔薇の涼やかな笑みを見ているとどうしても冷静な判断ができなくなっている。
きっと紅薔薇は、最新設備を惜しげもなく使って一日の疲れを優雅に取っているに違いない、と妄想するひがみ根性も多分に含まれているのだが。
いつのまにか舌戦となっているが―ふたりが闘うトラックの芝生はすっかり荒れ果て、遠目からでもわかる激しい凹凸が点在している。うまく立ち回らなければ初戦のように足を挫く可能性も、そこから一気呵成に攻め立てられることも計算に入れなければならず、だが逆にそこへ追い込めばいい勝負になるはずよ、とデュオラは助言するが、怒りで頭に血が上った清香は聞き入れようとしない。
「あんたが埋めた地雷でしょうが!」
「お踏みになったのは清香さんでしょう? おーっほほほ!」
「なによその、してやったり顔!」
「だって清香さんはわたくしの大親友ですもの」
お腹のあたりでゆったりと腕を組み、うふふ、と微笑む。
「話題をすり替えない!」
「とてもとてもとても、愛おしく想っている、という意味ですわ」
完全にカウンターだった。
その言葉と、紅薔薇の熱を帯びた眼差しは、この連日の決闘で一番の攻撃力を伴って清香の心に深く突き刺さった。
「い、い、愛おしくとかいうなぁっ!」
だから耳から指先から全身を真っ赤にして叫ぶことしかできなかった。
「そうやって照れる姿も素敵ですわ」
くすくす、と上品に笑う仕草は、そのまま美術品として飾りたくなるほどに淑やかで。
「う、る、さ、いぃぃっ!」
もう全部をぶち壊すしかこの恥ずかしさから逃れられない、と清香は猛ダッシュを仕掛ける。
紅薔薇は腰を落として拳に力を込める。全力でカウンターを狙う気だ。
「さあ、参りますわ!」
カウンターをどう切り返すか考えるうちに紅薔薇の間合いに入った。まあいい。ここから先、自分はただ技を繰り出すだけの存在になる。怒りも恥ずかしさも全てをエネルギーに変えて、ただ勝利をたぐり寄せるためだけに呼吸し、精神を研ぎ澄まし、骨を筋肉を動かすのだ。
「せえっ!」
紅薔薇の間合いに入った直後、清香は迷わず右の正拳を放つ。こちらの間合いからは半歩遠いが、紅薔薇の攻撃時の踏み込みでそれは解消される。
「はぁっ!」
紅薔薇も右の正拳を放つ。狙いがこちらの拳であると気付いても清香は中断しなかった。
互いの根性を上乗せしたふたつの拳は真っ正面からぶつかり合い、
「だああああっ!」
「はああああっ!」
衝突により生まれた衝撃波が芝生を地面を抉り、吹き飛ばしていく。全くの正面衝突だった拳がほんの僅かにズレると、同極を向き合わせた磁石のように大きく弾かれ、ふたりの体もグラウンドの両端に吹き飛ばされていった。
「きゃあっ!」
互いに芝生を抉り、砂埃を派手にあげながら後退する。
先に体勢を立て直した紅薔薇が余裕たっぷりに言い放つ。
「この姿での闘いに、随分と慣れてきたようですわね!」
「上から言うな!」
一呼吸遅れて体勢を立て直した清香は夕暮れを背に高く跳び上がる。朱く染まる四階建ての校舎を遙か眼下に置いて、ぐっ、と拳を腰溜めに構えるや否や、一気に紅薔薇へと降下する。
「おとなしく待つとお思いですか!」
紅薔薇は清香を潜り抜けるように前方にダッシュ。直後、清香が轟音と土砂をまき散らしながら着地する。背後。互いが同時にその単語を思い浮かべ、清香は振り返りながらの回し蹴りを、紅薔薇は急反転した直後、清香を跳び越えた。
「うそっ!」
清香ができたのは、飛び越えていく紅薔薇のお尻を見送ることぐらい。回し蹴りの軌道を変えようにも、勢いが強すぎてどうにもならない。
「読みが甘すぎますわ!」
がら空きの背中に自らの背中をぴったりと寄せ、手の甲を口元に当てて高らかに笑う余裕を見せつけると、蹴りの反動で流れる清香の左腕を掴み、
「ちょ、ちょ、待った待った待った!」
「勝負の世界に、待ったはありませんわ!」
一本背負いの要領で地面に叩き付けた!
びたんっ! と顔面から全身を強かに打ち付けられると、
『うにゃぁ~~~』
気の抜けた春嵐丸の鳴き声がグラウンドに響き渡る。それに合わせて清香の全身は朱い光に包まれ、光が消えるのと同時に、薄手のパーカーとキュロットスカート、腰にはオレンジ色のポーチ。そしてショートブーツの普段着に変わっていた。
そしてすぐ隣には、同じく大の字になって気を失っている春嵐丸の姿もある。
「おーっほほほほ。清香さん、今回もわたくしの勝利ですわね」
涙を見られるのはもっとイヤで、地面に顔を埋めたまま、背中へと投げつけられる勝利宣言をただ黙って聞くことしか出来なかった。
「ですのであなたがお持ちの龍血核は、わたくしが頂戴いたしますわ」
龍血核、とは紅薔薇が名付けた赤い石の名だ。
『名前がないようでしたので、僭越ながら』
と二度目の決闘の時に自慢げに宣言していた。
紅薔薇に、腰に付けたポーチをごそごそと物色される。敗者にそれを妨害する権利はどこにもない。それがふたりの間で交わされた唯一の約束だから。
ありましたわ、と上品に口角を上げる紅薔薇の手の平には、ソフトボール大の龍血核が乗せられていた。
「うふふ。こんなにも大きな龍血核なんて久しぶりですわ。さすが清香さん」
「……嫌みにしか聞こえないんだけど」
「あらこれは失礼」
そう言ってドレススカートにも、行縢にも見える腰回りの毛皮を指先で摘み、会釈する。
「ごきげんよう、清香さん!」
高笑いと共に夕日に消えていく。
紅薔薇の背中を滲む瞳で睨み、子どもっぽいと思われようがじたばたと暴れる。
「く、や、し、い~~~~~っ!」
負け犬、いや負け猫の遠吠えは夕日と一緒に地平線へと沈んでいく。
廃品回収の軽トラックが流す脱力したアナウンスと、それに反応した犬の遠吠えがどこからか聞こえてくる。
グラウンドに突っ伏すのにも飽きてごろり、と仰向けになって空を見上げる。カラスとセミとコウモリが一緒くたに飛んでいた。
その輪の中に、一際目立つ白い鳥がいる。鳩のように見えるが、鳩のような胴の膨らみは無いように見える。なんだろうな、と考えてみても、鳥類はニワトリぐらいしか興味を持ったことがない清香には分からなかった。
町内放送から聞こえる夕焼け小焼けは、皮肉を通り越しておかしささえ感じた。
今日も、負けた。
何度目か、なんていうのは数えるだけ悔しくなるだけだから三回目で止めた。
くよくよしていても仕方ない。よいしょっ、とハンドスプリングで勢いよく立ち上がり、まだのびている春嵐丸の首根っこをつまみ上げ、ふるふると軽く揺する。
「ほら、いつまでのびてるの。帰るわよ」
『うるさいなぁ。サヤカが弱いからいけないんでしょ?』
やっぱり何度聞いても、男の子の春嵐丸から大人の女声が聞こえるのは違和感がある。
「あいつが強すぎるの。オリンピックに出たら金メダル百個は持ってくるんだから」
『ひとりでそんなに出られない……』
「う~る~さ~い~。この宇宙人っ」
『だから宇宙人じゃ……』
「あたしからしたら同じ。なにが六次元からやってきた、よ」
『だって本当なんだもん……』
しゅん、とうなだれる様子が可愛い。外見が春嵐丸だから余計にそう思える。それでもう今日の敗北は忘れることにした。
「ほら帰ろ」ぱんぱん、と全身の土を払い、「お腹空いちゃった」春嵐丸を頭の上に乗せる。
『う、うん』
清香の感情の変化に戸惑いつつ、年上らしいことを言おうと考えていたが、
「にゃあっ」
春嵐丸の笑顔に、このふたりの関係はこれでいいのだと思い至って口にするのを止めた。
「今日の晩ご飯、なにかな~」
三人でのんびりと歩く。
夕日が綺麗すぎたから、あいつともそろそろ仲直りしないと、とか思ってしまった。
不覚。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます