第5話 異邦人は流れ星に乗って 5
「分かったわ。ごめんなさいするまで、絶対に赦さないから!」
「行きますわ!」
しなやかなステップで紅薔薇は間合いを詰めてくる。いままでにも何度か手合わせをしたがはっきり言って紅薔薇はやりづらい。洋の東西を、半球の南北を問わずあらゆる武術、武道を高いレベルで吸収した紅薔薇の体術は、その基盤が何なのかさえ判別できない。
一歩をボクシングの早いステップで踏み込んだと思えば、次の一歩は空手の重い一歩を踏む。足もとに気を取られていると、
「シッ!」
ムエタイ式の肘が振り下ろされる。こちらがバックステップで間合いを切っても、剣道の、突風のような踏み込みで間合いを一瞬で詰められ、稲妻のような踵落としが鋭く振り下ろされるのだから。
「せえっ!」
蹴りには蹴りを。清香はハイキックで応戦。こちらのつま先で向こうのふくらはぎを蹴り上げて被弾を防いだ。紅薔薇は蹴られた反動を利用してのバク転で間合いを離し、清香の追撃から逃げた。
「うふふ。何度も手合わせをしていると、この程度の連携では避けられてしまいますわね」
「あんたのそのごちゃ混ぜ、ほんっとやりづらいんだけど!」
「初見から対応なさってる清香さんだから、色々試したくなるのです!」
今度も紅薔薇から仕掛ける。体を低く、相撲の爆発的な突進で迫ってくる。
「あたしはあんたの技の実験台じゃない!」
紅薔薇にだって弱点はある。
千変万化な攻撃を繰り出す、すらりと長い手足は確かに脅威だが、懐に飛び込めばその長さを完全には活かせない。あいつの攻撃が届く前にこちらの間合いに入ってしまえば勝機はある。
「はあっ!」
高く土煙があがるほどの踏み込みで清香もダッシュする。三歩目で紅薔薇の間合いに入る。しかし姿勢はまだ変わらない。罠。不安が一瞬過ぎる。四歩目。こちらの間合い。構わず正拳を放つ!
「たあっ!」
狙うは顔面。勿体ないかな。あと数ミリ。紅薔薇が動く。産毛に触れ、
「その度胸には感服いたしますわ!」
秀麗な顔をずらして正しく紙一重で正拳をかわしつつ、左手で清香の右手首を、右手で襟を掴み、体を半回転させて一本背負いに移行する。
「それぐらい読んでる!」
清香の反応は速かった。正拳を掴まれた瞬間に投げられると判断した清香は、回転に入ろうとした紅薔薇の肩を押さえて回転を止めたのだ。
「うふふ。さすが清香さん。素晴らしい反応ですわ」
「あんたに褒めてもらえるなんて恐悦至極ね」
壮絶なにらみ合いを加えた、互角な力比べの様相を呈しているが、実際には紅薔薇が有利だ。なぜなら彼女の右腕はかなり自由が利く。無論清香もそれに気付いているので、互いに次の一手を打つタイミングを計りながらじりじりと押し合っているのが現状だ。
紅薔薇の僅かな挙動を見逃すまいと目をこらす清香。だが心の片隅では、どうしても納得できないことがある。紅薔薇の笑顔だ。あんな風にケンカ別れしたばかりだというのに、こいつは満面の笑顔を振りまいている。
自分だったら絶対にできない。
こいつ自身が言ったように、紅薔薇と自分とでは思い描く友情の形が違うのだろうか。
だから、ぶつけることにした。
「もう一回だけ訊くけどさ、あんた、本当に謝る気は無いの?」
結果、固い声になってしまったのは全身に力を込めているからであって、込めた怒りの度合いとしては清香にとっては薄いつもりだった。
こちらの声色をどう判断したのかは分からないが、紅薔薇は酷く慌てた様子で答えた。
「さ、先ほども申し上げました。わたくしは、わたくしが出来る最善を施したのです。ああも無下に否定されて、謝っていただきたいのはわたくしの、ほうですわ!」
「そう。だったらいい」
それが清香の答えだ。
一瞬、ほんの一瞬全身の力を抜く清香。動揺していた紅薔薇にはその一瞬で十分だった。右手首の拘束を振り解き、右手で左の、左手で右の肘を一瞬で掴む。
「あっ!」
気付いたときにはもう遅い。
清香は体を沈め、巴投げの要領で紅薔薇を天高く放り投げる。すぐさま起き上がって清香もジャンプ。街灯よりも遙かに高い位置で紅薔薇を掴み、彼女の背中を下にして雑草の生い茂る地面へと急降下し―
「これ以上謝らないつもりなら、本っっ当に怒るからね!」
地面に叩き付ける!
火山弾のように強く巻き上がった土砂を全身に浴びながら、清香は固い声を投げつけた。
「いまのあんたの顔なんか見たくもない。謝る気がないなら、さっさと帰って」
こいつへの怒りはまだ心の奥底でくすぶっている。
だがそれと、こいつを殴ることは全くの別物だ。
訳の分からないまま巻き込まれて、春嵐丸まで危険な目に遭わされて、清香は一刻も早くこの場から去りたくて仕方がないのだ。
咳き込むこともなく立ち上がった紅薔薇は、全身についた土や草を払うこともせず、たおやかに微笑んだ。
「今日は初めてですし、このぐらいにしておきましょう」
なぜたった一言が言えないのか。頑なな態度に半ば呆れ、半ば激昂した。
「あんた、負けず嫌いもいい加減に!」
清香の反論を受け流し、紅薔薇は典雅に腰を折る。
「それではごきげんよう、清香さん、春嵐丸さん。おーっほほほほ!」
口元に手の甲を当てて、高笑いとともに飛び去っていった。
放り出されるように一人にされた清香は、湧き上がってくる怒りを叫び声にすることしか出来なかった。
「なによなによもう、あの腹立つ笑い方! 言わなきゃいけないことも言わずに! このまま放置する気なら、絶対許さないからね!」
叫び終えてもまだむかむかする。
謝ろうとしない紅薔薇にも、酷いことを言った自分にも。
「もういいでしょ。早く春嵐丸を元に戻して」
うん、とデュオラが返事をすると、清香の全身が朱い光に包まれ、一秒と経たずに消滅。あとには清香と春嵐丸の姿があった。
「にゃんっ」
ぴょんっ、と元気よく清香の体を駆け上り、肩にちょこんと乗って頬を彼女の顔にすりつけながら明るく元気に啼いた。
「無事ね? 元気ね? どっこも痛いところ無い?」
「うにゃあん」
それを見てやっと清香は、はぁっ、と大きな安堵のため息を零した。
決闘の最中でも不安で仕方がなかった。
自分が受けるダメージは彼にどう伝わっているのか。それで彼のからだに取り返しの付かない傷が付いてしまったらどうしよう、と。
『大丈夫。変身してる間は麻酔が掛かってるみたいな状態になってるわ。この子が受けるダメージは私がその都度治してるから、絶対に安全よ』
「だったらあたしの痛みもなんとかしてよ」
『あのね、痛みは生き物に必要不可欠なものなの。特にあなたたちみたいに肉体があると、僅かな傷からウィルスが入り込んで大変なことにもなるのよ。だから……』
「難しい話しないで。……疲れてるから」
『あ、ごめん。あたし向こうで学者やってたから、すぐに説明したがるのよ』
あっそ、と気のない返事をして清香は春嵐丸の頭を撫でて帰路につく。
公園の出口に差し掛かったところで、デュオラがおずおずと話しかける。
『あ、あの、えっと、ね。そっちの事情は知らないけど、これからも手伝って……欲しいん、だけど……』
尻すぼみになるのは、清香が凄まじい形相で睨みつけてきたから。
たっぷり三十秒、デュオラを睨みつけて清香は覚悟を決めた。
「いいわよ、もう! 捜し物ぐらい手伝うわよ! ……あいつも絡んでるみたいだから、しょうがなく、だからね」
せめて体を動かしていた方が建設的に思えたから。
『あ、ありが、と……』
うれしさ半分、怖さ半分でデュオラは頷いた。
「にゃぁっ」
春嵐丸は純粋に嬉しそうだ。
* * *
「で? こんなの集めてどうするの?」
ぼろぼろに錆び付いた公園の柵に腰掛けて、清香は先ほど拾った赤い石を手にとって眺めている。大きさは野球のボールほど。普通の石と違うのは、それ自体から赤い液体がにじみ出ていて、てらてらと光っていることだ。
『えっと、まず私の素性を話すね』
「そう言えばちゃんと聞いてなかったわね」
春嵐丸がいきなり走り出すものだから、名前ぐらいしか覚えていないのだ。
「どうせまともな素性じゃ無いんだろうけどさ」
『うん、まあ、そうなんだけど。一応聞いて』
そういう客観性はあるんだ、と清香はほんの少し感心した。
デュオラが語ったのは、ざっとこんな内容だった。
自分は六次元世界からやってきた。
そこで自分は次元を渡る研究をしていて、その中で偶然、超エネルギー体を発見した。その一部がこの赤い石。
自分がやってきた目的は、大量の赤い石と共に三次元世界に逃亡した研究仲間を追跡するため。彼がなぜ三次元世界を選んだのかは分からないまま。
ただ、持ち込んだエネルギー体の総量は計り知れず、何がきっかけで暴発するか分からない。
事態が大きくなる前に、逃亡した仲間を説得するなりしてこちらの被害を食い止めたい。自分たちには肉体がない精神体だけの存在なのでこちらで活動するには、誰かの体に取り憑く必要がある。
なのに自分はこの猫くんに取り憑いてしまったので、あなたの協力が必要になった。
「はー……」
ここまで胡散臭い話だとは思わなかった。
『お願い、手伝って。このままあいつを放っておいたら、この世界は大変なことになるの』
何度説明を咀嚼しても、なにでどう割ってみても、最後に残る答えはひとつ。
「次元を渡る、とか超エネルギーとか、ほんっと信じられないんだけど」
真剣な声色で、しかも春嵐丸の顔でお願いされては断る事なんて不可能だった。
「知り合いも絡んでるみたいだから、手伝うわ」
『ありがと……。断られたらどうしよう、って不安だったわ』
「断ったら春嵐丸に愛想尽かされるに決まってるから、よ。あんたのことを信用したわけじゃないから」
『それでもいい。ありがと』
「何回も言わなくていい。それより、あいつはなんで石を知ってるの?」
あの様子ではきっと石も所有しているだろう。
デュオラはその質問の方が意外そうに答えた。
『え、だってその石は、こっちの時間で三ヶ月ぐらい前にこの世界に持ち込まれて、その時のショックで爆発して、それぐらいの大きさに砕けたの。……知らないの?』
三ヶ月前、と言えば春休み頃だ。紅薔薇は社長の仕事が忙しくてあまり遊べなかったので、稽古が終われば家でテレビやまんがを眺めてごろごろしたり、愛弓とふたりでウインドウショッピングをしたりしていた。なのに、噂さえ聞いたことが無いのはいささか不自然に感じた。
「え、爆発、ってそんなのニュースでもやってないけど?」
『なにそれ。わたしてっきり争奪戦でもやってるんだと思ったけど』
元々デュオラへの信用は薄いものだったが、この言葉で限りなく薄くなった。
「……ほんとにそんなにすごい物なの?」
『すごいなんてもんじゃないわよ』
「もっと具体的に」
そうね、と考え込み、
『上手く使えば、ここから隣の惑星……火星っていうの? そこまで、生身で五分と掛からずに行けるぐらいよ』
「なまみ……」
清香でも宇宙用ロケットの発射シーンぐらいは見たことがある。あんなにものすごい煙を吐き出しながら、高層ビルよりも大きな金属の塊がゆっくりゆっくり上昇していく姿には少なからず感動した。近年始まった宇宙開発にあいつの会社が陣頭指揮を執っている、と聞いた時にはその感動がより身近に感じたものだ。
映像がテレビで流された翌日の授業で、火星までは行くだけで何ヶ月もかかると教師が語っていたのをびっくりしながら聞いていた。
「すごいのは分かった。でも、集めてどうするの? 世界征服でもするの?」
『しないわよ! そんなこと! わたしは、集めて元の世界に帰りたいだけ。仲間が勝手にこっちに持ち込んだから、迷惑かける前にって思ったの』
「あたしはもう、十分迷惑なんだけど」
『それについては謝る。でも、もっと大きな被害が出て無くて本当に良かった』
本音だと思う。
こういう気遣いができるなら、少しだけなら信用してもいいのかも知れない。
「で、この石はどうするの?」
『んー』ぶつぶつ言いながら清香の足もとをぐるりと回る。『あ、いいもの持ってるじゃない。そのポーチ、ちょっと貸して』後ろ越しに付けていたポーチを前足で指した。
「いいけど、濡らすのは止めてよ」ベルト穴に引っかけてあるフックを外して地面に置く。
『大丈夫大丈夫』
前足で器用にファスナーを開けて顔と両足を突っ込む。傍目にはおやつを漁っているようにしか見えず、ふりふりと揺れるお尻としっぽがじつに愛らしい。
『はい、おっけー。次元の壁に穴を開けて、赤い石をいくらでも入るようにしたから』
「次元って、なんでそんなことが出来るのよ」
『わたしは六次元世界で、次元を渡る研究をしてたの。ひとつ上の次元に穴を開けて物入れにするぐらいならすぐにできるわ』
紅薔薇に懇切丁寧に教えてもらいながら、どうにか理数系の授業について行っている清香には、そもそも六次元、という単語だけで手一杯なのだ。
「まあいいわ。考えても分からないし、あいつに教えてもらえる状況じゃないし」
ポーチに赤い石を入れ、後ろ腰に装着する。
清香と紅薔薇の間に何があったのかを根掘り葉掘り聞き出せるほど信用を得ていない以上、デュオラは踏み込むことはしなかった。
「なに?」
『う、ううん。あんなに嫌がってたのに、って思って』
「いまでもイヤよ。大体、春嵐丸……」
人質にとるようなことしておいて、とは彼の手前さすがに言えなかった。言えなかったが、デュオラはそれを察し、沈んだ声でこう言った。
『だけど、ほかに頼めるひと、いないし……』
「にゃっ!」
最後は春嵐丸自身からの非難だ。
「わかってるわよ、も~~~っ」
子どもっぽく、ばたばたと手足を動かして溜まったモヤモヤを発散する。
「あたしが一番オコサマだし! あいつのことを許せないあたしが全部悪いんだからぁっ!」
わめかないとやってられない。
『そ、相談なら、乗るよ。これでも一応大人なんだから』
「イヤ。勉強バカに相談なんかしたくない」
『そういう言い方って無いでしょ!』
「うるっさい! 自己嫌悪ぐらいさせなさいよ!」
難しい子ね、とデュオラがため息をつくと、春嵐丸も同意するように、うにゃ、とつぶやいた。
耳ざとく聞きつけ、じろりとふたりを睨む清香。
「そこ。めんどくさいとか言わない」
『言われ慣れてるならなんとかしなさいよ』
「ムリよそんなの。我慢できないんだもん」
『あんたって美人なのに、もったいないわよ』
「ばか。おだててもあんたのことは信用しないからね」
『重傷ね、これは』
「にゃ」
「あ~、も~」
退路は全て断たれた。
崖っぷちでしゃがみ込んでいても誰も助けてくれないのは当然のことで、清香は思いっきり強く手を叩いて気合いを入れる。
「はい、落ち込むのも考えるのもこれで終わり! 帰るわよ!」
『いきなり大きな声出さないでよ』
ふん、と睨み付けて、よいしょ、と春嵐丸を抱き上げる。そう言えばお昼ご飯がまだだった。
「あんたご飯はどうするの?」
『シュンランマルくんが食べた栄養からちょびっと分けてもらうから、用意してもらわなくてもいいわ』
「それで春嵐丸が具合悪くしたら、ひどいからね」
『ならないわよ。安心して』
ひょい、と春嵐丸を頭に乗せて帰路に就く。
セミの鳴き声が耳を塞いでくれて助かった。
油断すれば、すぐにあいつの笑顔が浮かんでしまうから。
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