6 調査報告

 お風呂上がりのわたしにかなえがすっと差し出したのは、いつの間にかプリントアウトされていた紙の束だった。

「なにこれ。」

「調査資料。さっき送ってもらったの。」

 そういえばそんな話をしてたっけ。

 カーペットの上に座りこんでぱらぱらと目を通す。かなえはベッドに腰かけてわたしを見下していた。

 前半は、かなえが乗っ取った記者が調べたことらしい。

 巻きこまれた人達から「影」と呼ばれているこの現象は、その名の通り「自分が他人の影となり、巧妙に宿主を騙して自らが本体に取って代わること」を示す。このとき乗っ取られた側は新たな「影」となり、別の宿主を騙すことになる。

 悲劇的な連鎖だと、書いてある。

「重要なのは『認識』なんだって。自分より『影』のほうが自分らしいと思っちゃえばその時点でその人は『影』になっちゃうって。」

「なんか、とっても不確実だね。」

「人間の感情ほど曖昧で確実なものはないよ。」

 かなえの顔を仰ぎ見る。いたずらっぽそうな顔がそこにあった。

「かなえの言葉じゃないでしょ。」

「正解。文美さんが言ってた。」

「誰?」

「わたしが乗っ取った人。めっちゃ美人。」

 そういうかなえもなかなか整った顔を持ってるんだけどな。

 続きを読もう。

 そもそもこの現象がささやかれ始めたのは十年以上も前の事らしい。ずっとこのあたりの地域で伝わっていて、初期のネットの頃、までは遡れないものの、かなり古くから掲示板などで書きこみがあり、実際に乗っ取られたという人もいる。が、本当に乗っ取られたことがあると確認がとれたのはほんの数人だけだったという。

「え、見つけられたの?」

「うん。このへん、市内だけで四人だったかな。」

 調査資料にはばっちり個人情報が乗っていたけど、別にそこには興味はない。目を惹かれたのは体験談のほうだった。

 乗っ取るまで一ヵ月だったという人もいれば二年以上かかったという人もいる。二年以上かかったのは最初の一年をどうにか相手に会わずに過ごしたかららしいが、そのころから自分のことがわからなくなり、そのうち存在自体が消えてしまうのでは、という恐怖に駆られて、半ば狂気的な言動をとりながら宿主のところに行ったらしい。

 もちろんそんなことをすれば相手から警戒されるはずなのだが。よっぽどのお人よしだったのか押しに弱かったのか、宿主は心が衰弱していたその人を助けようと自ら率先して動いてくれたらしい。

 また、別の二人は本当に初期、十年ほど前に入れ替わりをした人たちだった。

 そのころには、『影』の噂はもっと違うものだったらしい。

「別?」

「うん。『影』に乗っ取られるうんぬんはそのままなんだけど。他にも言われていたことがあって。」

 かなえは、一枚紙をめくった。

「この現象を引き起こしたのは、魔法使いなんだって。」

「……。」

 はあ? と声に出そうとして。最近その単語を聞いたことを思い出した。

 四栂さんは、自分の事を「魔法使い」だと言っていなかったか?

「かなた?」

「……いや、ありえないでしょ。」

「本当だよ。そもそも魔法使いの噂のほうが多かったらしいよ。『影』のほうが新しいんだ。」

「へえ?」

「たとえばね、魔術を継承している一族がいるとか、人口の三パーセントくらいは魔法が使えるとか、何千年も生きてる人がいるとか、この街自体が何かの実験場だったとか、地下に秘密の集会場があるとか……。」

「なにか確証がある噂なの?」

「ううん。全然。」

 ずっこけようかと思った。

 あきれて、頬杖をつくにとどめる。

「なんだそりゃ。」

「あはは。ぼくも最初聞いたときはそう思ったけど。文美さんは本当だって言ってた。」

「なにか確証があったの?」

「うーん。詳しくは教えてもらえなかったんだけど。確か『魔法を継承している一族』にはあてがあるって言ってたかな。」

「へえ。」

「その苗字がね、なんか聞き覚えがあったんだけど。どこでだったか全然思い出せなくて。」

「なんて苗字?」

 かなえは首をひねった。興味が無かったんだろう。あまりしっかり覚えていないようだ。

「無理しなくてもいいよ。」

「いや、ちょっと待ってね。なんか珍しい苗字で――。」

 ぽん、と手を打つ。


「そう、『遠夜』だ!」


 嬉しそうなかなえの前で、わたしは必死に紙の束をぶちまけないようぎゅっと握りしめた。

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