4 思い出話
秋孝が気づいたのは、「柊かなえに誰かの『影』がくっついた」、ということだけだろう。
いや、それ自体は間違っちゃいない。でもそれは何か月も前の話だ。
秋孝にとって本物の「柊かなえ」はわたしだから、本物のかなえじゃなくて、わたしに声をかけてきた。
そこまで気がついたのは、バイトも終わった帰り道のことだ。ずいぶんと遅い時間で、夏とはいえすっかり暗くなった道は人気がない。
もしもわたしが由羽とわかっていれば、あの秋孝だってもうちょっと大きいリアクションがあってしかるべきだ。
一人でうんうん頷いていると、後ろから「なにやってるの、かなた。」と声がした。叫び声を飲みこんで、素早く振り向く。
「かなえ!」
「おかえりかなた。」
普段着のワンピースを着たかなえはわたしの隣に並ぶと、「なに考えてたの。」と意地わるく聞いてくる。
前よりもだいぶ、雰囲気が変わっている。
「べつに、何でもないよ。」
かなえはまったく信じていないように目を細めた。はじめて見る表情だった。
「それより、そっちのほうが話すこと、たくさんあるんじゃないの。」
わたしの問いに、かなえは「そうね。」と一歩前に出た。軽やかに歩いて行く後姿を追いかける。
街灯の向こうで、夜の空を切り抜いたような三日月が浮かんでいるのが見えた。
「メールでも言ってたけど、かなたに体を乗っ取られた後、ぼくも『影』になって、この間までオカルト雑誌の記者をやってた。編集部の人もまきこんでいろんなことを検証して。最初から、『影』の仕組みとか、どういう人生を送ってきたのかとか、全部話しちゃったから。とっても気楽だった。」
こんなに饒舌なかなえは見たことがなくて、軽い相槌以外はなにを言っていいのか困ってしまう。
「で、その人と入れ替わる時が来て、乗っ取りが終わったら連絡するなんて言って。実際近くの学校の子に乗り移ったって連絡が来たよ。」
やっぱりこの現象は近場で発生してるんだ。
「そっか。」
「うん。――その後だったんだけど。」
かなえの声のトーンが、下がる。
「『影』の事を記事にして、さあ載せようかってところまで来た頃にね。急にその話がぽしゃっちゃったの。」
「ああ、そうなんだ。」
どうりで何の返事もないと思った。
「それにしても不思議だったなあ。急に編集長さんから、何の理由も聞かされずにさ、記事のデータを消せって言われて。それっきり何もできなくなっちゃったんだよ。」
……それは暗に、どこかから圧力がかかったんじゃないだろうか?
かなえはそのことには至れなかったらしい。首をかしげて不思議がっている。
「で、データはそのまま消しちゃったの?」
「ううん。編集長の目の前で消さなきゃいけなかったからそっちが納得するまでデータは消したんだけど、あの人自分の調べたことは全部実家のパソコンに転送されるようにセットしてあったから、そっちにはまだ残ってるよ。」
さすが怪しい雑誌の記者さんだ。そういうところは抜かりない。
できれば今度見てみたいな、といったらかなえは二つ返事で承諾した。
「その人とはずっと連絡を取っていてね? 相手の子を乗っ取るのもうまくいって、これから二回目の高校生だよ、なんて冗談言ってた。
なのに、急に帰って来ちゃったの。また影になって。」
……さあ、本題だ。
「今のかなえみたいに?」
「そう。その人も、乗っ取った相手がすぐに帰ってきて、追い出されたって言ってた。編集部の人達が『逆流』って名称をつけてたよ。」
「逆流か……。」
入れ替わった順に、元の位置に戻っていく。まるで元の形に戻ろうとする金属みたいに。
でも、起こってしまった事はなにも戻らない。それはビデオの逆再生のようでいて、実際はビデオの続きにすぎないのだ。
「だから、かなたも元の体に戻れると思うよ。かなたも自分の体を誰かに乗っ取られたんでしょう?」
「……え、うん。」
そして、逆流の結果次がわたしの番だとしても。
呆けたような顔をしていたんだろう。かなたがあまり嬉しそうでないわたしを見て首をかしげた。
正直、手放しで浮かれることはできなかった。
かなえとして過ごした半年は消えないし、乗っ取るときの苦労も何もかも、なくなってしまう気がしたから。でもそれは違うのだと、自分に言い聞かせる。
起こった事は、なにも消えない。変わらない。
「どうしたの? もしかして、元の体に戻るのが嫌とか?」
「それはないよ。」
誰だって、理不尽に巻きこまれた現象から逃げ出せるならうれしいに決まっている。
かなえは街灯の下で振り返った。笑った顔が青白く浮かび上がる。
「そうじゃなくちゃ、困る。」
さっきまで話していたような、明るい調子の声だった。それなのに、背筋がぞわり、と泡立つ。
不意に、かなえのお母さんを思い出した。あの日、わたしの首を絞める前にしていた表情に似ていたから。
――そうだよね。わたしが場所を渡さないと、かなえも困るよね。
「元に戻る、か。」
あまりに唐突なことに、まだ自覚がない。
この現象に、『影』になることに、解決方法なんてあったんだ。そもそもどうして逆流なんて起きたのかは全く分からないけど。てっきり受け入れるしかない自然の驚異のようなもの、だと思っていた。
戻る。あの体に。遠夜由羽に。
そこまで考えて、思考が止まった。
……ちょっと待てよ。
街灯の下を少し通りすぎて、立ち止まる。かなえは気づかなかったようでどんどん先へ歩いて行ってしまった。
体の震えが止まらない。夏風邪ではないだろう。わたしが気づいてしまっただけだ。
「かなたー?」
振り返ったかなえが、遠くから手を振っている。わたしは大丈夫、と伝えるために手を振り返した。
「先帰ってて! ちょっと電話!」
はーい、と間延びした声が聞こえて、かなえの姿が消えた。わたしは少し戻って、公園に駆け込んだ。
よかった。誰もいない。
慌ててスマホを取り出す。
手が震えてうまく操作できない。やっとのことで電話帳を開いてから、ぴたりと手が止まった。
――なにかあったら言ってと。そうは言われているけれど。
聞こえるのは自分の荒い呼吸だけ。うまく息ができない。
どう説明すればいい? 唐突に、こんなこと。
このままいけば、秋孝が――。
震える肩を、誰かにつかまれた。
びくり、とそちらをふり返る。柔和な顔をした女性がわたしを見て眉根を寄せていた。
「大丈夫? 具合、悪いの?」
「あ――、」
「ほら、大丈夫だから。とりあえず座りましょう?」
背中をぽんぽんとやさしくさすられる。導かれるまま、よくかなとと一緒に座っているベンチまで足を動かした。崩れるように座りこんだわたしの横で、女性がずっと背中を支えてくれていた。
スマホの画面はとっくに消えている。冷や汗を拭うわたしに、女性はもう一度「大丈夫?」と聞いてくれた。
「だいぶ、いいです。」
「そう、よかった。」
どこかで見たことのある女性だった。
「あの。どこかで……?」
「……わたしもちょうどそう思ってたの。ねえ、あなた病院にいなかった?」
「びょういん……。」
そこまで聞いて、頭の中をあの雨の日が通り過ぎた。
「病室の前で。」
「ああ、やっぱりそうなのね。」
女性はにっこりと笑った。心底安心したような微笑みで。
「改めて自己紹介するわね。わたし、
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