1反魂

 そうこうしているうちに、――異変は、すぐそこまで迫っていたんだ。


 一学期も終わりかけ。最近は夏服のカーディガンがなくてもいいくらいの暑い日が多い。

 テスト前の一週間、美術部は休みになる。勉強しろってことだろうけど、別に息抜きに絵を描いてもいいとは思う。

「まーちゃん、ちょっと部室行ってくるね。」

 放課後、廊下で掃除をしている佐倉さんに声をかけた。返事をしながら顔を上げた佐倉さん越しに、教室の黒板を消している秋孝が見える。

 二人が同じ教室にいる状況にも、慣れた。

「忘れ物?」

「家でデッサンしようと思ってたんだけど、スケッチブック忘れてきちゃって。」

 ちなみに今はまっているのはプラスチック製品のデッサン。今日はゲーム機を描くつもり。

「ほどほどにしなよ? まあ、かなちゃんのことだから大丈夫だろうけどさ。」

 うん、と返事をしたら微妙な顔をされた。

 勉強に対しては由羽だったころと変わらずに、手を抜く気がさらさら起きないんだ。結果がいいものになるのは当然だと思う。

 反対に、佐倉さんは

 小走りに特別教室棟に向かう。さすがにどの部活も休みだからか、いつもよりひっそりとしている。

 美術室の前の廊下にたどり着くと、部室の前に誰かが立っているのが見えた。

 近づいていって、おもわず、五歩くらい離れたところで立ち止まった。

 平均的な制服の着こなし。少し伸びた髪を二つ結びにしているところ。右足に重心を置く立ち方。

 半年間で見慣れた後ろ姿。

「……まーちゃん?」

 佐倉さんが、振り向く。

「かなちゃん。どうしたの?」

 さも当然にほほ笑んだ顔は、すこし硬かった。

 おかしい。

 教室の前からここまで、ルートはほぼ一本。だいたい、わたしに用があるのなら、後ろから追いかけて来ないとおかしい。

 こいつは、『影』だ。

「……どうしたの? かなちゃん。」

「そんなふうに呼ばないで。初対面でしょ、わたしたち。」

 佐倉さんの顔が引きつった。言い返せばいいのに、何も言えずに固まっている。佐倉さんならすぐに真剣な目になって、「なんの冗談?」とか聞いてくるのに。

「佐倉さんに憑りつく気なの?」

「なんの話……。」

「ごまかしたって無駄だよ。こっちは経験者なんだから。」

 笑顔を張り付けていたその顔が、すっと青くなった。

 『影』が一歩後ずさる。

「……どういう、こと。」

「そのまんまの意味。あなただって、誰かに自分の体を乗っ取られたんだろうけど。」

 青ざめるそれに近づいて、肩をつかんだ。

 これ以上、佐倉さんに近づけさせないようにしなくちゃ。もう彼女は、巻きこまれるべきじゃない。

「迷惑だから、帰って。佐倉さんには指一本触れさせない。」

「君、柊かなえじゃないんだね。」

「……あんたに言ってもわからないだろうけど。」

 どん、と『影』を押す。すぐ後ろの壁に押しつけられて、『影』がうめいた。

「ぼくは、遠夜由羽だったもの、だよ。」

 予想に反して、影はぼくを知っていたようだった。遠夜由羽、と呟いて、あきらめたように座りこんだ。

「……そんなこと言われたら、邪魔できないよ。」

「は?」

「いいや。最強の騎士様がいるんじゃあ、そりゃ無理だって話。」

 何を言ってるんだろう。こいつの中での由羽のイメージってどうなってるんだ。

 興味もないけど。

「そういうあんたは、誰?」

 『影』は力なく笑った。その姿がだんだん薄くなっていく。

「教えない。知らなくていいよ。」

 つかんでいた肩が、実体をなくす。手をひっこめると、影が陽の光に透けていくように、その姿が消えていった。今まで見たやつらとは少し違う消え方だ。

「よかったじゃん、佐倉さん。」

 声だけが響いて、消えた。

 静かになった廊下にまだ残響が残っているような気がして、わたしはしばらく『影』のいたあたりを見ていた。

 わたしがかなえのところに来たように、人が入れ替わるって現象は、案外近いところで続いているのかもしれない。

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