7 野坂さんへ

 野坂さんがかなえにしたいやがらせ。

 絵の具を隠す、書きかけの絵に落書きする、筆を折る、部屋から閉め出す。教室では基本無視、話しかけられても応えず、かといってまったく構わなくなるとさりげなく筆箱を隠したり(それも場所を移動させるだけ、少し探せば見つかる)、転ばない程度にちょっと階段で背中を押したり。

 ほかにも計画に与したやつはいるみたいだけど、主犯は野坂さん。不登校から復帰した後、ちょっかいをかけてくるのは野坂さんだけになった。

 まったくもってくだらない。

 まるで、好きな子の気を引きたい小学生見たいだ。

 どうしてそんなことをするのかかなえはわかっていなかったようだ。というか、ただただ面倒に思っているような。

 ……だから、かなえにこの件は解決できないんだ。


 移動教室のとき、いつも野坂さんは一人だった。たいてい一人で歩いているかなえの後ろを、少し離れて歩く。放課後はかなえより早く教室を出て、部室に向かう。たぶん部活の物を隠しているのはこの時間だろう。部活の後は、かなえを追いかけるように部室を出る。

 今日も彼女は、かなえと佐倉さんの後ろ姿が見える位置を保って歩いている。

 秋らしくすっかり暗くなった校舎にはぼくら以外の人の気配はない。明るすぎて逆に不気味な廊下には三人だけ。

 角を曲がったかなえと佐倉さんの姿が見えなくなったとたん、野坂さんは歩みを速めた。

 ――今だ。

 ゆっくり歩み出る。

 ぼくは交差している廊下から、さも今歩いてきたかのように現れて、野坂さんの前に立った。

 おさげ髪の女の子が突然出てきた人影にびっくりして立ち止まり、ぼくを見上げる。

 はじめて、野坂さんの顔を正面から見た。

 ぼくを見てきょとんとした顔が、目線があった瞬間ばっと赤らんだ。

「野坂さん。」

「――。」

「ねえ。もうやめてくれない?」

 固まったように、野坂さんは動かない。

 それはぼくも同じだった。最初は一言言って去るつもりだったのに。

 じんわりと広がっていく、その表情。


 とても、嬉しそうだ。


 そんな顔を見たら、動けなくなってしまった。

 だってわかってしまったから。どうして野坂さんがあんなことをしていたのか。

 なんとも馬鹿らしいことに、ぼくの予想が大当たり、みたいだ。

 野坂さんはだんだん荒い息になって、ぼくに一歩、踏み出した。

「――やっと、こっちを見てくれたね。」

 野坂さんがぼくに触れようとする。反射的に一歩下がった。

 かわいい小動物を見つけたように、野坂さんの手がのびてくる。

「かなえがいなくなって、とっても寂しかったの。せっかくもうちょっとでわたしに振り向かせられると思ってたのにあの女がわたしの邪魔ばっかりするしかなえは学校にこなくなっちゃうし先生やほかの子にも疑うような目で見られて距離を開けられて独りぼっちになっちゃって。……わたし、もうどうしていいかわからなくて。」

 素早い動きで、手首をつかまれた。もう一方の手ですっと腕をなでられて、背中を震えが駆け上がる。

「でも、こうやってかなえが帰ってきてくれて、とってもうれしい!」

「……っ。」

 漏れそうになった舌打ちをどうにかこらえる。

 見ていられない。でも、見なくちゃいけない。

 ぼくはかなえになるんだから、かなえに向けられた感情は、全部、ぼくが受けなくちゃ。

 ちゃんと、野坂さんの気持ちに応えてあげないといけない。

 野坂さんは、かなえのことが大好きなんだ。

「……野坂さん。」

「なあに?」

 幸せそうにほほ笑む彼女に、ぼくは最大限の笑顔を向けた。

 ああ、しあわせそうだ。野坂さんもぼくに微笑みかけている。

 ぼくはそのままバケツの冷水を浴びせるように、言葉を紡ぐ。

「君がぼくに釣り合うと思っているの?」

「――かなえ?」

 野坂さんの手から逃れるために、かき消える。つかんでいたものがなくなっても、彼女は動かなかった。

 ぼくは彼女の手が届かないところに現れて、その後ろ姿を眺めた。

「……かなえ?」

 呆然としている野坂さんに聞こえるように、派手な音を出しながら廊下の窓を開ける。肩をびくりと揺らして、三つ編みおさげが勢いよくはねて、振り向いた。

 窓枠に飛び乗る。

 秋の冷たい風が心地いい。ほてった頬を冷やしてくれるから。

 一転蒼白になった彼女に、告げる。

「ねえ。ここからなら飛べるかな。」

 ぼくは屋上から落ちたボールを思い出していた。

 ああ、最悪だ。結局結末が同じだなんて。

 どうしてぼくは、こんな選択肢しか選べないんだろう。

 足をもつれさせながら、野坂さんが走ってくる。そんな彼女に視線を向けたまま、ぼくは軽々と、宙に身を投げ出した。

 由羽が飛び降りた校舎が逆さに見えた。こっちも同じ三階ぶん。あいつ、よく生きてたな。

 野坂さんの悲鳴を聞きながら、ぼくは地面にぶつかる前に消えた。暗闇に紛れて、野坂さんには見えなかったろう。

 あのとき、由羽が飛び降りたとき、佐倉さんはどこにいたんだろう。直接見ていなければいいけれど。こんなもの見せられたら、それこそトラウマになってしまう。

 野坂さんには悪いけれど、それでひきこもってくれたりしたらちょうどいい。これが幻だってことは、明日学校に来て、本物のかなえを見ればわかる事なんだけどさ。

 もしもひきこもるでもなく、あきらめることもなければ、その時はその時で対処をしよう。


 ――さあ、もうひと仕事だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る