2 心配事
どうしてかなえはもう一人の自分が現れてうれしそうだったのか。どうして「ぼく」を必要としていたのか。
その疑問はかなえと話をして二時間後には解明されることになった。
「じゃあ、よろしく。」
「……うん。」
結局一睡もすることなく、制服の上にコートを着たかなえは、ローファーを持ってベランダへ出ていた。対してぼくは、かなえの部屋着を着て、開け放った窓の前に立っている。昇ったばかりの朝日も澄んだ空気も、すべてぼくに刺さってくるようだった。
「どうしたの?」
「……ふつう、逆だよ。」
心底わからないといいたげな表情のかなえに、あきれたように告げる。
もちろん話を持ちかけたときにドッペルゲンガーの使用例は話してある。
『影』にやらせることと言ったら面倒くさいこと。学生の場合は学校に登校することって言うのが定石だ。
けれど今、かなえは学校に行こうとしている。それも「自分がいない間に自分が部屋に引きこもっているように装って」なんて命令をして。これじゃあぼくが楽をすることになる。
「どうして学校に行くのさ。学校でなんかあったから引きこもってるんでしょ?」
「そう、なんだけどね……。」
ちらり、と腕時計を見たかなえは、「もう行かなきゃ。」と靴を履く。
「部屋のもの、好きにしていいから。部屋からは、用がなければ出ないでね。」
「はいはい。行ってらっしゃい。」
「行ってきます、かなた。」
細身の体が危なげにベランダの柵を飛び越え、その向こうの生垣へ消える。
かなえの部屋は離れの一室で、ベランダの周りにある生垣には女の子が一人通り抜けられるくらいのすき間がある。
窓を閉めて、ベッドに寝転がる。
それにしても、どうしてベランダから出て行ったんだろう。
かなえから聞いた話だと、今家にいるのは専業主婦のお母さんだけで、お父さんはお役所で早朝から暗くなるまで働いているらしい。きょうだいは五つ上にお兄さんがいるけれど、今は一人暮らしをしていると言っていた。
身代わりを立ててこっそり家を出なければいけない理由。おそらく母親だろう。この時間障害になるとしたら家にいる人、お母さんってことになる。
どうして、お母さんには見つかりたくないんだろう。
もんもんと考えていると、扉をノックする音がした。続いて「かなえ、朝ご飯持ってきたよ。」という声。
「はーい。」
こんなの聞いてないんだけど。
説明不足過ぎるかなえがいけないのか、それとも『影』には人以上の適応能力が求められるのか。もしも後者なら今のぼくじゃ役不足な気がする。
扉を開けるとお盆を持った女の人が立っていた。かなえみたいに部屋着じゃなくて、今すぐ出かけられそうなくらい身だしなみがきっちりしている。お盆を受け取って「ありがとう。」と言うと、にっこりと微笑まれた。
「かなえちゃん。昨日夜遅くまで起きてたでしょう? いけないわよ、早寝早起きしなきゃ。今夜から気をつけて。」
娘を心配する母親、のはずなんだけど、その笑顔は迫力満点だった。おもわず「ごめんなさい。」とうなずく。先ほどよりは気迫の抜けた笑顔になったお母さんは「またお昼持ってくるからね。」と、ドアノブを最後までしっかり回すように扉を閉めて帰っていった。
お盆を机に置く。ポットの紅茶に目玉焼きの乗ったパン、サラダ、それからヨーグルト。栄養バランスばっちり。
カップに紅茶を注ぎながら、ちらちらと扉を見る。
毎食、かなえの食事を部屋まで運んできているのだろうか。それにあの扉の閉め方。まるで牢屋にでも入れられている気分になった。
「牢屋か……。」
かなえは、ぼくを脱獄のための身代わりにする気なんだ。
閉じこめるくらい大切にしている娘に出すものだ。怪しまなくてもいいだろう。この朝ごはんはありがたくいただくことにした。
秋孝もプリンをおいしそうに食べていたけど、『影』になっても普通に食事はできる。ただ、食べなくても死ぬことはない。
サラダをしゃくしゃくと咀嚼しながら、どうしたものかと考えた。かなえもどうせぼくに学校に行けと言うだろうから、必然的に佐倉さんや秋孝もどきの様子も探れると思っていたんだけど、初っ端からこれではずっと家から動けなくなってしまいそうだ。
佐倉さん。病院から帰った後、風邪をひかなかったのならいいのだけれど。
こうなってしまった以上、ぼく本人としてはどうしてあげることもできないけど。それでも、あんな泣き方をされたことはすっきりしないままだ。
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