3 仮契約
秋孝の家でしばらくさわいでから家に帰ると、夜のほうのお手伝いさんが来ていた。こっちの人は小さいころから変わらずに来てくれてるおばさんで、ぼくも「夕飯なに?」と気軽に聞ける。
「天ぷらにしようかな。」
「やった。」
おばさんの揚げる天ぷらは、サクサクでおいしい。脂っぽくないから母さんも好きだと言っていた。
「母さんは? 今日も帰って来ない?」
「八時くらいに帰ってくるとは聞いてるけど。夕飯は食べてくるそうで。」
アイス食べる? と冷蔵庫を探っていたお手伝いさんが棒付きのアイスをさしだしてきた。ぼくは受け取ってから、こぶにアイスを当てる。冷たくて気持ちいい。
「あら、転んだりした?」
「なんか、貧血だって。覚えてないけど頭打ったみたい。」
おばさんは「痛そうねえ。」といいながら、ちょっと楽しそうにぼくのたんこぶをつつく。
「冷凍庫に保冷剤あるから、つらかったら言ってね。」
「はあい」と返事をして、アイスを食べながら自分の部屋を目指した。
ダイニングから出て、廊下を端まで歩いて、階段を二階ぶんのぼってやっと自分の部屋に着く。扉を開けるころにはアイスを食べ終わっていた。家が広いっていうのも考えものだ。
わが家は基本的に日本家屋で、ダイニングなんかは洋風になっている。ぼくの部屋は畳敷きだけど、ベッドと勉強机が置いてあるからほとんど洋風に近い。
ゴミ箱に棒を捨てようとすると、奥のベッドのほうから声が聞こえた。
「待って、それ当たってる。」
「ん?」
確かに、棒には「あたり」の文字があった。後でおばさんにもう一本もらおう。
……ん?
べたつく棒を置こうと、ティッシュを一枚とって、気がついた。
ここは、ぼくの部屋のはずだ。一人っ子だからもちろん一人部屋。誰かが入ってくるなんて、秋孝が遊びに来た時くらいしかない。
ベッドのほうを見ると、さも当然のようにぼくが座っていた。勝手に部屋にあった本を読んでいる。
やつの気楽そうな顔を見た瞬間、朝の出来事がフラッシュバックした。
そうだ。こいつのせいで頭打って保健室に運ばれる羽目になったんだ!
鞄を置いて、やつに近づく。朝と同じ制服姿。朝と同じように「やあ。」と手を上げる。
「お前、誰だよ。」
「直球だねえ。でも、見てわからない?」
そう言われても、
「
「そんなことありえないじゃないか、って?」
思っていることをそのまま言われて、ぼくは二、三歩後ろに下がった。
似すぎていて、気味が悪い。
やつは黙っているぼくを見て、ぺらぺらと喋り出した。
「ほら、うわさ話であるだろう? 自分とそっくりな人がこの世界のどこかにいるとか。ああ、三人いるって説もあったね。そいつを見ちゃった人は近いうちに死んじゃうっていう――。ああ、現れると死ぬっていうのは迷信だから安心して。ぼくの目的は別に君を殺すことじゃないから。」
暗に自分がドッペルゲンガーだと言っているにも関わらず、やつの顔は変わらず笑っていた。
「目的?」
「そ。ぼくはきみを殺しに来たんじゃない。」
「目的って、なんだ。」
「君の手伝いをすること。」
到底信じられないことをぺらぺら話されても、頭がついていかない。
でも、じゃあ、今目の前にいるこいつのことが説明できない。
あくまで笑顔で答えるやつが、一番怖い。
「……なんのために?」
「そんなの、君が望んだからに決まってるだろう?」
そいつは立ち上がり、大仰に肩をすくめた。舞台にでも立っているかのようにおどけた調子で歩き回る。
「ぼくは遠夜由羽にかぎりなく似た形をしている、遠夜由羽の分身、影なんだから。君の意思がいないと存在すらできないんだよ?」
大真面目にやつは言った。でもぼくにはそんなこと、頼んだ憶えもなければ口にした記憶もない。だったらどうして、こいつは湧いて出てきたんだ?
「いつそんなこと頼んだ。」
「別に、頼まれて出てきたわけじゃない。それが君の望みってだけだ。」
「ぼくが自覚してなくてもか?」
「うん。」
やつはどんどん近づいてくる。それを避けるようにぼくもいつの間にか足を動かしていた。
後ろに下がりすぎて、勉強机の椅子にぶつかった。そのまま崩れ落ちるように座る。
例えばこれが夢だとしても、今のところ、ぼくになにか迷惑がかかるようなことをこいつが要求しているわけではない。それどころか、一方的に手伝うと言っている。
ボランティア好きのお人よしみたいだ。
頭がずきずきする。いまさらになってたんこぶが痛くなってきたみたいだ。
いっそこいつに話を合わせて、さっさと話しを切り上げようか。正直、やつの占領しているベッドに飛びこんで眠ってしまいたいんだ。
ああ、めんどくさい。
「……手伝いって、例えばなんだよ。」
「えっと、学校に代わりに行ったり、宿題代わりにやったり、付き合い辛いお手伝いさんと会話したり?」
……朝のお手伝いさんのこと、知ってるのか。
いや、それは誤解だ。別に話しづらいわけじゃない。ただ単に距離がつかめないだけで。
「手伝ってもらうのは別に構わないけど。でも、どうしてお前はそんなことをするんだ?」
「だから、君を手伝うためだって――。」
「理由になってない。それは手段であって目的ではないだろ。」
やつは初めて言葉に詰まった。困ったように腕を組んで、笑みを絶やさないように言葉を探している。
驚いた。意外なところで追いつめてしまったようだ。
「ぼくは、君の影さ。君を手伝えないぼくなんて存在している意味がない。だからこれは、……ぼくが消えたくなくて、勝手にやってることだ。」
その声は、どこか苦しそうだった。
まだなにか言えないことを抱えているらしい。まあいいや。やつが納得してくれるなら、それでいい。
「……わかったよ。とりあえず一週間でどうだ。」
「一週間?」
「お前に頼みたいことができたら、ぼくはお前に仕事を頼む。それで信頼できるか判断するから、一週間後にお前を受け入れるか決める。それでいいだろ。」
ぼくの影はうなずいた。
「それで、何か頼みたいこと、ある?」
そう言われても、とは思ったものの、ちょうど手元にあたりつきのアイス棒があった。
「じゃあ、とりあえずもう一本もらってきて。」
従順にうなずいたやつはすぐに部屋から出て行った。それを見届けて、ベッドにとびこむ。
乱れた布団にはくっきりと人の座っていた跡がついていて、さっきまで人が座っていたみたいに生温かかった。
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