2 親友

 気がついたら、保健室にいた。

 ぼうっと天井を見ていると、にゅっと見知った顔がのぞきこんできた。

「生きてるか?」

「わっ。」

 ほぼ一か月ぶりに見る顔。でも、七月に見たときより日に焼けている。真っ黒だ。ぼくが身を起こすと友人も座っていた丸椅子に引っこんだ。

 ひさしぶりすぎて何を話したらいいかわからない。言葉を探しているとまだ寝ぼけてると思ったのか、「まだ寝てくか?」と言われた。ううん、と首を横にふる。

「……秋孝って運動部だったっけ。」

 やっと出てきた言葉は、どうでもいいことだった。

 付き合いが長いせいか、すぐに日焼けのことだと分かったらしい。秋孝は自分の顔を指さした。

「あ? いいや。これは夏休み中自転車で走り回ってたから。」

 秋孝の家の人が言っていた「長期の旅行」という言葉が浮かんだ。こいつがそんなアクティブなやつだったなんて、知らなかった。

「なんだよ、それ。」

「ちょっと大間のほうまで。」

「……それって、大間のマグロの大間?」

「そ。本州最北端。」

 ちょっと待て。ここって日本の中心とか言われてる街なんだぞ?

「青森まで自転車でってことか?」

「ああ。」

「馬鹿じゃねえの。」

「じいちゃんは行って来い! って応援してくれたけどな。」

 言葉を返す気力がなくなって、ため息をつく。もう一回ベッドに寝転がると、「そのまま寝るんじゃないぞ。」と釘を刺された。ずいぶん寝ていたようで口の中がカラカラだった。

「今何時?」

「二時。とっくに下校時間過ぎてんだけど。」

 今日は始業式とホームルームだけだったから、半日で終わり。明日からは通常授業だ。

「お前の宿題出しといたから。」

「ああ、うん。ありがとう。」

「あと宿題終わってなかったやつらがお前の見て写してた。」

「いや、それは止めろよ。」

 きっとこいつのことだから、「いいんじゃないのか。」とか言ってぼんやり見てたんだろう。ぼくは相変わらずの調子に安心して、大きくのびをした。お腹がぐう、と音を立てる。

「腹減った。」

「なんか食いに行く?」

「あー、うん。とりあえず水飲みたい。」

 よかった。ふつうに会話できるじゃん。

 のろのろと起き上がって、ベッドを囲んでいたカーテンの外に出る。ちょうど保健室の先生が帰ってきて、「あら、もう大丈夫なの。」と言って、冷蔵庫からスポーツドリンクを出してくれた。

「たぶん貧血だから。それ飲んでから遊びに行くこと。」

「はーい。」

 貧血か。はじめてなった。

 教室に帰るまでの間に、ズキズキと頭が痛みだした。さわってみるとたんこぶができている。じんわりと広がる痛みが気持ち悪い。もらったペットボトルを頭に当ててみる。

「そんなぶっ倒れるほどのことをした憶えないんだけどな。」

「どうせ夏休みのサイクルのままで学校来たんだろ。昼夜逆転生活とか。」

「んなわけないじゃん。十一時には寝ちゃうような健康優良児なのに。」

 そういえばそうだった、と言って秋孝は先に教室の扉を開ける。中には男女入り混じったグループがまだ残っていた。

「お。遠(とお)夜(や)お帰り―。」

 次々におかえりー、と言ってくるクラスメイトにまとめて「ただいまー。」と返す。

 べつにグループに入っているわけではないんだけど、たまに話はする。

「ねえ、黒(くろ)田(だ)の武勇伝聞いた?」

 クラスメイトは秋孝の事を苗字の黒田で呼ぶ。ぼくも苗字の遠夜で呼ばれることがほとんどだ。

「自転車で旅に出たってやつ?」

「そうそう。え、理由聞いてない?」

 ぼくがうなずくと、秋孝が止めるより前に「自分探しの旅だってー!」とはやし立てるような声と共に笑い声が起こった。ぼくも合わせて噴き出す。

「うそ、何時代だよそれ。」

「いいじゃんか、別に。」

 なるほど、だから黒田のおじいちゃんがノリノリだったのか。あの人ああいうの好きそうだもんな。

「それで、自分は見つかったの?」

「いや。むしろ今までの自分を置いてきた気分だな。」

 まじめに答える秋孝に、また笑いが起きた。

 クラスメイトよりひかえめに笑いながらちらりと秋孝を見る。不機嫌そうな顔をしているが、これはいつものことだ。

 やつなりに考えることがあったんだろうけど。一学期もなんか変だったし。でも吹っ切れたのならよかった。

「今度空港までサイクリングでもするか? 付き合うぞ。」

「しばらくいいや。旅用に自転車改造しすぎて見せられたもんじゃないし。」

 なんだよそれ。やだ超見たいんだけど。いつの間にか会話の流れで「秋孝の相棒を見に行く会」が結成された。わらわらと教室を出て、グループのやつらが昇降口へと向かう。

 いやならいやとはっきり言えるやつだから、大丈夫だとは思うけど。

「いいのか?」

「べつに、いいんじゃないか。」

 なんだ、その他人事みたいな生返事。

「前に、家でかいって言われるのが嫌だから、あんまり人呼びたくないって言ってたじゃんか。」

「もう広まってるだろ。それに、お前が言えたことじゃねえよ、それ。」

 また、さばさばした返事。

 確かにそうだ。ぼくは、家の大きさではだれにも負けられない。

 ぼくの家も秋孝の家も、地元で名の知れたいわゆる「名士」の家系というやつで、変に広い家と人脈を持ち、周りの人から一歩引いて接せられてきた。

 昔っから気兼ねなく遊べるのは秋孝くらいだった。

 それ以上言い返せなくなって、黙って靴を履きかえた。外はすっきりと晴れていた。

 前と同じように話せている、と思ったけど、少し違う。

 本当に今までの自分を置いてきたみたいに、秋孝の言葉はどこか淡白になっていた。

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