第6話 騎士と忍者は、霧の中。
『ラプラスの庭』にログインすると、そこは昨日張ったテントの中だった。
テントの中は、少し薄暗い。あくまでログイン・ログアウトのポイントなので、寝袋だったりとか荷物とかは置かれてはいなかった。
……なるほど、こういう仕組みになっているのか。
テントはゲームの仕様的に安全地帯に設定されているそうで、モンスターたちも近寄ってこないのだそうだ。これならログイン直後に運悪くモンスターに囲まれて袋叩き……なんていう心配もない。
ダンジョン内では使用不可だそうだが、それでも十分便利だと言えるだろう。
僕は一人テントを出ると、辺りを見回す。
朝の森の中は霧が立ち込めていて、少し幻想的に見えた。
……「朝霧は晴れ」なんて良く言うけどれも、ゲーム内でもそうなんだろうか。
なんて、そんなどうでもいいことが頭に浮かんでしまったのだが。
いやいやそんな場合じゃない。今は、もっと重大なことがあるのだ。目の前に。
「えーっと、なんの用でしょうか……?」
僕は、恐る恐る訊ねた。
目の前にいるのは、紫音さん、もといしおりんさんだった。
「……ここでは何なので、二人で辺りを探索しませんか?」
しおりんさんの表情からは、何の情報も伺い知れない。
その彼女の声には、声色が底冷えしているというか――表面上は礼儀正しくもあるのだが、裏に何か隠し持っているような、そんな怖さを感じてしまうのだった。
二人の間には会話はない。二人はただ黙々と、森の中を歩いていた。
そもそもなぜ僕たちが早朝の森を歩いているのかというと……。
昨夜、紫音さんからメールが届いたのだ。
ただ事務的に、
「明朝、『ラプラスの庭』に来てください。来ないと××しますよ?」
と、ただ一言。
××とは一体、何なのだろうか……。
ぼかしてある分、余計に恐ろしく思える。
とりあえず××されるのだけは嫌だったので、僕は早朝、『ラプラスの庭』にログインしたところ……そこにはしおりんさんがいたのである。
「とりあえず、こんなところでいいでしょう」
そう言って、しおりんさんは立ち止まる。
そこは森の奥、テントから少し離れた場所だった。
森の中で、僕はしおりんさんと二人っきりで向かい合った。
しかし……。
くのいちだからか、色っぽいというか、妙に露出度が高いというか。
特に、スリットから見え隠れする白いふとももとか。
そのギリギリまで攻めたデザインは、思春期男子にはとにかくヤバい。
かといって上半身も、脇を大きく露出して、健全とはいいがたい。
とにかく、目のやり場に困ってしまう。
「……あまりまじまじと見ないでもらえますか?」
しおりんさんがジト目でこっちを見てくる。
「ご、ごめんなさい」
すぐさま僕は謝った。
悪気はなかった。ただ男子の
話をするときは相手の目を見る。
人としての基本に、今一度向き合うときなのかもしれない。……大げさだけど。
「ところでナギさん、単刀直入に聞きますが……あなたとお嬢様は、一体どんな関係なのですか?」
しおりんさんが、改まった態度で訊ねてきた。
その声、その瞳は真剣そのもの。
おそらくこのことを聞くためだけに、僕をここに連れてきたのだろう。
これは……。返答を誤ると、大事になるヤツだ。僕の直感が、そう告げていた。
「樫宮先輩は……僕にとって、憧れの先輩です。先輩がどう思っているのかは分からないですけど、僕は先輩のことを大切に思っています」
僕は言葉を選びながら、正直に答えることにした。
「……あなたがお嬢様と釣り合うとは、到底思えませんが」
しおりんさんにばっさりと切り捨てられてしまった。
この人は、的確に痛いところを突いてくる。正直たじたじだ。
「それを言われちゃうと、困っちゃうんですけど……でも僕が先輩を大切に思っていることに、変わりはありません」
そして、僕は続ける。
「今は……ゲームの世界だけでも、先輩と並び立てるように、そう思っています」
「……そうですか」
そして紫音さんは、
ただ一言。
「もしお嬢様を悲しませるようなことがあったら……絶対に許しませんから」
静かな森の中に、ざわざわとした風が駆け抜けていくのだった。
◇
僕たちはそれから、10分ぐらい歩いたはずだ。
しかし、見渡す限り、霧と木々。
一向にテントの場所にたどり着く気配はなかった。
「これは……ひょっとして、迷ったとか――」
「いえ、もうすぐで着くはずです。迷うことなど有り得ません」
そうは言うけど、この霧の中だ。迷ったって誰も責めたりはしない。
しかし、しおりんさんは、頑として迷ったことを認めようとしなかった。
「あ、あそこに泉がありますよ! ……近くに泉なんてありましたっけ」
「…………」
突如としてしおりんさんは、いつもの無口キャラに戻ってしまった。
しばらくの静寂。しかし、その静寂を破る出来事が、そのとき起きた。
「グォォォォン……」
モンスターの唸り声。しかも、聞いたことのない種類の。
ボス? それとも、近くにレアモンスターが湧いているのかもしれない。
「とりあえず、行ってみましょう!」
僕たちは声の聞こえる方向に走っていった。
そこにいたのは、先ほどの声の主。その姿は巨大な亀のように見える。
モンスターの名前は、『玄武[小型]』。
これで小型なのか……。サイズがホッキョクグマぐらいあるんだけど、これよりもっと大きな個体がいるってマジですか? 全く想像が出来ないんですけど……。
「やはり、動きは鈍いですね……これならすぐに倒せるでしょう」
しおりんさんの分析に、僕も同感だった。
すぐに倒せるだろうと高を括っていた部分もあったかもしれない。
しかし、戦いは想像以上に長引いた。
「こいつ、堅い……!」
その背中の甲羅は、どんな攻撃も弾いてしまう。
皮膚も堅く、斬撃もなかなか通らない。おまけに石頭と来た。
相手の攻撃は当たるものではないが、これではなかなか勝負がつかない。
「これでは埒が明かないですね……!」
しおりんさんも、予想外の苦戦にいら立ちを隠せない。
負ける要素はないが、勝つこともできない。
これはちょっと考えなければいけないかもしれない。
「しおりんさん、考えがあるんですが……」
僕はしおりんさんに耳打ちする。
彼女も、すぐに僕の作戦に理解を示してくれた。
「それでは、お願いします……!」
僕は、
彼女は疾風の如く駆け出すと、『玄武[小型]』の目の前に出た。
亀の化け物は大きく口を開ける。しかし、しおりんさんは立ち止まったままだ。
「グギャアアァ」
亀は口から粘液を吐き出す。そして、亀の攻撃はしおりんさんに直撃。
「くっ……!」
しおりんさんのHPゲージは、満タンから四分の一に一気に削られる。
しかし――
瞬間、刀身が赤い闘気を纏う。
その効果は、「直前に敵から受けたダメージに比例して威力が上がる」。
そして忍者の紙装甲で、一気にHPの四分の三も失った。
――条件は揃った。
「――これでッ!」
しおりんの一太刀、閃光が走る。
次の瞬間、『玄武[小型]』は甲羅ごと切り裂かれていた。
高防御を貫通し、一撃で仕留めてしまったのだ。
亀の化け物はひとたまりもなく、消滅してしまった。
――そして、戦いの後。
僕は、真っ先にドロップアイテムを確認していた。
珍しいレアモンスターなのだ。何かいいものを落としているかもしれない。
見てみると、『玄武[小型]』のいたところに、アイテムが落ちていた。
何だろう。拾い上げると、それは小さな白い紙が折りたたまれたものだった。
アイテムの名前は、『長老亀の霊薬』。一体何なのか、解説を見てみよう。
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■長老亀の霊薬
万病を治すと言われる霊薬。その力は死者をも蘇らせると言われている。
使用すると、HP、MP、SPが全回復し、状態異常も回復する。
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そこにはヤバい効果が並んでいた。
死者を蘇らすというのはさすがに大げさだが、全てのステータスを全回復するという最強の回復アイテムらしい。
それがただ一つ、ドロップしていた。
きっちり、きっかりと、ただ一つ。
……あ、これ、最後までもったいなくて使えないやつだ。
全回復だし、ステータスがもっと高くなった後に使わないと勿体ない、とか。
ものすごい効果だし、もっと後に使いどきがあるだろう、とか。
そんなことを考えているうちに、使いどきを逃してしまうのだ。
僕は知ってるぞ。何回も経験したことあるから。
……それにしても。
なんとか上手くいったものだ。
しおりんさんの装備している
もし
「いや~、上手くいきましたね!」
と、僕はしおりんの方を見る。
するとそこには――
「……あっ」
粘液まみれで、ドロドロとしたものがくっ付いた、しおりんの姿があった。
露出した肌に粘液がかかって、ところどころテカテカと光っている。
その質感は、まるでローションみたいだ。
シノビ装束がぴっちりと体に張り付いて、うっすらと透けている。
……何というか、ヒジョーになまめかしい。
「だ、大丈夫ですか!?」
僕は慌てて声を掛ける。
しおりんさんは、いつにも増してテンションの低い声で言う。
「……今から水浴びに行きます。覗いたら、コロしますから」
そう言って、彼女はドロドロの体で泉の方へ向かったのだった。
そして、泉の前。
しおりんさんが水浴びをしている間、僕は後ろを向いて彼女のことを待っていた。もちろんその間も、きちんと周囲の警戒は怠らない。
水浴びの音にドギマギしながらも、僕は一つ、大事な決断をしていた。
――
「え、いいんですか!? こんなものを頂いても! 私、刀大好きなんです! このゲームだと、なかなか手に入らないから、どうしようかと思って……!」
「きっと、しおりんさんの方が使いこなせるハズですから」
内心、断腸の思いだったのだけれども、それは表に出さずに。
しおりんさんの方は、とても喜んでくれていた。
それにしてもこの喜びよう。きっと、刀に相当の思い入れがあるんだろうな。
これだけ喜んでくれたら、
……本当は、僕も刀を使いたかったけれど。
「えへへ、嬉しいです。……ハッ、こ、こんなことで懐柔されたりなんか、しませんからねっ!」
ツンデレ? みたいなしおりんさんは、とても可愛らしかった。
彼女も、樫宮先輩への想いが人一倍に強すぎるだけなのだ。
決して怖い人なんかじゃない。
見渡すと、いつの間にか周りの霧が晴れていた。
――なんとなく、彼女のことが少しわかったような、そんな気がした。
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