第4話 <修練の洞窟>と破天荒なチュートリアル その2


 その声の主は、大広間の向こう側にいた。


 顔の半分を仮面で隠した、真紅の瞳の美少女である。

 彼女の髪は、漆黒のような深い黒。

 薔薇の意匠の付いた、真紅のドレスを身に纏い。

 そしてスカートをふわりと靡かせながら――

 少女は右手を前にかざすと、前方に魔法陣を展開させる。


 大広間に現れたそれは召喚陣であった。

 地獄の底から呼び出されたのは、一匹のミノタウロス。

 そしてそれを取り囲むように、取り巻きのスケルトンたちが召喚される。


 ミノタウロスのサイズは、さっきのマッスルゴブリンとは比較にならない。

 天井に届こうかという巨体で、間違いなくボスクラスのモンスターだろう。


「どういうことですか!? 一応、まだチュートリアル中のはずなのです。チュートリアルが終わるまでは、他のプレイヤーは干渉できない設定になっているはずです……!」


「仕方ありません。これより強制排除を実行しますっ……!」


「待って! 大丈夫、その必要はないよ。あの人は僕の友達だから。……たぶん」


 ヒミコちゃんを制しながら、『氷魔の剣』を握りしめ、前方へと歩いていく。

 目の前の仮面少女を見据える。思い当たる人物は、一人しかいない。

 プレイヤーネームを確認――『カシミールⅢ世』。

 やはり、樫宮先輩の仕業だったか。


 しかしそれにしても……。

 樫宮先輩はさっき、僕のことを『我が半身』と呼んでいたような。

 たとえゲームの中の設定だとしても。

 先輩に半身として認められるのは、やっぱり悪い気はしない。


 けれど、樫宮先輩もさすがにノリノリすぎるような気がする。

 ゲームが変わったとはいえ、それに合わせて設定もガラッと変えてくるというのはさすがだと言わざるを得ない。

 どうやら自分は、ロールプレイヤーとしての樫宮先輩のことを舐めてたようだ。


「これが我の与える最後の試練だ。この程度に敗れるようでは、我が魂の伴侶とは認められぬな。……どうした、我が下僕たちでは不満か?」


「えーっと……要するに、僕はあの化け物を倒さないとゲームを始められないんですか?」


「そういうことになるな。……まあ、お主なら余裕だろう」


「そんな、無茶苦茶な……」


 やはり、自分はあのミノタウロスを倒さなければならないらしい。

 いや、あまりにも無茶振りすぎるでしょう!

 ゲーム開始直後にボスクラスのモンスターを撃破せよなんていうのは、かぐや姫もびっくりの無理難題である。


 しかし、樫宮先輩は問答無用の雰囲気だ。これくらい余裕だろう、と。


 要するに、先輩は人のことを過大評価しがちなのだ。

 自分ができるから他の人もできるだろうと思ってしまうのだろうが、いつも自分のハイスペックさを計算に入れ忘れてしまう。

 そのせいで先輩に振り回されることも珍しいことではなかった。

 ……まあ、もう慣れてしまったけど。


「仕方ない、やりましょう。……けどその前に、このまま戦ったら危険じゃないですか? ほら、このバーベルとか」


 バーベルだけではない。それ以外にも大量の筋トレグッズが床に散乱していた。

 あの巨大なミノタウロスと戦うには、邪魔でしかない。

 まあ、本当の目的は時間稼ぎなんだけど、それは口にするわけにはいかない。

 それに全部あのマッスルゴブリンの私物だろうし、壊すのも可哀そうだしね。


「ふ、そういうことか。……いいだろう。スケルトンたち、手伝ってやれ」


 おそらく樫宮先輩もこちらの意図は察しただろう。だが見逃してくれたようだ。

 主人の指示を受けて、6体のスケルトンたちは床に散乱した筋トレグッズを片付け始めた。

 一度、スケルトンに肩をぶつけそうになったのだが、そのスケルトンはなんと自分に頭を下げてくれた。……なるほど、社員教育は行き届いているようだ。

 これから戦うのに、剣が鈍ってしまうかもしれない。……いや、鈍らないか。

 ちなみに、ミノタウロスは召喚された場所から一歩も動かず仁王立ちしている。


 皆が片付けている隙に、こっそり自分のステータスを確認する。


-----------------------------------------


名前:ナギ

プレイヤーレベル:3

種族:大地人アースマン

職業:騎士ナイト


HP(体力):100

MP(魔力): 20

SP(気力): 20


STR(筋力):13

DEF(防御):11

DEX(器用):10

AGI(俊敏):11

INT(知力):10


------------------------------------------


 ほとんどのステータスが初期値である。

 これではミノタウロスにダメージすら入らない可能性もありえる。

 それはさすがにまずい。勝つ可能性がゼロということだからだ。


「考えろ……何か手があるはずだ……!」


 思考をフル回転させる。どこかに勝機がありはしないか――



 ◇



「凶獣ミノタウロスは危険な相手なのです。勝算はあるのですか?」


 しばらくして、ヒミコちゃんが心配そうに訊ねてきた。


「うん、なんとか行けそうな算段はついたかな。それに『慣らし』も済んだしね」


 本当は実際に戦ってみないと分からないことだらけなのだが、それは黙っておくことにした。

 それにこれは樫宮先輩が出した問題だ。難問ではあるが、解が存在しないということは絶対にない。『答え』を見逃すか見逃さないかの勝負なのだ。







 しばらくして、マッスルゴブリンの筋トレグッズはすべて大広間の隅に片付けられた。ついでに、気絶しているマッスルゴブリンも隅へと運ばれている。

 これでようやく、戦いの準備が整ったというわけだ。


「これで文句はないだろう。我も情けをかけてやったのだ。これ以上は引き伸ばしの策には応じぬ。開幕の合図は……そうだな、このコインとしようか」


「大丈夫です、いつでも行けます……!」


 心の準備は完了した。あとは合図を待つだけだ。

 樫宮先輩の指先からコインが弾かれる。それは空中で弧を描いたかと思うと、ゆっくりと地面へ落ちていく。コインが地面についた瞬間――戦いが始まった。

 


 6体のスケルトンへ向かって疾走する。

 その手に握られているのは『氷魔の剣』ではなく――


 ――『』。



 まずはこのスケルトン軍団を片付けつつ、ミノタウロスの動きを見極める!

 

 スケルトンたちに挟まれないように注意しつつ、合間に来るミノタウロスの攻撃を躱す。


「よし、このタイミングだな……!」


 スケルトンたちが後ろに下がったタイミングで、ミノタウロスは手に持った斧を振り下ろしてくる。この攻撃は絶対に回避しなければならない。

 よし、予想通りだ。

 スケルトン生存時、ミノタウロスは積極的に攻撃してこない!

 スケルトンの攻撃は避けられないものは受けてもいい。

 このまま、スケルトンたちを各個撃破だ!


 一匹、一匹とスケルトンたちが戦場から姿を消していく。


 む……あれはさっき頭を下げてくれたスケルトンじゃないか。

 しかし、ここは戦場。手心を加えた方が命を落とす場所だ。

 心を鬼にして、切り捨てる!


「ごめん……」


 どうせアンデットだからまた生き返るだろうし、今回は見逃してくれ。


 そして、スケルトン6体全員を倒しきったとき、『ヒミコちゃんじるしの鉄の剣』のボーナス込みでちょうどプレイヤーレベルが1あがった。

 計算通り。これが欲しかったんだ!


 後は、こいつとのタイマン勝負だ。


「ガウァアアアア!!!」


 巨大な怪物と、一対一で対峙する。

 今までのゲームとは違う、圧倒的なリアル感がそこには存在した。

 目の前にいるのは、まるで破壊の権化の如く暴力を行使する牛頭の怪物。

 思わず足が竦みそうになる。

 ゲームをしていてこんな気持ちになったのは初めてだ。

 ふふっ面白い。だったらその恐怖感ごとお前をねじ伏せてやるまでだ!


 ミノタウロスは雄叫びをあげた。配下を全員倒されて本気モードというわけだ。

 攻撃は一段と激しいものになっていく。

 しかしすぐに待っていたものが現れた。大きなモーションの振り下ろし攻撃だ。

 確かに当たれば一撃必殺だろう。

 しかし、隙の大きい攻撃は、反撃の機会にもなり得る!


 その瞬間、懐に入り込み、ミノタウロスの右足に斬撃をお見舞いした。

 『ヒミコちゃんじるしの鉄の剣』の可愛らしい剣先が、牛頭野郎の血肉を抉る。


 待望の一撃だ――


 今の『ヒミコちゃんじるしの鉄の剣』は、最高に輝いて見えるぞ!

 傍から見たら滑稽な絵面なのかもしれないが、こっちはいたって本気なのだ。

 ミノタウロスのHPバーが減っているのが確認できた。

 よし、いけるぞ! 一撃離脱の戦法で、すぐさま回避に専念する。


 ……筋トレグッズを片付けていた時こっそり確認したのだが、『ヒミコちゃんじるしの鉄の剣』はヒミコちゃんの親愛度上昇によって、基礎攻撃力が『氷魔の剣』より+2だけ高い+14となっていたのだ。

 それにレベルアップのSTR上昇込みでやはりミノタウロスに攻撃が通っている。

 低レベル帯において、このSTRの一つの上昇がいかに重要かを物語っていた。

 追加効果はないが、大事なのはミノタウロスにダメージが入るかどうかだ。


 激昂状態となったミノタウロスの大振りの攻撃を躱す。

 やはり回避に専念すれば避けられないものじゃない。

 攻撃後の硬直時の隙に、回復薬をがぶ飲みする。

 チュートリアル中にもらった、なけなしの一本だ。

 これでスケルトン相手に受けたダメージは全快し、ミノタウロスの攻撃も一発は耐える余裕が出てきた。


 ――あとは詰将棋を淡々とこなしていくだけだ。


 それからの展開はまさに一方的だった。

 ミノタウロスの攻撃は掠りもせず、一方でナギの攻撃は段々と鋭さを増していき、ミノタウロスのHPゲージをゴリゴリと削っていく。

 これが世界に13人しかいない王冠持ちの実力である。

 ナギが本来の実力を取り戻したとき、既に勝負は決していたのだ。


 そして――ミノタウロスの巨体が、土煙をあげながら大広間に倒れていった。




「凄いのです! あの凶獣ミノタウロスを倒してしまったのです!」


 興奮した面持ちで、ヒミコちゃんが駆け寄ってきた。


「はは、ありがとう。ヒミコちゃんから貰った剣のおかげだよ」


 この剣には何度も助けられてしまった。『ヒミコちゃんじるしの鉄の剣』がなければ、あのミノタウロスには決して勝てなかっただろう。

 ただ一つ、見た目が女児向けの玩具みたいなのは勘弁してほしいところだけど。

 

 ……それに、本当にすごいのは樫宮先輩の方だ。


 自分は実際に戦ってみるまで勝てるかどうかも分からなかったのに、樫宮先輩にとっては最初から最後まで計算済みだったのだから。

 特に経験値計算とSTRの上昇なんて、僕は『答え』が存在すると知っていたから気付いたものの、樫宮先輩は素で気付いてしまうのだからとんでもない。


 改めて樫宮先輩のハイスペックさを思い知らされてしまった。



 一息つくと、柱の陰に立て掛けておいた『氷魔の剣』を回収する。

 一応『ヒミコちゃんじるしの鉄の剣』が通用しない場合の保険だったが、必要なかったようでホッとした。

 さすがに氷結のスリップダメージだけでミノタウロスを倒しきる自信はない。


 ちなみに2本の剣を両手に持つと、二刀流判定に引っかかってしまうようだ。

 二刀流扱いになると、専用のスキルを所持していない場合、各種ステータスが下降補正を受けてしまう。

 その場合ミノタウロスの攻撃を回避しきれるステータスを確保できないと判断したため、今回は採用しなかった。


 マッスルゴブリンの私物を利用して剣のホルダーをクラフトしようとも一瞬考えたのだが、生産系の能力がほとんど初期値である自分の力ではクラフトするにはさすがに時間が足りなさすぎた。


 『氷魔の剣』よ。今回は出番がなかったが、次は期待しているぞ。




「これほどあっさりとミノタウロスを倒すとは。ふふ、それでこそ我が半身だ。……む、どうした? 顔に何かついているのか?」


「いえ……樫宮先輩、少し背が縮みました?」


 どこか嬉し気な樫宮先輩を横に、さっきから気になっていたことを聞いてみる。

 気のせいかなと思っていたのだが、横に並んでみるとやはり間違いない。

 樫宮先輩はリアルの時と比べて、10cm以上小さくなっていたのだ。


「はて、なんのことだか分らぬな。我は魔人故、生まれたときからこの姿なのだ。身長が変わったりだとか、実は背の小さな女の子に憧れてたとかは断じてないっ!」


「憧れてたんだ……」


「憧れてないといっておろうがっ!」


 樫宮先輩の意外な一面が垣間見える。

 そうか、先輩、リアルだと身長が172cmもあるから。

 僕からしたら高身長は憧れの対象なのだけれども、本人からすると身長が高いなりの苦労みたいなものがあるのかもしれない。

 それにしても、意外だった。


 そして、そろそろ出発の時がやってきた。

 その前に、ヒミコちゃんに聞いておかないといけないことがある。


「ああ、そうだ! えーっと、ヒミコちゃん? 聞きたいことがあるんだけど、一番近い街っていうのはどこになるのかな?」


 そう、いわゆる『最初の街』である。

 とりあえず当面はそこを拠点にして、装備を整えたり、この世界について詳しく調べたりしていくのが良いだろうと思っていた。


 しかしヒミコちゃんは、何やら少し考え込むような素振りで、


「そうですね……ここから一番近いのは<辺境都市アステロ>ですけど、ちょっと今は危険な状況なのです。少し遠いですが、北に向かって<スサノーの村>へ行くといいのですよ。そこなら安全で人がいると思うのです」


 おそらく『最初の街』に相当するのは<辺境都市アステロ>という街らしい。しかし、何か良くないイベントが起きているようだ。

 樫宮先輩なら何か知っているだろうけど、何も言う様子はない。彼女は大のネタバレ嫌いなので、たぶん自分に配慮してくれたのだろう。


 やはり、自分の目で確かめてみるしかないか。


「二人とも、頑張るのですよー!」


 洞窟の出口まで、ヒミコちゃんが見送りに来てくれた。

 洞窟を出ると、周りには森が広がっていた。目の前には、一本の獣道。

 きっと、この道は数多くのプレイヤーたちが踏み固めてきたにちがいない。

 ヒミコちゃんの方を振り返る。


「今までありがとう! ヒミコちゃんも、元気でね!」


 獣道をまっすぐ進んでいく。後ろでは、ヒミコちゃんが手を振ってくれていた。

 こちらも、小さく手を振り返す。

 ちょっぴり寂しい気持ちになったが、気にしないことにした。

 きっと、またどこかで会えるさ。


 そして、やがて二人の姿は森の中へ消えてしまった。


 ………………

 …………

 ……


 二人を見送った後も、ヒミコちゃんは洞窟の前で一人佇んでいた。

 二人が見えなくなってからも、しばらくはそこに立っていることにした。


 ――もしかしたら、何か用事を思い出して、二人が戻ってくるかもしれない。


 実際はそんなことがないことは分かっていたのだが、なんとなくここを離れたくなかったのだ。

 チュートリアルでの出来事を思い出す。


「それにしても、すごいプレイヤーさんたちだったのです。あの二人なら、もしかしたら……」


 と、何か言いかけたところで、ヒミコちゃんは考える。


「……でも、なんだかおかしいですね。今までずーっと閑古鳥だったのに、最近になって急に新しいプレイヤーさんが来てくれるようになったのです。何かあったのでしょうか?」


 降って湧いた疑問に、ヒミコちゃんはああでもない、こうでもないと考え込む。



 その疑問はヒミコちゃんの処理能力の限界を超え――その結果、ヒミコちゃんは3日間寝れない夜を過ごしてしまうということは、二人は知る由もない。


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