第2話 ようこそ『ラプラスの庭』へ


 ――『ラプラスの庭』。


 ゲーマーの間では伝説となっているゲームだ。

 噂だけが先行し、実体は全く不明のVRゲーム。存在しているのかすら怪しく、ただの都市伝説ではないかとも言われている。


 しかし、樫宮先輩の口から『ラプラスの庭』が出てくるなんて……。

 思わず僕は、反射的に反応していた。


「『ラプラスの庭』……! もちろん、聞いたことありますよ! ゲーマーなら誰でも知っているんじゃないですか? でも、ただの都市伝説なんでしょう?」


「そうだな……でも、その『ラプラスの庭』が実在するとしたら、どうする?」


「そんな……まさか、本当なんですか!?」


 興奮して、思わずガタっと音を立ててしまった。

 とても冗談を言っている雰囲気ではない。期待に胸が高鳴るのが分かる。


「ああ。君が望むなら、一つ譲ってやってもいいぞ? ただし、条件がある。それは……私をギュッて抱きしめて、「よしよし」することだ!」


 一瞬、なにを言っているのか理解できなかった。

 しかし、すぐに気を取り直すと、先輩が何を言ったのか理解しようとする。


「……! なっ、先輩、もしかしてからかってるんですか!?」


 僕にはそうとしか思えなかった。

 しかし……。


「別に、からかってはいないが」


 先輩は、あっけからんと答える。

 ……。この人は、本気だ……!

 これは、心を決めるしかない。

 僕は立ち上がると、樫宮先輩にゆっくりと近づいた。


「こ、こうですか?」


 恐る恐る「よしよし」しながら先輩に訊ねる。

 先輩はいかにも満足そうな様子で、


「うむ、いいぞ。ふふっ、やはりこれはいい……全身が闇の力に満たされていくのがわかる……!」


 僕は、言われるがままに頭をなでながら「よしよし」をする。

 こんなことをするのは初めてなんだけど……


 なんていうか、凄くどきどきする。


 ひょっとして先輩は、お嬢様だから撫でられ慣れしてたりするのかな? 親御さんからとか。そんなことあるのかは知らないけれど。


 どうして急にこんなことを僕に求めてきたんだろう……きっと、先輩も最近ストレスが溜まっていたのかもしれない。


「ありがとう。ふふっ、君はなかなか上手いな? たっぷりと堪能した。……それでは、約束の品だ」


 そう言って、先輩は僕の元から離れる。

 僕の心臓は、まだどきどきしていた。一方の先輩は、満足した様子。


 ……どうして先輩は、いつも僕を弄ぶような真似ばかりしてくるんだろう。僕はそんな先輩に、いつも振り回されてばかり。別に、嫌じゃないけど……。


 先輩は鞄を開けると、中からヘルメット型の機械をちゃぶ台の上に取り出した。


「これは……旧式のVRデバイスですね」


 一気に僕も真面目モードになる。

 それにしても、先輩は切り替えが早い。

 さっきのは一体何だったのか、というぐらい一気に真面目な雰囲気だ。


 今となっては珍しい、旧式のVRデバイスである。実物は見たことなかったが、一応僕も知識はあった。『VR規制法』が制定される以前に製造されたモデルで、現在では入手困難だったはずだ。


「うむ、私が特別に『ラプラスの庭』用に改造したものだ」


「……本当に貰ってもいいんですか?」


「もちろんだとも。もともと君のために用意したのだからな」


 そして、樫宮先輩はゆっくりと立ち上がる。


「それじゃあ私はこれで失礼するとしよう。一足先に、君を『ラプラスの庭』で待っている」


 そう言い残して、先輩は僕の部屋を後にしたのだった。





「嘘じゃない、よな……あの『ラプラスの庭』が実在していたなんて」



 樫宮先輩が帰ってから、すでに10分も経っている。

 にもかかわらず、未だに興奮した気持ちを押さえられないでいた。


 なにせ『ラプラスの庭』は、ゲーマーの間では一つの神話となっていたのだ。

 現実世界と同じリアリティーで、まるで自分がゲームの世界に迷い込んだかのように実感することができると言われている。


 全ゲーマーが夢見た、垂涎のアイテムである。 

 それが今、僕の目の前にある。


 手元にあるのは、先輩がくれた『ラプラスの庭』用の特別なVRデバイス。


 樫宮先輩と、『ラプラスの庭』をプレイする?

 嘘みたいな話に、半分疑いの気持ちがあるのも事実。

 しかし一方で、ワクワクしている自分がいた。


「……こうなったら、怖気づいてる場合なんかじゃない」


 ゲームの中で死んだら、現実でも死ぬ。

 それでも新しいフロンティアが目の前にあれば、飛び込まずにはいられない――それがきっとゲーマーの性というものだろう。


 デバイスを装着し、電源をオンにする。ブォンという旧型特有の起動音が鳴り、目の前のヘッドディスプレイには0と1の羅列が彗星のごとく流れていく。


『VRモード起動。アプリケーション名:<ラプラスの庭>確認。プレイヤーアカウントを構築中……』


 そんなシステム音声が聞こえる。

 やがて、ゆっくりと意識が遠くなっていくのを感じた。



 ◇



 気が付くとそこは真っ暗な暗黒空間だった。

 ここは一体……? 自分は確かに『ラプラスの庭』を起動したはず。

 だとすれば、ここはゲーム世界のどこかということか。


 しかし、音も何も聞こえず、見渡す限り何もなく。

 ゲームはまだ始まらない、ということなのだろう。


 目が回るような感覚がする。どうやら平衡感覚がおかしくなっているようだ。


「くッ……ナんナんダ、こレは」


 声にも違和感があった。声色が安定せず、どこか不協和音のように聞こえる。

 まるで自分の声じゃないみたいだ。

 

 一体、僕の身に何が起こっている?


「――当然の現象だ。君はまだ、仮の肉体なのだから」


 どこからか声が聞こえる。

 しかし、辺りを見回しても、見渡す限りの真っ暗闇しか見えなかった。


 『仮の肉体』――確かそんなことを言っていた気がする。

 試しに自分の腕を見てみることにする。


 そこにあったのは、マネキン人形のような素体じみた腕だった。

 いや、腕だけではない。体全体が無機質な人形の姿をしている。

 なんだこれ!? これが僕の体なのか?


「大部分の人間にとって、その姿は苦痛なのだそうだ。規則だから私の権限ではどうすることもできないがね」


「だが安心するといい。これから君は初期設定を行うことができ、その中には外見の変更も含まれている。それを済ませれば君の症状も改善するだろう」


 再び謎の声が聞こえてくる。


 なるほど、なんとなく分かって来た。

 つまりこの姿は、この世界におけるデフォルトの姿ということらしい。

 ……たとえ一時的なものだとしても、あまりいい気持ちはしない。


「……だッたラ、はヤくハじメてクれ」


「ふむ、いいだろう。……だが、一度きりの選択だ。後から変更させろと言われても、我々は一切応じることはできない。私とコンタクトをとること自体、不可能な話だがね」


「わカっタ、ごタくはイいカら、スすメてクれ」


 この『仮の肉体』とやらはかなりのポンコツらしい。

 あらゆる状態異常とデバフを一度に掛けられているような気分がデフォルトで続いている。いや、どんなハードモードだよコレ。

 解除したい。なるべく早く。


「ふん、せっかちなんだな、君は。まあ、話しておくべきことは全て話したはずだから構わないが……ああそうだ」


「私のことは気にせずゆっくり選ぶといい。君の準備が終わるまで、私は本でも読んでいるよ」


 言い終わるやいなや、目の前に無数のウィンドウが表示されていく。

 一目見ただけでも、かなりの分量が存在することは一目瞭然だった。


 かなりツラい状況だった。

 この空間に来てから、今まで感じたことのない種類の不快な気分が続いている。

 設定に時間をかける気にはとてもじゃないがなれない。


 何が「私のことは気にせずゆっくり選ぶといい」だ。

 それどころじゃないじゃないか。


 先ほどの声の主と、ついでにこの性悪なシステムを作ったどこかの誰かに対して内心毒づきながら、僕は何とか思考を巡らせる。


 ……とにかく、重要そうな設定だけは慎重に選んで他は直感で決めるしかない。







 やった、これで、最後ラストだ……!


 ようやく最終項目を設定し、<承認>のボタンをタップする。

 すると例の『仮の肉体』が淡い光を放ち始め――無機質な人形から有機的な人間の姿へと、身体の端から徐々に上書きされていった。


 その容姿はリアルの自分の姿をベースに、少し弄ったものだ。

 いで立ちは冒険者のようで、厚手の衣服にレザーのベストを身につけている。

 ……本当は、もっと凝ったキャラメイクをしたかったんだけど。


 このゲームのクリエイターは、本当に性悪すぎる。

 まるで店の回転率を上げるために立ち食いさせるチェーン店みたいじゃないか。

 しかも、意味もなくだ。

 キャラメイクを凝るプレイヤーに意地悪しようなんて、普通考えないぞ。


「ふむ、ようやく終わったようだな。なら、私も姿を現すとしよう」


 ようやく一息付けたところに、再びどこからか声が聞こえてきた。

 今度は声の主は不在ではない。ちょうど自分の真正面の位置、さっきまで誰もいなかったはずの場所に、一人の男が立っていた。


 黒のスーツに同じく黒のシルクハット。そんな紳士的な恰好の割にどこか軽薄そうな雰囲気のその男は、手に持った本をパンと閉じると懐にしまい一礼する。


「改めて自己紹介を。私の名前はシャドウ。二つの世界の狭間に潜む影の一人。――以後、お見知り置きを」


 ――直感する。このシャドウという人物、信用してはいけない人間だ!


 この手のキャラは、黒幕だったり全ての元凶であると相場が決まっているのだ。

 たとえそうでなくても、まともな人物であるとは到底思えない。


「それで、初期設定は終わったようだけど、いつゲームが始まるのかな」


 警戒度MAXで相手の反応を窺う。しかし、この男は軽薄な笑みを浮かべたままだ。さも予定通りという風に、シャドウはパチンと指を鳴らす。


 すると突然目の前の空間に扉が現れた。

 それ自体は、何の変哲もないただの扉だ。……突然出現したことを除けば。

 シャドウはスッとドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開く。


 扉が開いた先には、まばゆい光に満ちた世界が広がっていた。


「……扉の先に進めってことか?」


「その通り。君をこの扉の前まで案内した時点で、私の仕事は終了だ」


 おそらく、この扉をくぐった時点でゲームがスタートするのだろう。

 しかし、まだやらなければならないことが残っている。


「その前に聞いておきたいことがある。このゲームで死ぬと現実世界でも死ぬっていうのは本当なのか?」


 最優先で確認しておかなければならない事項。


「ゲームで死ぬと現実世界でも死ぬ」というのは『ラプラスの庭』の有名な噂の一つだ。その真偽は、これからプレイするにあたって絶対に知っておかなければならない情報だった。


 先行でプレイしているはずの樫宮先輩でも確証はないというが……


「やれやれ、あいにく私の仕事は二つの世界の橋渡しをすることだけでね、君の質問に答える義理は無いんだが……まあ、今回は特別サービスとしておこう」


「もしこの先の世界で命を落としたら……まあ、君たちの言う現実世界とやらに戻ることはできないだろうね。逆に言えば、死にさえしなければお互いの世界を何度でも行き来可能だ。……これで満足かな?」


 おお、貴重な情報だ! この情報があるのとないのとでは、今後の方針が全然違ってくる。これだけでも十分な戦果だったが、まだ気になっていることがあった。


「あともう一つ。一体このゲームはだれが作ったんだ?」


 樫宮先輩の話を聞く限り、このゲームはまさしくオーパーツという他ない。その技術レベルは10年や20年じゃきかないレベルで先を行っている。

 正直、未知の地球外生命体が作ったと言われても驚かない自信がある。


 しかし、その答えが得られることはなかった。


 シャドウはニヤリと笑う。


「……おっと、サービスタイムは終了のようだ。どうやら次がつかえているらしい」


 一瞬だった。右腕を掴まれた僕は、想像以上に強い力で、抵抗する間もなく扉の前まで引き寄せられると、背中を押され扉の先に押し出されてしまった。


 完全に不意を突かれた形で、なんとか体勢を立て直そうとするが、為すすべなく空中に放り出される。


 そして訪れる、落下の感覚。


「うわあああああああああ!」


 思わず絶叫する。

 ――やはりこの男、とんだ食わせ者だった! 

 落下しながら考える。


 それにしても、いきなり扉の外に放り出すなんて、少々乱暴すぎやしないだろうか。自分ではそれなりに警戒していたつもりだったのだが、巧みに気を逸らされ、まんまと不意打ちをくらってしまった。


 しかし、後悔してももう遅い。扉はもう消えてしまった。後戻りはできない。

 もはや、なるようになれだ!

 

「――それでは、良きゲームライフを」


 そしてすぐに、目の前にはあるのは真っ白な光だけになった。


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