第1話 禁じられた電脳遊戯



 とあるゲームの都市伝説である。


 10年前に制定された『VR規制法』によって、VRゲームはその再現度に大幅な制限を加えられることになった。


 その内容は、現実と区別できないようなリアルなVR世界を構築することを禁止するというもので、この法律はゲーム業界に大きな打撃を与えることになる。


 それまでVR技術の進歩によって高いリアリティーを売りにしたVRゲームは多数登場していたが、それらは全て大幅な路線変更を強いられるか、あるいは開発の中止を余儀なくされたのだ。


 リアルさを捨てアニメ調のグラフィックに路線変更するもの。VRを諦め、旧来のモニター型のゲーム画面でリアリティーとゲーム性を追求するもの。


 人々はフルダイブ型VRMMOの夢を諦めかけていた。


 ――そのゲームの噂を聞くまでは。

 

 感覚の完全フィードバック。まるで現実世界と見紛うレベルの圧倒的なリアリティー。しかしその代償として、ゲーム内で死ぬと現実でも命を落とすという。

 

 『ラプラスの庭』――それがそのゲームの名前であった。



 ◇



 ―2044年 8月2日―


 大学に入学してから、2度目の夏。

 ナギこと荒牧渚あらまきなぎさは、『ナイツ&クラウン』の世界で、まるで日ごろ貯め込んでいた鬱憤を晴らすかのように大暴れしていた。


 朽ち果てた神殿に巣くう、スケルトン型の魔物の群れ。しかし極まった狂戦士の振るう大剣ならば、この程度の雑魚MOB程度なら一振りでも致死圏内だ。


 まさしく一方的な殺戮だった。


 あっという間に一掃される魔物の群れ。このエリアのボスであり、スケルトンタイプ王冠持ちクラウンホルダーである<死霊王>でさえ例外ではなかった。


「……退屈な戦いだった」

 

 ここ最近、胸躍るような戦いに遭遇することが、めっきりなくなってしまった。


 ――王冠持ちクラウンホルダー


 「その種族の中で頂点に君臨するもの」に対して与えられる称号である。


 彼らは種族の限界を超えた逸脱者であり、通常のボスモンスターとは比べ物にならないほどの強さを誇る。当然、ソロで攻略できるような代物ではない。


 しかし、一部の超級プレイヤーの中には、ソロによる王冠持ちクラウンホルダー攻略、いわゆる王冠喰らいクラウンイーターを果たす者もいた。


 やがて彼らにはとある称号が与えられた。


 ――『ヒューマンタイプ王冠持ちクラウンホルダー』である。


 『ナイツ&クラウン』の世界において、13人しかいない王冠持ちクラウンホルダーの1人。


 それがこの『絶対暴剣アブソリュート・デストロイヤー』のナギである。




 主を失い、静まり返った大神殿跡。

 王冠持ちを倒した以上、もはやここには用はない。

 そのまま王国に帰還しようとした、その時。


「……ダイレクトメッセージ? 誰からだろう」


 着信ログを確認すると、1通のダイレクトメッセージが届いていた。

 差出人の名前は、『カシミールⅡ世』。

 もちろんこれはゲーム内のプレイヤーネームだ。

 ……しかし、この人の現実リアルの名前を僕は知っている。


 『メッセージを再生しますか?』の問いに『はい』をタップする。

 すると、見覚えのある狂老人のホログラム映像が目の前の空間に映写された。



『ふはははは! 我こそは残虐非道なる絶黒の帝王、カシミールⅡ世である! 久方ぶりの我が姿に、貴公も今頃、歓喜し狂気の雄叫びを上げていることだろう……』


『我も再会を祝し、魔物どもの血で祝杯を挙げたいところであるが……盟友である貴公に、大事な話があるのだ』


『オンライン上では出来ぬ話ゆえ、これより貴公の家へ向かう。我を出迎える準備をするがよい! クックック……ふははははははは!』



 かつては質実剛健な性格で、賢王として領民から慕われていたが、老境にさしかかり狂気を宿してしまった――という設定どおりの、カシミールⅡ世のイカれた笑い声でメッセージは終了した。

 ボイスチェンジャーありとはいえ、いつ見ても堂に入った演技である。


 カシミールⅡ世、もとい樫宮かしみや先輩と知り合ったのはちょうど1年前のことだ。

 元々『ナイツ&クラウン』のフレンド同士だったのだが、ひょんなことがきっかけで、二人とも同じ大学に通っていることが判明した。


 それ以来、リアルでも交流するようになったのだが……。

 ある日突然、先輩のログインがばったりと途絶えてしまった。

 重度の廃人プレイヤーだったにもかかわらず、である。


 リアルの方で何度か事情を訪ねてみたものの、毎回話題を逸らされてしまい、はぐらかされるばかりだった。


 それが急に復帰したと思えば、『オンラインでできない大事な話』なんて言い出したのだ。一体、何事だろうか。







『……これからの暑いシーズン、外出する際には暑さ対策とこまめな水分補給を心がけましょう』


 何となくつけたTV画面には、他愛もないニュースが流れている。

 大学進学を機に住み始めた、安アパートの一室。

 すこし古さを感じることもあるが、狭くもなく広くなく。

 大学生の一人暮らしとしてはそれなりといったところだろう。


 あれから30分後。ダイレクトメッセージの時刻から計算すれば、そろそろ着いてもおかしくはない。

 そう思って準備をしていたところで呼び鈴のチャイムが鳴った。


 玄関のドアを開けると、そこには黒服の美女が立っていた。

 ミーンミーンという蝉の声。夏の風物詩である。


「久しぶりですね、ナギ坊。元気にしていましたか?」


 そう、彼女こそがあのカシミールⅡ世こと樫宮ケイトである。

 目の前にいるのは、可憐な美少女。

 少し西欧の血が入っている端正な顔立ちに、青みがかった瞳。

 髪は黒髪で、いわゆる黒髪ロングというやつだ。


 そこにはカシミールⅡ世の、あの老獪な怪物じみた面影は微塵もなく。

 そこにあるのは、おしとやかなお嬢様の姿だった。


 後ろには、メイド姿の女性が一人立っている。

 背筋をピンと伸ばし、いかにも『出来るメイド』という風情を醸し出していた。


紫音しおん、あなたは下がってもらっても構いません」


 樫宮先輩が、メイドに向かって言い放つ。

 その言葉を聞いても、メイドは表情一つ変えなかった。


「分かりました、お嬢様」


 紫音と呼ばれたメイドは、そう言って一礼すると引き返していく。

 彼女の姿が見えなくなると、樫宮先輩はホッとしたのか大きなため息をついた。


「……ああダメだ、こんな気取った話し方はやはり性に合わないな。うん、やはり自然体が一番落ち着く」


 部屋の中に入るなり、樫宮先輩は僕の前でそう言った。

 普段の「これぞ深窓の令嬢」というようなおしとやかな物腰と口調とはうって変わって、秘密を共有する数少ない友人である渚の前では、本来の口調と性格を見せている。


「こんな喋り方ができるのは……ナギ坊、君の前だけだな。ふふっ、やはり気楽でいい」


 何故だか知らないが、自分は先輩に気に入られているらしい。



 彼女がカシミールⅡ世であることを知ったときは、正直驚いた。

 彼女は大学でもかなりの有名人だったのである。


 雨月山うづきやま大学の『飛び級入学制度』、栄えある第一期生。

 その同期の中でも、彼女は一人だけ飛び抜けた存在だった。

 彼女はすぐに「大学始まって以来の秀才」だと騒がれることになる。


 品行方正、おまけに超絶美人。

 そして名家・樫宮家の長女であり、正真正銘の『深窓の令嬢』である。

 そんな彼女を大学が放っておくはずもなく――

 すぐさま彼女は大学の顔として扱われることになった。


 自分も、大学のパンフレットに樫宮先輩の写真が載っているのを見たことがある。

 同じ『飛び級入学制度』を利用し、直接の後輩にあたる自分からしても、正直、雲の上の存在だった。

 

 だからこそ、そんな彼女がカシミールⅡ世の正体だということをすぐには信じられなかった。先輩は、紛れもなくうちの大学の象徴アイドルだったのだ。


 彼女がゲーム好きなんて噂は聞いたこともなかったし、そもそも公式のプロフィールでは趣味は読書とお茶会ということになっていたからだ。


 要するに、彼女はいわゆる「隠れゲーマー」というやつだったのだ。

 しかも、単なるゲーマーではなく「ロールプレイガチ勢」。

 普段の生活では猫を被っているが、『ナイツ&クラウン』の世界では一変。

 『不滅悪意イモータル・マリス』カシミールⅡ世として恐れられる存在なのである。


 そんなゲームの世界での姿とはうって変わって、目の前の可憐な美女は意外なほどに人懐っこい性格をしている。

 ただ、「ナギ坊」と呼んで可愛がってくれるのはとても嬉しいのだが、一方で複雑な気持ちもあった。


 確かに自分は『飛び級入学制度』で入学したため、まだ17歳である。

 身長も先輩が172cmもあるところ、自分は166cmしかない。

 それに僕は自分でも分かるくらいに童顔で、大人びた樫宮先輩とはとても釣り合うとは思えない。

 先輩からしたら「ナギ坊」扱いされるのも仕方がないかもしれないけれど……なんだか子ども扱いされているようで、やっぱり複雑だった。


 すらりとした長身に、腰まで届くほどの緩やかにウェーブがかった綺麗な髪。そして珍しいことに、今日は麦わら帽子をかぶっていた。


「む、これか? ……あまりに世界に光が満ちていたのでな。我が心に巣くう漆黒の闇を覆い隠すのにちょうどいいサイズだろう?」


 いや、確かに、似合っているんだけれども……。

 麦わら帽子でその世界観は、ちょっと無理があるんじゃなかろうか。


「それで、一体何の用ですか?」


 二人でちゃぶ台の前に腰を下ろすと、とりあえず先輩に訊ねてみることにした。

 今時珍しい畳敷きの部屋である。

 卓上には二人分のお茶と茶請けのお菓子が並んでいる。


 樫宮先輩は、悪戯っぽく笑う。こういう時は、先輩は決まって僕の反応を楽しもうとしていることを僕は知っていた。



「――『ラプラスの庭』というゲームの話を聞いたことはあるかな」


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