21st Attack: 差違
お昼のチャイムが鳴り、
今日はちょっと風が強いし、どこか人目の付かない屋内がいいかな。
そんなことを考えながら教室の出口へ足を向けたとき――
「瑠衣ちゃん」
声と共に背後から肩を軽く叩かれ、瑠衣は軽く飛び上がった。
「ひゃ……ひゃいっ!?」
思わず変な声をあげてしまった自分に恥ずかしさを覚えながら振り向くと、今朝知り合いになったばかりの
「お昼ご飯、いっしょにどうかな?」
智也が右手を掲げると、コンビニ弁当の茶色い袋がガサリと鳴った。
予期せぬ誘いに、瑠衣はその場で固まってしまった。
男子はもちろん、同性の女子達からもこんな風に誘われることは滅多にない。男の子とお昼ご飯だなんて恥ずかしすぎてどうすればいいか分からなかったが、あいにく断る勇気も持ち合わせていなかったので、つい「はい」と返事をしてしまった。
「じゃ、遠慮なく」
ああ、なんてことを言ってしまったんだと瑠衣はすぐに後悔したが、後の祭り。智哉はさっと近くの机をくっつけて瑠衣の向かい側に座った。
瑠衣はクラスメイトの反応が気になって仕方がない。対する智哉は全く気にしていないようだ。
「……風切さんは?」
「あいつなら部活の昼練だよ」
智哉がコンビニ弁当のビニールを破いている間に、瑠衣は鞄の中から鮮やかな緑色のクリップを取り出し、ロングヘアを耳の横でサッと束ねるとクリップで留めた。その様子を見ていた智哉が「食事の時は髪をまとめるんだね」と、ほとんど聞こえないくらいの小さな声でつぶやいている。
智哉は瑠衣のお弁当にも興味津々のようで、瑠衣がお弁当箱を開けると早速、
「お、手作り? その唐揚げ食べてみていい?」
と聞いてきた。
瑠衣は戸惑った。さっきからパーソナルスペースにどんどん踏み込まれている気がする。恥ずかしすぎて次の言葉が浮かばない。
しかし、ここでも断るという選択肢は頭に浮かんでこず、瑠衣はおずおずと返事した。
「どうぞ」
智哉はお弁当から唐揚げを一個つまんで自分の口へと運ぶ。瑠衣には、智哉が味わっている時間がやたらと長く感じられた。
「うん、美味しい。醤油ベースのオーソドックスな味で、とってもジューシーだ。自分で作ったの?」
「はい」
「そっか。お料理上手だね。それに比べてこのコンビニ弁当の唐揚げは――」
智哉が比較対象を口に放り込んだ。
「いや、比べること自体失礼だよねって感じ」
智哉はわざとらしく肩をすくめる。
「ねぇ、瑠衣ちゃん。今度お弁当作ってきてよ」
「えぇ!?」
瑠衣は自分の体温が急上昇するのを感じた。恥ずかしすぎてどこかに逃げ出したい、どこかに穴があったら入りたいと本気で思う。
そんな様子を察したのか、智哉は「嘘嘘、冗談だよ」と笑い飛ばした。
「……うち、嘘をつく人は嫌いです」
ほとんど無意識のうちに言っていた。低く地を這うような声で。瑠衣に自覚は無かったが、その発言には明確な怒気が宿っている。
「あの、えーっと……」
たじろいでいる智哉の様子を見て、瑠衣は我に返った。
「あ、あの……え……ごめんなさい!」
「いや、俺もいきなりあんなこと言って悪かった」
引いたかな。引いたよね。
嘘が嫌いというのは瑠衣の本心だった。嘘をつくのは嫌い。嘘をつかれるのはもっと嫌い。瑠衣が自分の殻に閉じこもるのも、このせいだと自覚している。だけど――人に裏切られるのは、もう嫌だ。
「そ、そう言えば野々香ちゃんとはどうやって友達になったの?」
智也は明らかに無理矢理話題を変えようとしていた。しかし、間が悪いというか何というか、それは瑠衣にとってあまり触れて欲しくない話だった。
自転車の練習に付き合ってもらったからなんて正直に答えるわけにはいかない。そんなことを言ったら自分が自転車に乗れないことが知られてしまう。
「ちょっと鈴原先生に相談したいことがあって職員室に行ったら、たまたま山城さんがいたんですよ。そこでちょっとお話を」
瑠衣は、できるだけ事実のみを断片的に語るよう心がけた。
「なるほどね。そう言えば、反省文を出せって言われてたな。書けたんだろうか」
「さぁ……どうでしょう」
「あの性格だと忘れてそう」
智哉はカラカラと笑った。あまり深く突っ込んでこないことに瑠衣は安堵する。
「野々香ちゃんで思い出したけど、彼女にまつわる都市伝説は知ってる?」
「都市伝説?」
「そう。昨日のポスター騒動もそのうち都市伝説の仲間入りすると思うね。七つ揃えて『山城野々香の七不思議』になったら箔が付く」
「なんですかそれ。学園七不思議なら分かりますけど」
「個人で七つも不思議があるって凄くない?」
「それは……そうですね」
野々香の喜怒哀楽の激しさは、出会って一日しか経っていないというのに身に染みている。人によって印象が七変化するのも無理はないと瑠衣は思った。
「それで、都市伝説の一つ目は『人知れず消えるロードバイク』って話さ」
智也の顔から突然笑みが消え、怪談を語るような口調で話し始めたため、瑠衣は背中に少し悪寒を感じた。
「野々香ちゃんがロードバイクで通学しているのはたくさんの目撃情報があるので間違いない。しかし、彼女のロードバイクを校内で見かけたものは誰もいない」
瑠衣はゴクリと唾を飲み込む。八十万円もする野々香の自転車がどこにあるのか、学校のみんなは――
「野々香ちゃんは四次元ポケットを持っていて、そこからロードバイクを出し入れしているのだ」
やっぱり知らなかった!
瑠衣は思わず吹き出しそうになる。
「え、どうしたの。瑠衣ちゃん」
「い、いえ。なんでもないです」
瑠衣は、野々香のロードバイクが用務員室に保管されていることを知っている。事情を知らない生徒には、どこからともなく現れては消える野々香のロードバイクが不思議でしょうがないのだろう。
「もう一つあるんだ。『昼休みの神隠し』ってのが」
「神隠し?」
「野々香ちゃんは、昼休みになると人知れずどこかに消える。彼女のロードバイクを含め、野々香ちゃんを昼休みに校内で見かけたものは誰もいない」
「確かに、山城さんはここにいませんね」
瑠衣は、昼休みが始まると同時にそそくさと教室を出て行く野々香を目撃していた。
「昨日はその真相を確かめようとしたんだけど、銀杏ちゃんに邪魔されちゃった」
「そうだったんですね」
「どうも不思議なんだよな。昼間にロードバイクで走り回ってるって銀杏ちゃんは言ってたけど、他の友達に聞いたら見た奴が誰もいないんだ」
「え……どういうことですか」
「分からない。それに、雨の日も関係なく消えるって話だ。なんかおかしくない?」
「うーん、確かにそうですね」
野々香は昼休みに何をやっているんだろうか。
瑠衣の心に、かすかにもやっとした感情が生まれていた。
***
放課後、瑠衣と野々香は再び多摩川河川敷に向かっていた。
自転車に慣れるためと野々香が言うので、今日は瑠衣がママチャリを押している。しかし、本当は別の理由であることを瑠衣は分かっていた。
野々香が、何かが詰め込まれた異様に大きい紙袋を手に持っているのだ。
恐らく朝に言っていた『秘密兵器』が中に入っているのだろう。しかし、それが何なのか野々香に聞いても、相変わらずもったいぶって答えてくれない。この人は何かを隠すのが本当に好きだと瑠衣は思った。
二人は昨日練習した場所に到着した。偶然なのか必然なのか、今日もここには誰もいない。
「おっまたせしましたー! これが秘密兵器だ!」
野々香は紙袋の中に手を突っ込み、瑠衣にとって得体の知れないものを取り出した。
合計で四つ。二つずつがペアのようで、怪しく黒光りしている。いずれも筒状の竹を半分に割ったような形をしているが、細部の形が微妙に異なっていた。
「これは……なんですか?」
「マウンテンバイクとかでよく使う自転車用のプロテクターだよ。これをつけて肘と膝を守るんだ」
「家から持ってきたんですか?」
「そうだよー。まぁリュックには入りきらなかったから、身につけてきたけど」
瑠衣は、プロテクターを着けながら自転車で走る野々香を想像する。その姿はまるでチープなデザインのロボットのようで、滑稽に思えた。
それと同時に瑠衣は気付いた。
「まさかとは思いますけど……うちがこれを着けるんですか」
「当たり前じゃない」
「えぇーっ!」
ヘルメットどころの話ではない。プロテクターを着けた自分の姿を思い浮かべただけで顔から火が出そうだ。
なんの冗談? 罰ゲーム? 新手のコスプレ?
こんな姿を誰かに見られたら……うちはもう、お嫁に行けない。
「じょ、冗談じゃありません! そんなものつけたら、思うように動かないからだがさらに動かなくなるようになるだけです!」
「そ、そうかなー……」
普段より強い口調で言ったせいか、人の意をあまり介さない野々香も流石に気圧されているようだ。
「それに、ヘルメットだってうちにとっては大問題です。あれは一回転んだら使えなくなっちゃうんでしょ?」
「別に転んだからといって、頭さえ打たなければ問題は――」
「うちは弁償なんかしたくありません。前にも言ったでしょ、お小遣いが限られてるって。だいたい山城さんのヘルメットっていくらするんですか?」
「んー、三万円くらいだったと思う」
それを聞いた瑠衣は膝の力が抜けそうになった。
ヘルメットだけで三万円? 一個五百円のスイーツなら……えーっと、六十個も買えてしまう。
となると、そのプロテクターだっていくらするか想像もつかない。
金銭感覚があまりに違いすぎる!
「却下です。ヘルメットもプロテクターも、うちはつけたくはありません」
「いやー……。せめてヘルメットは被った方がいいと思うよ? 頭を守ることは一番大事なことだし」
「転ばなければいいんです。そうですよね?」
いつになく強気の口調だった。自分が覚えている限り、こんなに強く主張することは初めてだ。
野々香は少し逡巡する様子を見せたが、すぐにいつものような自信たっぷりの表情に戻った。
「そうだねー。私がばっちりサポートするよ!」
しかし、練習を開始してすぐにそれは起こった。
両足を少し地面から持ち上げられるようになったと思ったそのとき、瑠衣はバランスを崩して――
ガッシャーン!!
大きな音を立てて右側に転倒した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます