18th Attack: 憧憬

 会話が途切れてしまった。

 次はどんなことを話せばいいんだろうと、瑠衣るいの心の中はあたふたしていた。しかし、横にいる人物はほんの僅かな隙を逃しはしない。

「そう言えば、さっきから佐渡さん聞いてばっかりでずるい。今度は私から質問!」

 野々香ののかが「私のターン!」とばかりに尋ねてきた。

「は、はい。いいですけど」

 うちのこと、いろいろ聞かれるのかな。答えにくいことを聞かれたらどうしよう。

 沈黙が長く続かなかったことに対して安心したのもつかの間、瑠衣の心は再び不安にかき立てられていた。

「佐渡さんはなんで食べ歩きしてるの?」

「なんでって言われても……食べることが好きだからです」

 答えづらい質問が来るのではという予感がいきなり的中し、瑠衣はギクリとした。なんとか無難な答えを返したものの、野々香はさらに畳みかけてくる。

「えー? 往復十五キロだっけ? 『好き』ってだけでそんな距離歩けないと思うけどなー」

「歩けますよ。多分」

「好きなものを食べたいなら、近くのお店をリピートすればいいじゃん」

 野々香の指摘は核心を突いていた。

 確かに美味しいものを食べたいだけなら、気軽に行ける気に入ったお店をローテーションで回ればすれば済む話だし、そうそう飽きもしないだろう。

 しかし瑠衣にとって、同じ店を何度も訪れることにあまり意味はなかった。

「ねー、教えてよ」

 少し口先をとがらせた野々香が、瑠衣の顔をのぞき込む。

 瑠衣はとうとう観念した。

「……今からする話は、誰にもしないでもらえますか?」

「もちろん! 約束する」

「分かりました。お話しします」

 丁度そのとき、目の前に見えていた横断歩道の信号が赤になった。二人が信号の手前で立ち止まると、瑠衣は話し始めた。

「実は……お兄ちゃんのためなんです」

「ふぇ?」

 意外だったのだろう。野々香が大きな目をパチクリさせている。

「お兄ちゃんはパティシエを目指してるんです。今、専門学校に行って勉強してます。味は最高なんですが……デザインというか盛り付けというか、見栄えに関する才能がイマイチなんです」

「ほほー」

 野々香は目を伏せ、まるで探偵が犯人について考えるときのような仕草をしながら、瑠衣の話を聞いている。

「だから、うちがいろんなお店に行って写真を撮ったり実際に買って帰ったりして、参考になるものを集めてるんです。お兄ちゃんの役に立つかな、と……」

「なるほど」

 瑠衣は話し終わると顔を伏せた。自分の顔が真っ赤になっているのが、鏡を見なくても分かる。友達に話してない秘密を野々香に知られるのは、自転車に乗れないことと併せてこれで二つ目だ。

 一六歳にもなってお兄ちゃんお兄ちゃんって――ブラコンだって、バカにされるよね。

「お兄ちゃん思いのいい妹だ! 私は感動した!」

「……え?」

 予想外の反応に、瑠衣は野々香の顔を見た。彼女の目が潤んでいる。

「そういうの憧れるなー。私は一人っ子だから、お兄ちゃんでも弟でもどっちでもいいけど、兄弟は欲しかったかも」

「そう……ですか?」

「うん。佐渡さんは偉いよ。お兄ちゃんのために一生懸命だもん」

「偉い? うちが?」

「だから、私にお手伝いさせて。自転車に乗れるようになって、あのお店に行って、いっぱい写真撮って、いっぱい食べよう!」

 野々香のやる気に満ちた表情を見て、瑠衣は自分の心にかかっていた霧が晴れ、羞恥心が和らいでいくのを感じた。

「は、はいっ」

 瑠衣が自分でも驚くぐらいはっきりした返事をした丁度そのとき、横断歩道の信号が青になった。

 二人は道路を渡りきり、その先の角を曲がる。

「さー、もうすぐだよ!」

 瑠衣の目の前に、大きな土手が現れた。

 土手は緩やかな傾斜を伴って一段高くなっており、視界の左端から右端までずっと続いている。その上には満開を過ぎて少し散り始めている桜の木がほぼ等間隔で並んでいた。

 二人は土手の上に通じるスロープを上りきる。二人を待ち受けていたのは、悠々と流れる大きな川、桜並木沿いには遥か彼方まで続くサイクリングロード、そしてその間の河川敷に広がる一面の芝生だった。

 吹きすさぶ風のざわめき。舞上げられる桜の花びら。

「ここは……」

 瑠衣は、自分たちの目的地がどうやら多摩川の河川敷であるらしいことをようやく理解した。

 月ヶ丘高校は東京を東西に流れる多摩川の中流付近に位置しており、アクセスが容易だ。放課後には多くの部活が河川敷グラウンドやその周辺で活動を行っている。

 その事実を知る瑠衣は、少し恐怖を覚えた。それは自転車に対するものではなかった。

「山城さん、こんな――」

「さぁ、練習を始めよう!」

 人に見られるところで練習するんですか!?

 瑠衣の言いたかったことは、野々香の元気いっぱいな号令によってかき消されてしまった。

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