17th Attack: 質問

 用務員の岡島にママチャリを借りた後、野々香ののか瑠衣るいは高校の正門を歩いて出た。借りたママチャリの前かごにはヘルメットが入っており、自転車は野々香が押している。

 瑠衣は、自分がどこに向かっているのか分からなかった。

 恐らく自転車を練習するのに都合のよいところへ向かっているのだろう。しかし、校庭や校舎の裏よりもふさわしい場所がどんなところか、瑠衣には想像できなかった。

 瑠衣は目的地を野々香に聞いてみたが、先ほどと同様「いいからついてきて」とはぐらかされてしまったので、別の質問をぶつけてみることにした。

「そう言えば山城さん、なんで自転車を用務員室の中に置いてるんですか」

「お、さてはロードバイクに興味出てきたなー?」

「……そういう訳じゃありませんが」

「なんだー。残念!」

 大袈裟に悔しがってみせる野々香を見て、瑠衣はなぜか自分の方が恥ずかしくなった。

 その様子に気がついたのか、野々香が「あれ? どうしたの?」と言ったが、瑠衣は「な、なんでもありません」と、慌てて取り繕った。

「それで質問の答えだけど、理由は二つあるの。まず一つ目、ロードバイクにはスタンドがない」

「スタンド?」

「このママチャリを見て」

 野々香は立ち止まり、ママチャリの後部にある両立スタンドを足で操作してその場に置いてみせた。

「ママチャリはスタンドがあるから、周りに何も無くても立てて置いておくことが出来るでしょ」

「あ、流石にそれは知ってます」

「だけどロードバイクにはこういったスタンドが付いてないから、壁に立て掛けておくか地面に直接寝かしておくしか方法がないんだよ」

「寝かす……? 自転車を横倒しにしちゃうんですか? 自分で?」

「そうだよ。私はよっぽどのことがない限り絶対やらないけど」

「でも、壁に立てかけておくくらいなら駐輪場でもできますよね……」

「そうなんだけどさー。ロードバイクって軽いから、何かのはずみですぐ倒れちゃうんだよね。風とか人がちょっと当たっただけで倒れちゃう。そんなことで私の大事な『ヤンバルクイナ』が傷つくのは絶対嫌」

 ヤンバルクイナ――そうだ、山城さんの自転車のことだと瑠衣は思い返した。

 名前の意味とか由来は分からないけど、名前を付けたくなるほど愛着を持っているものを傷つけたくない、傷つけられたくないという気持ちは確かに理解できる。

 野々香がスタンドを元に戻し、二人はまた歩き始めた。

「二つ目の理由は、ずばり盗まれないため」

「……駅前の駐輪場に置いていた自転車が盗まれたって話は、たまに聞きますね」

「でしょー? 最近はロードバイクが高くてお金になるからって、それしか狙わない専門のドロボーもいるんだよ。ほんと、信じられない!」

 野々香は顔をしかめっ面にして本気で怒っている。過去に自転車を盗られたことがあるのだろうか。

 まぁ自転車でなくとも、何かを盗まれれば誰だって気分は悪くなる。

 そう言えば、家族がロードバイクとは違うなんちゃらバイクを使っていることを瑠衣は思い出した。確か七万円くらいだったと聞いている。高校生の瑠衣にとっては十分高額だ。

「ちなみに、山城さんの自転車っていくらするんですか?」

「うーん、買ったときは六十くらいだったけど、いろいろパーツに手を加えてるから、総額で八十は超えてるかなー」

「八十? 八十……円?」

「アハハハ! そんなわけ無いじゃん! ガム買うわけじゃないんだからー」

「そうですよね……。つまり八万円くらいですか?」

だよ!」

「……え? ええ? ええ~!?」

 瑠衣は口から心臓が飛び出るほど驚いた。それと同時に、野々香のロードバイクをうっかり傷つけたらと思うと……背筋が寒くなった。

「じ、自動車が一台買えるじゃないですか!」

「みんなには内緒ね!」

「わわわ分かりました……」

 と、とんでもないことを聞いてしまった。

 確かに、そんなに高くて盗まれやすいものを屋外に置いておきたくない気持ちは分かる気がする。

「じゃぁ、家でも部屋の中に持って入るんですか?」

「うん、そうだよー」

「おうちは一戸建てですか?」

「マンション。いつも四階まで持ってあがってるよー」

「うわぁ……」

 なんだか想像を絶する世界が広がっていると、瑠衣は感じた。

 山城さんが特殊なんだろうか。それとも、自転車を趣味にしてる人たちってみんなこうなんだろうか。六十万円とか八十万円とか、うちだったら趣味にそんなお金をかけられない。

 いずれにせよ、うちとは無縁の世界だ。

 ……でも、なぜか気になってしまう。

「ところで……なんでロードバイクにはスタンドがついてないんですか」

「それはね、ママチャリとロードバイクは同じ自転車だけど、根本的に使い方が違うの」

「使い方?」

「自転車で移動して、自転車を置いておいてお買い物したりして、また自転車で移動して帰る。これがママチャリの正しい使い方。つまり、途中で少なくとも一回は自転車を降りることが前提なんだー」

「なるほど」

 瑠衣は自転車に乗らないから、そんなことは考えもしなかった。

「だけどロードバイクは違う。ロードバイクはレース専用の機材だから、走ることだけに特化しているの」

「レースというのは……その……つまり『競輪』ってことですか?」

「あー……」

 野々香は残念そうに苦笑する。

「それ、よく誤解されるんだー」

「ご、ごめんなさい。うち、全然知らなくて――」

「いいよいいよ。だいたいの人はそう思ってるし。あのね、ロードバイクは『ロードレース』っていう公道上で競うレースで使うんだよ」

「公道でレース……マラソンと似たようなものですか?」

「お、ずばりそれ! ロードバイクを使うマラソンってイメージはバッチリだね!」

 ロードレース……初めて聞いた。そんなスポーツがあるんだ。

 うちは運動が苦手だから、スポーツ観戦も好きじゃない。競輪のことは知ってたけど、それはあれがギャンブルだから。

 ――うち、ギャンブルは嫌い。

「……佐渡さん、聞こえてる?」

「あ、はい。ごめんなさい」

「それで、レースって誰が一番早いかを競うでしょ? だから、レースの途中で止まるなんてあり得ない。いつも走り続けてるから、ロードバイクを止めてどこかに置いておくという発想がそもそもないの。走るために必要のないものはただの重りにしかならないから、スタンドはつけない訳」

「一度スタートしたら止まらないんですね」

「そうだねー。止まらないし、止まれない。止まったが最後、みんなに置いてきぼりを喰らっちゃうよ」

 そう言い終わると、野々香は片腕を空に突き出して背伸びしながら「それにしても、今日はたくさんおしゃべりできて楽しいなー!」と叫んだ。

 その実、瑠衣も同じ気分だった。

 もちろん学校にいるときは同級生とも話すし、ラインのグループにも入れてもらってはいる。でも放課後は一人で帰ることがほとんどで、瑠衣は親友と言える人物がいなかった。

 山城さんと――友達になれるかな。

 そのためにも、まずはうちが自転車に乗れるようにならないと。

「どう? 少しはロードバイクに興味出てきた?」

 野々香は自信満々といった面持ちだ。

「うーん……」

 ロードバイクかぁ……瑠衣は顎に手をあて、止まることなく延々と自転車で走り続ける野々香の姿を想像する。

 そのとき、ふとある魚のことが思い当たった。

「……なんか、マグロみたいですね」

「ふぇ? マグロ? なんで??」

 野々香の顔が、ぽかんとした間抜けな表情に変化する。

「えっとですね、マグロっていうのはずっと止まらず泳ぎ続けるんだそうです。泳ぐのをめると死んじゃうから。なんか似てるなって」

「ほぇー、そうなんだ」

「変……ですか?」

「ううん、全然。そっか、ロードバイクはマグロだね! ノームーブ、ノーサバイブ!」

 動き続けない限り、生き残ることは出来ない。

 よく分からないけど多分そういう意味だろう。山城さんは行動もしゃべり方も面白い人だなの瑠衣は思った。

「あー……。でもよく考えたら、レースの途中にトイレをしに止まることはあるなー」

「えぇ!?」

 レースの途中にトイレって……どこでどうするんだろう……?

 しかし、なんだかちょっと汚い話になりそうな予感がしたので、瑠衣はその質問を口にすることはなく言葉をぐっと飲み込んだ。

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