16th Attack: 借用
「あの……どこへ行くんでしょうか……」
「いいからいいから。ついてきて!」
瑠衣は、言われるがまま野々香の後を追う。
「佐渡さんは、なんであのカフェに行きたいの?」
「それは……」
瑠衣は、今朝のホームルームのことを思い返していた。
いつも通り誰にも気付かれずに自分の席に座ると、山城さんたちの会話が聞こえてきた。何やらカフェについて話しているようだった。駅から随分遠くてパンケーキが有名――心当たりがあった。
もしかして、あのお店のこと?
急いで、ラインで回ってきたポスター画像をもう一度見直した。自転車に興味がなかったから、ろくに内容を確認してなかったのだ。
ビックリした。本当にあのお店のことだった。山城さんたちは、みんなであそこに行こうとしている。
うちは、あのお店にはどうしても行きたい。
「やっぱり、パンケーキに興味あり?」
「そ、そうなの」
「女の子なら誰だって甘いものは好きだもんねー。自転車に乗れるようになって、一緒に行こうね」
……自転車なんて難しいこと、うちに出来るだろうか。
小さい頃から運動は大の苦手だ。
特に球技はダメで、体育の授業では散々恥をかいてきた。「図体でかいだけでなんの役にも立たない」とか、「宝の持ち腐れ」と言われたことは一度や二度ではない。
だけど……これはチャンスだ。
自転車さえマスターすれば、あのお店まで誰にも頼らずに行くことが出来る。
あのお店に行くことも自転車に乗ることも、今まで諦めてた。
親に「車で連れて行って」なんて頼めない。迷惑をかける。この機会を逃せば、当分あのお店に行く機会は巡ってこないよね。
怖いなんて――言ってられない!
「ここだよ!」
野々香に連れてこられたのは、用務員室だった。野々香はノックもせずに部屋の中へと踏み込んでいく。
「こんにちはー!」
こんなところへいきなり入っていいんだろうかと思いながら、瑠衣は仕方なく野々香の後ろに続いた。
すると、野々香の頭越しに女性の姿が見えた。
「お、山城じゃーん。そっちは友達かい?」
女性にしては結構低い声だ。薄い緑色の作業着に身を包み、化粧は薄く茶髪。おばさんと呼んだ方がいいのかお姉さんと呼んだ方がいいのか判断がつきかねる風貌だが――
おばさんと呼んだら絶対怒られる。
瑠衣の直感はそう告げていた。
「用務員の
「……こんにちは。うちは佐渡瑠衣と言います」
瑠衣は、たまに学校内の花壇を整備している岡島を見かけたことがあった。しかし、面と向かって挨拶するのはこのときが初めてだった。
「ほーう、カワイイ名前だね」
「おばさんにはすっごくお世話になっててさ。毎日シャワールームとか洗濯機とか貸してもらってるんだー」
「誰が『お・ば・さ・ん』だって?」
やっぱり怒った。
「あ、ごめん。タエちゃん」
「お前、わざとだろ。相変わらずカワイイ奴め」
岡島は笑いながら野々香の肩に手を回し、彼女の頭を小突き回した。どうやら本気で怒っているわけではないらしい。
瑠衣は部屋を見渡した。
「ここは初めてだろ?」
「はい」
思ったよりかなり広い。
出入り口付近にはモップやホウキが立てかけられている。三人が立っているメインスペースには、流し台、冷蔵庫、掃除用具入れ、そしてスチール製の物置がある。それでもなお、六人くらいなら全員が椅子に座れるほどの余裕があった。
瑠衣から見て正面奥は洗面脱衣所のようだ。洗濯機や洗面台が見えており、雑巾、オレンジ色のジャケット、ワンピース型の競泳水着に似た洗濯物などが一緒くたに干してある。
「シャワールームはどこにあるんですか?」
「ここからは見えないけど、洗面所の奥だ」
右手奥の方は一段床が高い畳部屋になっていて、ちゃぶ台の上には何かの雑誌が無造作に積まれていた。
「……広いですね」
「そうだろ。はっきり言って持て余してる。この校舎、そんなに古くないはずなんだけど……何故か宿直できるように寝床があるんだ」
「宿直ってなんですか?」
「学校に寝泊まりして深夜巡回とかすることさ。大昔に廃止されたけどな。今は警報装置とか監視カメラとかあるし」
「はぁ……」
瑠衣はあまりピンときてはいなかったが、確かにこれだけの広さと設備があれば寝泊まりするのは余裕だろうなと思った。
……そう言えば、さっきシャワーとか洗濯機とか言ってたけど、自転車通学ってシャワーが必要なくらいいっぱい汗をかくの? 自転車に乗らないからよく分からない。それに洗濯機って何に使うんだろう。体操服でも洗ってるのかな。
瑠衣がそんな質問をしようと思った矢先――
「佐渡さん、見て見て!」
いつの間にか、野々香がロードバイクを手に持っていた。
「これが私のロードバイク!」
「……え? ええ??」
野々香に突然ロードバイクを見せつけられて、瑠衣の頭は混乱した。
じ、自転車? なんでこんなところに? ここは部屋の中だよ?
自転車って駐輪場に置いておくものじゃないの?
「い、いつの間に持ってきたんですか?」
「持ってきたんじゃなくて、元からここに置いてあるんだよー」
「ええ? 部屋の中に?」
瑠衣はますます混乱した。部屋の中に自転車を置いておくなんて、聞いたことがない。
それに――
「部屋の中に自転車なんてどこにもありませんでしたよ」
「ああそうかー。入り口からだと影に隠れて見えないね」
そう言って野々香は物置の向こう側を指さした。
「いつもあそこに置いてあるの。定位置なんだー」
瑠衣は部屋の真ん中まで移動して、物置の向こうを覗き込んだ。野々香の言うとおり、入り口からは死角になった場所に自転車が一台すっぽり収まるくらいのスペースがある。
瑠衣は小首を傾げた。
……駐輪場があるのに、なんで自転車を室内に置いてるんだろう?
「この子は『ヤンバルクイナ
自転車を室内に置いている理由を野々香に尋ねようとしたが、瑠衣の口からは思わず別の質問が飛び出していた。
「ヤンバル……クイナ? っていうのは、その、自転車の種類とかでしょうか?」
「違う違うー。この子の名前。私がつけたんだ。かわいいでしょ」
「……はぁ」
ぬいぐるみや人形に名前を付けるならわかるけど、自転車に名前?
だいたいヤンバルクイナって何? ヤンバルって食べ物を食べなさい?? でもオスって言ってた。どういうことなの???
瑠衣の頭がハテナでいっぱいになったところで岡島の声がして、瑠衣は疑問を口にするタイミングを逃してしまった。
「ところで山城、今日は――えーっと、佐渡とどっか遊びに行くのか? ウェアなら全部乾いてるぞ」
「ううん、まだ学校に居残り」
野々香は首を横に振った。
「実は、ちょっとタエちゃんに頼み事があるんだー」
「なんだ。言ってみ」
「今すぐ使えるママチャリってないかな」
「ママチャリ? 山城にはロードがあるだろ」
「実はね、佐渡さんが自転車に――」
「ややや山城さん!!?」
瑠衣はここ数ヶ月で一番大きな声を張り上げ、野々香の言葉を遮った。野々香はそれにだいぶ驚いたようで、「大きい声出せるんだ……」とつぶやいていた。
「うん?」
一方の岡島は、少し困った顔をしていた。
瑠衣は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。
高校二年生にもなって自転車が乗れないなんて、友達にも話したことがない秘密だったのだ。
――それを、たった数分の会話で鈴原先生に見破られてしまった。
これ以上、自転車のことは他の人に知られたくない。
「よく分からんけど、ママチャリなら学校の備品があるぞ」
「ほんと!?」
「あぁ。ついてきな」
岡島は物置からカギを取り出すと、用務員室を出た。三人が向かったのは、校舎裏の駐輪場だ。
「あんまカワイイ状態じゃないけどな。ほらこれ」
たくさん自転車が並んでいる中、岡島は一番端っこに置いてあった少し錆の目立つママチャリを引っ張り出した。
「カギはこれな。使い終わったら自転車もカギも元の場所に戻しておいてくれよ。じゃ、仕事あるから行くわ」
「うん。ありがとー、タエちゃん」
「あ、ありがとうございます」
「気を付けてな」
岡島は手を振りながら校舎の中へと消えていく。瑠衣には、その背中が何故かとても頼もしいものに見えた。
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