15th Attack: 宣言

 午後のホームルームが終わった後、野々香は憤慨していた。

 なんで? なんでなのよ!

 反省文は百歩譲ってしょうがないとしても、あんな横暴が許されるはず無い!

 野々香は職員室へと向かった。

「失礼します!!」

 扉を勢いよく開けると、職員室にいた先生たちがその音に驚いて一瞬ビクッとなった。

「あー君、誰を探してるのかな?」

 扉の一番近くに座っていた男性教諭は言った。

「鈴原先生です」

「あぁ、鈴原なら窓際の――ほら、あそこにいるよ」

 彼は遠くの方を指さすと、自分の仕事へと戻った。

 野々香は輪太郎の姿を確認すると、そちらへ向かってずかずかと歩いて行く。それに気付いた輪太郎はパソコンのキーボードを叩くのを止めた。

「山城さん、反省文は書けた?」

「書けた? じゃないよ先生! サイクリングはやっちゃダメって、どういうことなの!?」

「さっきのホームルームで言っただろう? 生活指導部からそういうお達しだ。全クラスにそういうアナウンスがされたはずだよ」

「納得できない! 断固抗議!!」

 平日の放課後、学校内の活動ならともかく……休日のことまでとやかく言われる筋合いは無い。週末のアクティビティまで制限されるのは絶対におかしい!

「山城さん、抑えて抑えて。ちゃんと説明するから。それに――」

 輪太郎は野々香にしか聞こえない小さな声で、こう付け加えた。

「そんなに興奮するとまた倒れちゃうかもしれない。とりあえず落ち着こうか。ね?」

 他の先生からも職員室では静かにするよう諭される。

 輪太郎が近くにあったパイプ椅子を取ってきて、野々香はそこに座るよう促された。興奮で少し速くなっていた野々香の息が整ったところで、輪太郎が喋り始めた。

「現状、山城さんが作ろうとしている団体は、正式な部活じゃないのは言うまでもなく同好会ですらない。まず分かって欲しいのは、学校としてそういう許可のない団体が活動するのを認めることはできないってことなんだよ。何か事故があったときに責任を取れる人がいないからね」

 野々香は、黙って輪太郎の説明を聞き続けた。

「後、何人集まるか分からないし、初心者ばかりだと事故の可能性は高いし、集団でお店に押しかけるというのも学校としては――」

「あー、もう十分!」

 結局、大人の都合だ。学校を守るため屁理屈へりくつねてるだけじゃないか!

 野々香は立ち上がった。

「じゃぁ、学校と関係なければいいんだね? 友達とただ単にサイクリングに行くだけならいいんだよね?」

「……えーっと」

 ばつの悪そうな輪太郎の顔を見て、野々香はニヤリと笑った。

「私はサイクリングを決行する。でもそれは学校とは何の関係も無い。単に私の友達を誘うだけ。それでオーケー?」

「あのー……」

「……まいったな。止める理由がない」

「やったぁ!」

 輪太郎の動揺した顔を見て、野々香は痛快な気分になった。

「と言うことで、個人的に誘うことにするよ。まずは先生!」

 野々香はビシッと輪太郎を指さして、「来てね!」と言い放った。

 輪太郎がますます動揺している。

「いや、待て待て。それはいろいろと問題が――」

「問答無用!」

「あのー……すいません」

「はい!?」

「誰?」

 輪太郎と野々香は、ほぼ同時に声のする方へ顔を向けた。

「鈴原先生は……いますか?」

 そこには、二人に気圧された様子の背の高い女子が立っていた。

「えーっと……確か同じクラスだったよね」

 見覚えはある。しかし、野々香は名前を思い出すことが出来なかった。

「はい。うち、佐渡瑠衣さどるいです」

 そうだ、佐渡さんだ。

 少しふっくらした顔つきに、腰まで届きそうなストレートヘアー。丸みを帯びたフレームの眼鏡を着用していて、垂れた目尻と併せておっとりとした雰囲気を醸し出している。

 驚くべきはその存在感の無さだ。

 背はクラスで一、二位を争うほど高いのに、クラスでは全く目立ってはいなかった。声も小さく、あまり印象に残らない。実際、野々香はすでに名前を忘れていた。

「佐渡さん、何か用かな?」

 輪太郎が、もう少し近づくよう手招きをした。野々香も、さっきまで自分が座っていたパイプ椅子に座るよう、瑠衣に促した。

 彼女が椅子に座ると、やはり小さな声で話し始めた。

「先生……うち、ポスターを見て来たんです」

「あ……」

 輪太郎と野々香が顔を見合わせる。

「佐渡さん、自転車に興味あるの!?」

 野々香は胸に期待を膨らませ、目を輝かせる。

 もしかして、自転車部への入部希望者?

 それに対して、瑠衣はキッパリと言い放った。

「いえ、自転車には興味ありません」

「ふぇ……」

 期待をあっさり打ち砕かれた野々香は、思わず腑抜けた声を上げてしまった。

「あの、実は……ポスターに書いてあったお店に、どうしても行きたいんです。

 うち、スイーツの食べ歩きが趣味で、放課後は近くのケーキショップやベーカリーに寄ってるんです。でも最近、近くのお店は大体制覇してしまって、行くところが無くなっちゃって」

「近く……? 佐渡さん、どこに住んでるの?」

「ここから歩いて十五分位のところです」

「もしかして隣の駅の近く?」

「そうですね。でもお小遣いに限界あるから、できるだけ電車とかバスとか使いたくないんです。だからいつも歩き。昨日は四っつ向こうの駅近くにあるカフェに行ってきました。学校は午前中だけだったし」

「直線距離で七、八キロはあるね。根性あるなー」

「でも、十五キロとなると流石に歩ける距離じゃなくて……」

「自転車使えばいいじゃない」

「うち、自転車は持ってません。他の家族は持ってますけど」

「その家族から借りられないの?」

「平日は無理です。家族が通勤や通学に使っています」

「じゃぁ、貸してあげる! 先生が!」

「僕かよ」

「だって家近そうだし、たくさん自転車持ってるじゃん。貸してあげたって問題ないでしょ」

 確かに輪太郎はロードバイクを複数所持している。野々香は、そのことをブログを通して知っていた。

「大ありだって。先生が生徒に私物貸し出すなんて、何かあったら大事おおごとだ」

「へたれだなぁ。誰も分かんないよ」

「あのなぁ……シャーペンじゃないんだぞ。大体、佐渡さんが困ってるじゃないか」

「え?」

「考えてもみろ。家に自転車はあるのにいつも徒歩。休日に遠くの店に行きたかったら家族から借りれば済むことだ。もし、平日だけどしょっちゅう遠くの店に行くのであれば、通学用も兼ねて自分専用の自転車を買ってもらえばいい。ママチャリならそこまで高くないし。

 それでも徒歩と言うことは……佐渡さん、もしかしての?」

 瑠衣の顔が、みるみる真っ赤に染まる。

「……はい、その通りです」

 瑠衣は下を向いて、そのまま黙りこくってしまった。

 野々香は衝撃を受けた。

 

 日本の識字率が百パーセントであるように、自転車の乗車率も百パーセントであると信じて疑っていなかったのだ。

「佐渡さん、自転車に乗れないの? 子供の頃に練習しなかったの?」

「練習はさせられました。でも、自転車は未だに乗れません」

 瑠衣の声がますます小さくなっていた。顔は依然としてうつむいたままである。

「……うち、運動神経がよくないんです。転んだらどうしようとか、高いところから落ちたらどうしようとか、そんなことばっかり考えちゃって……。運動で自信があることなんて、一つもありません……」

「なるほど」

 事情を察したらしい輪太郎は、優しい口調で瑠衣に語りかけた。

「つまり、佐渡さんは自転車に乗れるようになって、あの喫茶店に行ってみたいんだね」

「……先生」

「なに?」

「こんなうちでも、乗れるようになりますか?」

「できるよ!」

 何か答えようとする輪太郎を遮り、野々香は胸を張って請け合った。

「え?」

 瑠衣がようやく顔をあげる。野々香は、瑠衣の目を真っ直ぐ見つめて堂々とこう宣言した。

「佐渡さん、私が自転車の乗り方を教えてあげる!」

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