14th Attack: 失念

 四時間目終了のチャイムが鳴り、昼休みになった。

 新学期最初の授業に辟易とした生徒たちが、しばしの憩いを求めて思い思いの行動を取っている。

 友達と集まって弁当を広げる者、購買部へダッシュする者。

 野々香はと言うと、リュックサックを持って教室から出ようとしていた。すると、後ろから智哉ともやに声をかけられた。

「ねぇ、野々香ちゃん。お昼ご飯一緒にどう?」

 智哉が爽やかな笑顔を振りまいてくる。だが、野々香にはそれがどうしても作り笑いにしか思えなかった。

 臆面もなく女子を誘うとは、噂通りの男だ。羞恥心という言葉を知らないのだろうか。

 野々香は突き放すように言った。

「ごめん、パス」

 そこへ、銀杏いちょうが援護とばかりに野々香の元へとやって来る。

「フラーレン、お昼休みにののりんを引きとめちゃいけないね」

「え、なんで?」

「ののりんはお昼ご飯も忘れてロードバイクでひとっ走りするのが日課なんだよ」

「へぇ、そうなんだ」

「まぁね」

 野々香は曖昧に返事した。肯定したくなかったから。

「行ってらっしゃい~」

「行ってくる」

 銀杏の笑顔に見送られながら、野々香は少し後ろめたい気持ちと共に教室を出た。

 今日もごめん、いっちょん。全部嘘なんだ。

 野々香は、去年から『昼休みは教室からいなくなるキャラ』としてのポジションを確立していた。それを達成するための手段として、ロードバイクはうってつけのスケープゴートなのだ。

 自分から流布したわけでは無いが、いつの間にかそういうことになっていた。多分、銀杏が勝手に想像して周りに吹聴したのだろうと、野々香は思っている。

 野々香が昼休みに教室にいない本当の理由。

 それは、自分の病気がばれたくないために他ならない。

 彼女が向かった先は保健室である。誰にも見られていないことを慎重に確認した後、野々香は素早く中へ滑り込んだ。

「こんにちは、沙希先生」

「ののちゃん、いらっしゃい。大丈夫、誰もいないわ」

 保健の茂手木沙希もてぎさきが、椅子に腰掛けながらペットボトルのお茶を飲んでいた。

「うん。いつもありがとう、先生」

 野々香は、毎食前に血糖値の測定とインスリンの注射をしなければならない。教室の中で出来るわけ無いし、トイレの中は衛生上よろしくない。必然的に、毎日保健室へ通わざるを得ない。

 だが、そんなことが他人に知られれば自分の病気のことが発覚してしまう。なんとしてでもそんな事態は避けたかった。

「今日も窓からなのね。普通にドアから入ってくればいいのに」

「ここは丁度木陰になってて人から見つかりにくいの。沙希先生も知ってるでしょ?」

「そうね。まぁ……ののちゃんがその気になるまで、私は気長に待つわ」

 茂手木の意図に、野々香は薄々気付いていた。

 いつまで病気のことを隠しておくつもりなの?

 恐らくそう言いたいのだろう。

 だが、野々香は怖かった。病気のことでいじめられた中学時代の記憶……。高校でも同じことが起きるかも知れない。いや、もっと酷いことになるかもしれない。

「さて、じゃぁ始めましょう」

「うん」

 野々香は、カーテンで仕切られたベッドの上に腰掛けた。茂手木から器具のセットを受け取ると、いつものように血糖値を測定とインスリンの注射を済ませた。

「さー、お昼だー!」

 野々香はリュックサックからお弁当を取り出しだ。

「ところでののちゃん、朝の血糖値はちゃんと記録したの?」

「あ、忘れてた」

「また? もう、ちゃんとメモしなきゃダメじゃない。治療のための大事な資料になるんだから」

「メモリー機能があるからついつい忘れちゃうんだ」

「通院前に必死で値を書き写している姿が想像できるわね」

 ドキッ。

 心臓の鼓動が一瞬跳ね上がった。

「そんな手間じゃないんだから、測定直後に書いておいた方が後々楽よ」

「はーい。分かってる」

 野々香と茂手木は、お昼ご飯を食べ始めた。茂手木はコンビニで買ってきたと思われるサンドイッチを頬張っている。

「新しいクラスはどう?」

「なんか、とってもなれなれしい男とクラスメイトになった」

「へぇ。名前は?」

「小平・フラーレン・智哉」

「あぁ、小平君」

「知ってるの?」

「知ってるわ。彼、面白い子よね」

「全然面白くないよ! さっきもお昼ご飯に誘われたし」

「まぁ、積極的ね。あの子らしいわ」

「まさか沙希先生にまでちょっかい出してるんじゃ」

「大丈夫大丈夫、子供に興味はないわ」

 そう言って茂手木は笑った。

 茂手木のみには含みがある。野々香はそう感じた。

「沙希先生は、どうしてフラーレンって呼ばれてるか知ってる?」

「さぁ、忘れちゃったわ」

「えー、本当は知ってるんでしょ! 教えてよ!」

「そういうのは、本人に聞くのが一番じゃないかしら」

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