13th Attack: 級友

 野々香は、自分の席で突っ伏していた。

 時刻は朝の八時を過ぎており、教室には登校してきたクラスメイトが何人かいる。何やらひそひそ話し込んでいるが、野々香には聞こえない。

 輪太郎に生徒指導室へ連れて行かれたあと待っていたのは、栴檀せんだんによる罵倒の嵐だった。

 あー、酷い目に遭った。

 反省している、次から気を付けるって言ってるのに、なんでああまで言われないといけないんだろう。

 確かに、印刷室を勝手に使ったのはまずかった。

 だけど、やれ常識がないだの部活の新設なんて聞いてないだの、一方的にまくし立てられるだけ。はぁ、ため息しか出ない。

 怒ることでストレス発散してるのかな。リンリン輪太郎がなだめに入ったら、今度は私じゃなくてリンリンを説教し始めるし。

 キレセン栴檀先生が担任じゃなくてほんと良かった。

 そのとき、ドアの開く音と共に元気な挨拶が聞こえてきた。

「おっはよー」

 野々香が顔を少し上げると、ドアから入ってくる風切銀杏かざきりいちょうの姿が見えた。去年のクラスメイトで、今年も同じクラスになった野々香の友達である。

「いっちょん、おはよー……」

「うわー、酷い顔だね。どうしたの?」

 銀杏が野々香の顔を覗きこむ。

 背丈は平均的といったところで、野々香より少し高い。

 ぱっちりとした二重まぶたの目が印象的で、丁寧に編まれたお下げ髪は髪留めを使って頭の後ろにまとめられている。調えられたまゆげやまつげも彼女の可愛らしさを演出しており、普段から外見に気を遣っていることが見て取れる。

「朝からキレセンにこっぴどく叱られた」

「あー、予想通りね。やっぱりあれはののりんが犯人か」

「あれって何よ」

「これこれ、ラインで回ってきた怪文書!」

 銀杏は手に握っていたスマホを少し操作すると、野々香に差し出した。その画面には、野々香が作ったポスターの写真が鮮明に写っていた。

「朝からもう話題持ちきりよ? 謎の自転車部現る! 創設者は誰だ!? ってね」

 そこに、一人の男子が会話に割って入ってきた。

「連絡先の名前を書き忘れるなんて、ほんとドジだな。ま、こんなこと言い出すのは野々香ちゃんしかいないけどね」

「おっはよー、フラーレン」

「おはよう、銀杏ちゃん」

 名前を小平智哉こだいらともやと言い、皆には『フラーレン智哉』とあだ名されている。その理由を野々香は知らない。

「どうせ私はドジっ娘ですよ。っていうかなれなれしく名前で呼ばないでくれる?」

「誰でも下の名前で呼ぶのが俺のポリシーぞ」

「軽薄なことで」

「野々香ちゃんも自転車バカなかことで」

 野々香と智哉は、今年始めて同じクラスになった。昨日の自己紹介によれば、身長は百八十センチメートルで、成績優秀、スポーツ万能であるらしい。にも関わらず部活には入っていないという、野々香にとって謎の人物である。

「なんであんたは私が自転車好きって知ってるのよ」

「同じ学年で知らないやつはいないぜ? 颯爽とロードバイクで登下校する女子! 意外と隠れファン多いんだぞ。今度誰か紹介してやろうか?」

「いらない」

 野々香はそっけなく答えた。

「そういうフラーレンは女好きで有名だけどね」

 銀杏がニヤニヤしながら智哉を小突く。

「人聞きの悪い! 誰とでも分け隔て無く付き合うのが俺のポリシーぞ」

 どうにもこういう軽いノリの男は苦手だなと思いつつ、野々香は「はいはい、分かった分かった」と生返事をした。

「で、ののりん。ペナルティーはどんな感じ?」

「反省文A4用紙二枚だってさ……」

「なーんだ、思ったより軽いじゃん」

「こんなことやってら、折角の新入生を捕まえ損ねちゃうよー」

「自業自得だと思って諦めな」

「俺は手伝ってもいいけど?」

 その瞬間、銀杏は「お前は手出ししなくてよろしい!」と言いつつ、まるで夫婦漫才のツッコミのような早さで智哉の胸を手の甲で叩こうとする。

 しかし、それ以上の早さで反応したのは野々香だった。

「どっち? 部活と反省文、どっちを手伝ってくれるの!?」

 野々香は立ち上がって、智哉の方へ詰め寄った。

「ど、どっちって、反省文だよ」

「なんだー。部活に入ってくる方が嬉しいんだけどなー」

「悪い。放課後はいろいろ用事があって部活できないんだ」

「そっかー……」

 なんだ、すごく期待しちゃった。残念。

 野々香はしゅんとした表情に戻って席に座り直した。

「それにしても急だったね。自転車部は去年で諦めたと思ってたのに、どういう風の吹き回し? もしかして、昨日のホームルームで鈴原先生に顧問のこと聞いたことと何か関係あったりする?」

「な、何言ってんのよ。全然違うし」

「さては図星だな? だけど、ののりんは行き当たりばったりなところあるからなぁ。ちょっと心配だよ」

「ねぇ、いっちょん。自転車部に入る気ない?」

「うーん……入ってあげたいけど、サッカーあるしちょっと無理かも」

「やっぱりなー……」

 銀杏がサッカー部に所属していることを野々香は知っている。こういう反応をされることも予想していた。

「銀杏ちゃん、今年はレギュラー候補なんだって?」

「そうなの。先輩がいるけど出し抜いてやる」

「ポジションはどこだっけ」

「ミッドフィールダー。キック力と持久力には自信あるからね」

「ロード向きなんだよなー、その特徴」

「え、そうなの?」

「キック力で重要なのは大腿四頭筋で、この筋肉はペダリングでハイパワーを出すのにも必要なの。加えて、サッカーは走るからハムストリングも鍛えられてるし――」

「どうどうどう! そこまでそこまで」

「ごめん」

「自転車は嫌いじゃ無いよ? だけど私はののりんほど自転車に興味がある訳じゃないし、今はサッカーに集中したい」

「そうだよねー……」

「ただ、ポスターに書いてあったカフェは興味あるかな」

「でしょー! パンケーキで有名らしいの」

 そう、その反応を待ってたの。いっちょん!

「よくそんな店知ってたね、ののりん」

「先生に教えてもらったんだー」

 一瞬の間が空いた後、銀杏と智哉の声が揃った。

「「……は?」」

「え、なに? 鈴原先生ってそういう趣味なの? っていうか生徒に手出すの早すぎじゃない?」

「だめだぞ野々香ちゃん、そんな奴の口車に乗せられては!」

「違う違う! 誤解だよー!」

 野々香は、輪太郎の趣味がロードバイクであり、今日の早朝にトレーニング中の輪太郎と偶然出会ったことを二人に説明した。

「――体育会系だとは思ってたけど、まさかののりんと同じサイクリストだったとはねぇ」

「なら、自転車部の顧問に鈴原先生はぴったりだ」

「うん。実はすでに顧問オッケーもらったんだー」

「なるほどね。ののりんのやる気も上がるわけだ」

「先生はすごい人なんだよ。全国の大会で何回も優勝してるんだ」

「もしかしてプロだったとか?」

「アマチュアだけど、ときにはよ」

「なにそれチートじゃん」

「とりあえず話を戻して……」

 銀杏がスマホを操作して、ポスターに描かれている地図を拡大した。

「ふーん、こんなところにあるんだ。ここから十五キロだと歩いていくには遠いし、最寄駅からもだいぶ遠そう」

「うん。五キロ以上はあると思う」

「自転車か車じゃないと行きづらいところだね。よくそんなところで潰れずに済んでるなぁ」

 キーンコーンカーンコーン――

「ホームルームを始めるぞ。みんな席について」

 学校のチャイムが鳴ると同時に、輪太郎が教室へと入ってきた。

「じゃ、また後で」

「部員集まるといいな、野々香ちゃん」

 そう言い残すと、銀杏と智哉はそれぞれ自分の席へと歩いて行った。

 ポスターは回収されちゃったけど、とりあえず学校の噂にはなってるようだし宣伝にはなったかな。誰か、自転車に興味持ってくれる子はいないかなー。

 このとき、ある女の子が離れたところから聞き耳を立てていたことに、野々香たちは全く気付いていなかった。

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