10th Attack: 動機

 輪太郎は、多摩川の河川敷を東へ向かってロードバイクを走らせていた。

 多摩川サイクリングロード――通称多摩サイは、始点から終点まで五十キロメートルの距離を誇り、サイクリングだけで無くランニングやウォーキングにも利用されている。

 今日は珍しく風が吹いてないな。調子に乗ってスピードを出しすぎないようにしないと。

 サイクリングロードには街灯が無く、真っ暗で何も見えない。強度の高いライトを二つ装着して前を照らしながら、慎重に進んでいく。 

 輪太郎にとって、実に三年以上ぶりの実走だ。

 長いブランクの間、どれくらい体が変化したのか。それを推し量るように五割程度の力でペダルを踏んでいく。

 心肺機能はそれほど変わっていないものの、ペダリングに関しては衰えを感じざるを得ない。頭では分かっているつもりだったけど、やはりランニングとサイクリングでは使う筋肉が違う。

 まぁレースに出るわけでも無いしこんな状態でもいいだろうと、輪太郎は一人納得していた。

 しばらくこんな調子で走っていると、前から光が近づいてきた。

 ん? こんな時間にロードバイクか。熱心なことだ。まぁ、人のことは言えないけど。

 安全のため、輪太郎は減速する。しかし、相手は減速するどころか加速する勢いで輪太郎の横をすり抜けていく。

 すれ違い様、ライトに照らされた相手の顔がちらりと見えた。

 あれは……山城野々香?

 輪太郎はブレーキを引き、急制動をかけた。自転車をほぼ静止させると同時にフロントホイールを地面から持ち上げて、

 すれ違ってから数秒しか経ってないが、前方に見えるロードバイクはすでにかなり遠くへ行ってしまった。

 思いのほか速い。あれは時速三十――いや、四十キロメートル近く出てるぞ。

 一分ほど追走して、輪太郎はようやく前を走るロードバイクに追いついた。輪太郎は横に並ぶと話しかけた。

「山城さん?」

「あ、リンリン――鈴原先生? うわぁ、先生がロードバイクに乗ってる!」

 野々香は少し息を切らしていた。二人はその場で一旦停車し、道の脇にロードバイクと共に移動した。

「おはよう」

「おはようー」

「それにしても大きな荷物だな」

「そうだよ。制服と教科書が入ってるからね。多分三キロくらいあるんじゃないかな」

 周囲が暗くて表情は読み取れないが、声色からして嬉しそうな様子がひしひしと伝わってくる。また、野々香が輪太郎のロードバイクに熱い視線を送っているように輪太郎には感じられた。

「……これって、まさか『おきなわ』で二連覇したときに乗ってたバイクじゃない!?」

「そうだよ。暗いのによく分かったな」

「うわー、格好いいなー。マドンはいつ見てもしびれる」

「そういう山城も、戦闘機に乗ってるじゃないか」

「紹介するわ。私の愛する『ヤンバルクイナ(♂)かっこオスかっことじる』よ!」

「性別まで決めてるのか」

「そうよ。こんな格好いいスタイルの子がメスなわけ無いわ。この子はなんて名前なの?」

「名前なんて付けてないよ」

「じゃぁ、私が名前つけてあげる! うーん、赤い彗星!」

「……意外と古いネタを知ってるんだな」

「お父さんが好きだからねー。じゃぁ……アルベルト!」

「アルベルトって……コンタドールのことか?」

 輪太郎は苦笑した。アルベルト・コンタドールとは、ツール・ド・フランスを制したことがあるスペイン人である。

 茂手木先生の言ってたことは本当らしい。引退した選手の名前が出てくるとは、女子高生なのになかなかのレース通だ。

「決定ね。今日から君は『アルベルト』号だ!」

「分かった、分かったよ」

 輪太郎は、アンディやフランク、ファビアンといった名前にならなかったことに少し安堵した。何せ、全員トレックに乗っていたのだ。名前が出てもおかしくは無い。

 いや、山城のことだ。もしかして被らない名前をわざとチョイスしたのか……?

 二人は狭いサイクリングロードを並んで走り出した。

「先生、多摩サイはよく走ってたの?」

「トレーニングにはあまり利用しなかったけど、お世話になってるショップへ行くために使ってた。メンテしてもらう間に隣のカフェでよくコーヒーを飲んだもんだ」

「カフェ?」

「サイクリスト連中には有名だな。マスター自身がサイクリストだし、自転車フレンドリーな喫茶店だよ」

「マスターとは知り合い?」

「マスターはどんなサイクリストとも顔なじみだよ」

「今度行ってみたいな」

「後で場所を教えてあげるよ」

 ランナーが見えたので、二人は併走することをやめた。一列縦隊になってやり過ごす。二人は併走に戻すとそのままサイクリングを続けた。

「先生」

「なんだ?」

「顧問を引き受けてくれてありがとう」

「まだ自転車部が出来たわけじゃないぞ」

「まぁ……そうだけど。先生は、どうやったら部員をたくさん集められると思う?」

「うーん、そうだなぁ……」

 輪太郎は少し考えた後、こう続けた。

「たくさん人を集めるより、少人数でもいいからちゃんと自転車を続けてくれそうな人を探した方がいいんじゃないかな。

 『自転車は楽しいよ~』、『自転車は気持ちいいよ~』と言って部活に誘うのは簡単だよ? だけど、それだといざ自転車を始めてみたらしんどいばっかりで、すぐ辞めちゃうかもしれない。

 長続きする人は、ちゃんとした動機――モチベーションを見るけるものさ」

「ふーん、そっか」

 学校が近くなり、二人はサイクリングロードから外れて一般道に入った。日中は車が多くて走りにくいが、早朝の時間帯は割と快適に走ることが出来る。

 赤信号で停止している間に、野々香が話しかけてきた。

「先生が自転車やるモチベってなんなの?」

「誰よりも速く走ること

 輪太郎は即答した。

 自転車競技のルールは極めてシンプルだ。

 誰よりも速く走って、誰よりも早くゴールラインを通過する。

「……でもよく考えたら、変なモチベーションだよ。プロなら、速く走ることでお金を得ることが出来る。これはとても大事なことだ。

 だけど、アマチュアのレースで勝ったところで、得られるのは自己満足だけかもしれない。時々、自分はなんでこんなことしてるんだろうって思いながら走ってた」

 信号が青になり、再び走り出す。

「山城は?」

「え?」

「山城はどうして自転車をやってるの?」

「私は――好きな人と一緒に走りたいから……かな」

「へぇ。それはなかなか面白い動機だな」

 野々香は、少々うろたえた様子で声を張り上げた。

「そ、それはもちろんプロ選手とよっ! サガンとかGVAとか!」

「ハハッ、そのときが来るといいな」

 そんなやりとりをしている間に、輪太郎たちは月ヶ丘高校の目前まで――輪太郎の自宅のすぐ近くまでやって来ていた。

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