薄暗い台所の隅に、彼女はずっとうずくまっている。

 どこかに行ってしまうことは恐らくない。だけど、もし芽ヶ沢さんの大動脈瘤を切除しても、本当に事態は丸く収まるんだろうか?

 いつもとは勝手が違いすぎて、わたしにもどうすればいいのか分からない。


「……あの、すみません」


 手術の後初めて、芽ヶ沢さんが口を開いた。


「はい、どうかしましたか?」

「心臓、まだ治ってないんですよね?」

「ええ。芽ヶ沢さんは生霊ですから、そのまま手術を続行したら、かえって良くないと判断しました」

「なら、もういいです」

「え……?」

「ショウタは私のことを捨てたんですよ? なら私、ただのストーカーじゃないですか! 本体も死んで、私も消してくれれば全部解決するでしょ?」


 そうか、この人は訳が分からないままここに飛んで来たんだ。当たり前だよね。生霊は強い気持ちを抱いた人からしか出てこない。

 手術の後リョウくんから聞いたけど、平田さんは突然故郷を出てこの街まで来た。それを知った芽ヶ沢さんは、きっともの凄く心が乱れたはずだ。だから、リビングの写真に気付かないまま、この部屋に居ついてしまったんだ。

 そういえば生きてる時も、怖くなったり、ヤケになったりして手術を拒む患者さんをたくさん見てきたな。


「そんなことはありません。リビングに、あなたと平田さんの写真がありました。それに……」

「それに?」

「わたしは一度死にました。夫から手術を受けろってやかましいくらい言われても、仕事にかまけて忠告を無視し続けた。そしたら本当に死んじゃって……その後、どこかも分からない真っ暗な場所で、とても悔しいって思ったんです」

「それが未練、ですか?」

「そうです。夫には気恥ずかしくて、手術し足りないからって説明したんですけど、本音は違って、リョウくんと離れ離れになるのが嫌だって初めて自覚したからで……だからわたしだって、あの世から来たストーカーです。今回たまたま、芽ヶ沢さんは平田さんに迷惑をかけてしまいましたが、わざとでもないし、問題ありませんよ。だから早く元気になって、生きた体で会いに来てください。わたしたちよりは、可能性があるんですから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る