三
今回は割と近場での仕事だ。俺たち夫婦の家から在来線で三駅、電車を降りて、そこから南へと向かう。五分ほど歩けば、約束の場所に着くはずだ。
「いやー、久しぶりの仕事だね、リョウくん」
「一ヶ月ぶりだな」
「今回はどんな患者さんかな?」
「さあ、どうだか……依頼主が霊の正体に心当たりが無いらしいんだよな。もしどこも痛くない幽霊なら俺らの出る幕じゃねえし、行って診てからの判断になる」
「ふーん……まあ、大丈夫でしょ」
「だと良いんだが。おっ、着いたぞ。このアパートだ」
前回の依頼から随分と時間が空いてしまった。いくらキリコの食事は『お供え』すれば問題無いとはいえ、さすがに生活費が底をついてきたから、いよいよ失敗は出来ない。
キリコの為に医者を辞め、そしてキリコの為に除霊の仕事を始めた以上、あまり無様な姿を見せれば彼女は相当気に病むだろう。キリコの苦しむ顔なんて二度と見たくない。
苦しみの原因が病気であっても、俺であっても、耐えられる気がしない。
「えっと、東屋さんですか?」
「おお、あなたがご依頼を下さった──」
「はい。平田と申します」
アパートの二階へ続く階段に腰掛けていた男がズボンのしわを直しながらこっちに歩いて来た。この男が今回の依頼主のようだ。
見たところ、年齢は二十代半ば。ここもどうやら安アパートのようだし、さしずめ駆け出しの社会人、といったところだろうか。階段に腰掛けていたのはどうかと思うが、それ以外は敬語も使えているし、まあそれなりに好感の持てる青年だ。
「さて、ご依頼内容の確認に移りたいのですが。ご自宅の台所ですすり泣くような声が聞こえる、と?」
「はい。だいたい、三ヶ月前からです」
「除霊方法の説明などもさせていただきたいのですが、いかがなさいますか? すぐ近くに喫茶店があったはずですが、ご自宅で話すのがお辛いようでしたら場所を変えて──」
「いえ、大丈夫です。汚い所ですが、お上がりください」
平田さんの部屋はアパートの一階、その一番北側の端にあった。
扉の横に表札が掛かっている。そこには平田ショウタと書かれている。
確かに、ここは平田さん本人の家らしい。
「お邪魔します」
「おー、ホントに汚い所だね」
「こら! あまり油断してたら、いつか本当に見える人の前で言っちまうぞ!」
「大丈夫、大丈夫。こう見えても、きちんと見てるから」
「……? あの、どうかなさいました?」
「いえ、何でもございません」
「今、お茶をお淹れしますので」
「いえ、お気遣い無く……」
そんな俺の言葉が聞こえていないのか、平田さんは台所の方へと引っ込んでいってしまった。そっちには幽霊がいるんじゃないのかよ、と思いながらも、彼が戻ってくるのを待つ。
ふと横を見ると、平田さんと女性が二人で写った写真が目に入った。条件反射的にリア充め、と思ってしまったが、俺も充分リア充だ。見える奴にとっては、だが。
「……いるね」
「……いるのか」
「うん。ひとまず、この依頼が本物なのは確かだね」
「にしても、お前が見えてないってことは、平田さんの霊感はそんなに強くないってことだろ? なんで幽霊の存在に気付いたんだ? ポルターガイストとかも起こってないだろ」
「それは……リョウくんとわたしの関係に近い、とか?」
「それはつまり──」
「お待たせしました。粗茶ですが」
「ああいえ、ありがとうございます。さて、除霊の方法についてですが、まず実際に台所にいらっしゃる幽霊さんにお話を伺いまして、そこから個別に対応をさせていただくという形でやらせていただいております」
「はい」
「その間は危険が及ばないように、また私どもが集中して除霊が出来るように、どこか別の場所でお待ちいただけますか?」
「はい、わかりました。それじゃあ、角の喫茶店で待ってますので」
「ありがとうございます。それでは」
「あ、あの!」
「……?」
「本当に、幽霊を手術なんて出来るんですか?」
「問題ありません。頼れる奴がいるので」
「そうですか。では、よろしくお願いします」
平田さんが部屋から出たのを確認すると、俺とキリコは台所へと向かった。突っかい棒から薄い布を垂らした簡素な仕切りを潜り抜けると、汚い流し台が目に入った。幽霊を不気味がって寄り付かなかったのだろう。元々まめに掃除をする男でもないようだったし、三ヶ月も放置していれば、こんな感じにはなるだろう。
「あ、いたいた! 冷蔵庫の側に座ってる!」
「了解。それじゃ、頼んだ」
「OK……こんにちは。外科医の東屋キリコです。あなたの痛みを治しに来ました。いくつかお聞きしてもよろしいですか?」
キリコが冷蔵庫に歩み寄り、そこにいる幽霊に語りかける。手術の前には、こうして必ず問診をするようにしている。幽霊の中には生前の記憶を失っている者が多いので持病があっても覚えていないことが少なくない。また、肉体を持たないせいで、痛みがあっても場所が曖昧で自分では患部がわからないこともしばしばあるからだ。
「はあはあ、メガサワさん、とおっしゃるんですね。植物の芽に、カタカナの『ケ』の小さいやつに、沢田研二の沢……ありがとうございます」
今回の幽霊は割と素直に自分のことを話しているようだ。そういうことなら、俺が気を配っておく必要は無さそうだ。俺は手術の準備をしておくとしよう。
「……よし、準備出来たぞ」
「こっちも同意を得られたよ。始めよっか」
「疾患は?」
「恐らく大動脈瘤。わたしの専門だね」
「よく問診だけでわかるよな……まあ、それなら安心した。頼んだぞ」
「任せて……それではこれより、大動脈瘤切除術を開始します。はいメス──」
キリコが手術を開始した。運良く彼女の専門分野に当たったし、今回の仕事も問題無く終わるだろう。何せキリコは、生前は『神の手』などと陳腐な、だが医者としてこれ以上無い名誉をいただいた最高の心臓外科医だ。
「あれ? なんかやけに硬いんだけど……」
「おい、どうした?」
「──インオペ」
「え? どういうことだ?」
「いいからインオペ! 全部片付けて、早く!」
「わ、わかった!」
インオペ。手術の中止を意味する言葉だ。
これまでの仕事で、キリコが手術を途中で止めることは無かった。もちろん、手術を続行すれば患者の命に関わる場合は当然インオペにするべきで、生前のキリコも何度かその選択をしているはずだ。だが、これ以上死ぬことの無い幽霊の手術でインオペ? 一体何が起こっているのか理解が出来ない。
だが、今はそんなことを考えていても仕方がない。手分けして道具をすべて片付けた。
「なあ、一体何があったんだ?」
「メスを入れた時、やけに感触が硬かったの。それこそ生きた人間みたいに」
「…………」
「そして、開いてみたら、確かに患部は見えた。けど、それ以外の臓器や骨まで詰まってたし、左心室の近くに一箇所だけ、心臓に抜け落ちてるところがあった。そこだけキレイに無いの」
「まさか、生霊か?」
生霊とは、死者の魂が現世に残った死霊とは違い、強い想念を引き金として生者の魂が一部分だけ切り離されたものだ。
この仕事を始めるにあたって学びはしたが、実際に行き当たるのは今回が初めてだ。
「だと思う。多分、わたしが見た心臓の欠損は、生きてる方の芽ヶ沢さんが疾患を抱えている部分。生霊の大動脈瘤を切除しただけだと、治らないばかりか本体にも多大な影響が出る」
「厄介なことになったな……」
「あと、リョウくんには見えなかっただろうから言うけれど、この芽ヶ沢さん、リビングにあった写真と同じ女性だよ」
「霊感が弱いはずの平田さんに泣き声が聞こえたのは、霊の正体が平田さんの恋人だったから……」
「とにかく、本人に会ってみないとわからない。任せたよ、リョウくん」
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