第52話 サロメ=イルヤと対談
「使徒の方がいらしたという事はアルバ神様もいらっしゃるのかしら?」
サロメがとりだした扇子を顎に添えて顔を廻らせる。
口調も所作もゆっくりとしているけど、彼女からは威厳のようなものを感じられる。
ただ、神威というか神の雰囲気はシャスカほども感じられない。
やはり神種に力をすべて注いだからなのか。
そんな事を考えていると、サロメの視線がショーンに向けられた。
「貴方の肌の色、あの方に似ているわね……でも違う」
今の言葉からすると、サロメは戦争から長い時間が経っていることも、アルバ神の寿命の事も承知しているようだ。
威圧のせいか、瞬き一つできずに固まっていたショーンから再び僕に視線が向けられる。
それに対して僕は頷いた。
「そうですね。サロメ様。アルバ神は我々の拠点の一つにおります」
サロメと呼んだためか、縦に裂けた瞳がきゅっと細くなった。
「アルバの使徒。まずは神種をわたくしに戻した事にお礼を言わせていただくわ。願いをきく前に名前を伺っても構わないかしら?」
丁寧な口調とは裏腹に圧倒的にこちらを下に見ている。これまで見た神様の中では一番神らしいかもしれない。
「はい。お初にお目にかかります、サロメ=イルヤ様。ヘルザート・ガンナー・シルバーウルフと申します。気軽にザートとお呼び下さい」
名乗ると同時に頭を下げる。使徒はかしずく必要も無いし、むしろしてはいけない。
一応他のメンバーも同じようにするように言っていたので皆頭を下げるだけだ。
そんな中、一人イリダルだけが混乱のあまり頭を下げるのが遅れたようだ。
「ザート、そこの者は我が民に見えますが、なぜ連れてらしたの?」
顔を向けられたイリダルはサロメの紫の瞳に射すくめられたように中途半端な姿勢で指先すら動かせずにいる。
「彼はイリダルと申しまして、ハイムアにある集落の長です。黒竜の使徒ザハークを神と呼んでいたので御身の前に連れてきた次第です」
なるほど、とサロメが扇子で手の平を打ち頷く。
「そうでしたわ。バーバルの軍勢……バルド教とザハークが大昔にそのように取り決めましたね。それはそうと、ザート、貴方、わたくし達の時代の事をどこまで知ってらっしゃるのかしら?」
サロメのまぶたが笑みをつくる一瞬、きゅいと絞るような動きを見せる。
こういう動きは激しい感情を見せるときの動きだ。かなり警戒されたか。
でもここでひるんでいられない。神の使いであるならば神を前にしても矜持をもって接さなければならない。
「アルバ神も他の多くの神同様、記憶を引き継ぎますから。およその事は伺っております」
口元に微笑みをうかべつつ答える。
沈黙が続いたのはどれくらいか、サロメが静かに肩を揺らせて笑った。
「なるほど、それは話が早くて助かりますわ」
後ろでほっというため息がいくつも聞こえる。
「とはいえ、全てを知っているわけではありません。例えば、サロメ様がお力の全てを神種に込めて散らせ、大陸中を竜種で満たした理由など」
一つ踏み込むとサロメの目がすっと元にもどった。
「ご存じでしょうけど、わたくし、あの方と心中しようかと思っていましたの。そのために、国中の魔素を竜種に食わせ、わたくしみずから回収したのですわ」
「回収した血殻で何をしようとしたのですか?」
「それは……あら、なぜでしたからしら?」
とぼけているのか……? いや、そうだとしたら突っ込むのは良くない。ここは流して本題に入ろう。
「サロメ様。失礼ながら、サロメ様とアルバ神が争ってから長い時が経ち、アルバ神も数え切れないほど代を重ねております。既に御心も安らかになられているのではありませんか? 当代のアルバ神はサロメ様と共にこの大陸を治める事を望んでおります」
「それは、わたくしにアルバ神に降り、かつてのリンフィスの神々のようになれと言うことでしょうか?」
紫の瞳を見つめながら一気に要件を述べると、神の力は無いはずのサロメから膝がくだけそうなほど強い圧力が向かってきた。
わずかに腰を折り、視線を下に向ける。
けれど、直後に頭上からかすかなため息がきこえてきた。
「ええ、かまわなくてよ。むしろ願ってもない申出です。ただし、条件がありますわ」
顔を上げると、サロメはにっこりと笑みを浮かべていた。
広げた扇子で左肩をなぞっている。ああ、首切りの所作か。
なるほど、首を持ってこい、って怖いな。
「おおよそ承知しているでしょうけど、わたくしはあの方を滅ぼすのを条件に一柱の神に魔素を融通しましたの。けれど、その使徒はザハークと共に主を裏切り、あの方を滅ぼす代わりにわたくしを利用し、アルバ人とイルヤ人を支配下においたのです。わたくしが降る条件は、あなた方がバルド教ティランジア総督バリトール=ヴリトラとザハークの首を持ってくる事です」
唐突に圧力が弱まりあやうく身体が傾く所だった。
「ザハークを殺せば私は大陸中の神種から力を吸い取れるようになるんですもの。せっかく降る神の力が空では意味がないでしょう?」
目の前のサロメはどこか凄惨な顔でにっこりと笑って言った。
その笑顔に安心したのか、イリダルが腰をかがめつつも僕の隣にやってきた。
「おそれながら、おそれながら申し上げます。我々ハイムアの民はイルヤ神様のご恩寵により大陸の他の地方が不毛の地となるなか、水瓶のごとく雨に恵まれ、禁忌とされる竜種の肉も口にせずにすんでおります。いったいどのような理由で、どのような方法でなされておりますのかおうかがいしたく存じます」
瞬間、空が暗くなる錯覚を覚えた。
まゆをひそめるだけですんだ自分の顔が誇らしい。
イリダルが本当に訊きたいのは『どのような方法で』の所だ。
虹の中から出てきたのでさすがに人だとは思っていないだろうけど、イリダルは未だにサロメがイルヤ神である事を疑っているのだ。
ここでイルヤ神の機嫌をそこねるのか、と僕は内心冷や汗をかいていたけど、意外にもサロメはなんでもない事のようにうなずいた。
「ザート。”まともな”イルヤの民がいなくなればわたくしがどうなるか、知っていますわよね?」
「はい。神界より世界の経営を失敗したと見なされます」
「そう。大陸を荒廃させるなか、わたくしがハイムア地方のみ清浄にしていたのは神界のルールを守るため。でなければあの逆賊達を弑する機会が潰えますもの」
それと、とおもむろサロメはおとがいをそらすと、斜め上を向いた口に扇子をそえて息をはいた。
ビーコのブレスのような極小の氷の結晶が雲のない空に吸い込まれていく。
しばらく息の向かった先を眺めていると、ぽつりと現れたちいさな白い雲がみるみる大きく黒くなり、その下からはっきりと見えるほど強い雨が降り出した。
「どうやったかおわかりかしら?」
サロメは振りかえるとこちらに向かって無邪気に笑いかけてきた。
「……いいえ」
偶然だけど、雲と雨の出来る仕組みはビーコに乗っていた時に発見した。
でも自慢げにされているのに知っているというのはあまりにも空気が読めないだろう。
だというのに、サロメはどこか不機嫌そうにしていた。
「あなた、どことなくあの方の使徒に似ているわ。嫌いではないけれど、好きにもなれないわね」
サロメの視線は今度は僕ではなくショーンの方に向いていた。
ショーンもあの場にいたので当然雨雲のでき方は知っている。
もう取り繕っても仕方ないので僕はゆっくりため息をついた。
なんで顔に出すんだろうなぁもう。
【後書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
ザートの商人ぽい所がショーンのせいでばれてしまいました。
イリダルに対して返事をしないのは貴人の嗜み的なものです。
単純に失礼な事を言っていることもありますが。
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