第42話 チャトラが遺したもの

 驚愕に目を見開いたシャスカが空を見すえたまま、訊ねてきた。


「ザート、確認するが、チャトラとサロメは既につながっておるのじゃな?」


「ああ、黒い糸の様なものでつながっている。あの糸は魂、で良いのか?」


「うむ、チャトラからサロメに向かって伸びているものは、チャトラの魂とみて間違いない」


 半ば確信しつつもシャスカに訊ねると、シャスカは胸に貯めていた空気をゆっくりと吐き出した。


「我ら神は、使徒の死後、その魂を神界へと送ることができる。つまり、魂を扱う術をもっておるのじゃ。サロメが力の全てを神種に与えたとしても、その能力はもっておるはずじゃ」


「サロメがその能力でチャトラの魂を取ろうとしているのはわかった。どうしたらそれを止められるんだ?」


 魂を扱う術、か。サロメの意図はわからないが、今はそんな場合じゃない。

 問題はチャトラを元に戻せるかどうかだ。

 シャスカはその問いに答える代わりに小さな手を握り、開く。そこには蒼く光る小さな花があった。


「これは我が使徒の魂を神界に届けるのに使う、血殻でできたウジャトの花じゃ。サロメもこのような魂の器をもっておる。チャトラの魂は今まさにその器に吸われているのであろう」


「なら、それを壊せばチャトラの魂は戻るんだな?」


 再びシャスカが手を握る。けれど、今度は開かない。シャスカは顔を伏せ、握った拳を開くと花はガラス細工のように砕けていた。


「器はもろいが、魂が器と融合していればそれはもはや神のもの、地上ではなく神界の理に従う。破壊する事は——」


「やるだけやってみるよ」


 シャスカの言葉が終える前に、僕は足元の法陣から衝撃を発する鉄板を出現させ、空に向かって跳んだ。

 赤浄眼の視界にうつる黒い糸を横目に見ながら、強化した身体で何度も跳ぶ。

 間に合うかどうかわからないけれど、とにかく急ぐ。

 いつも竜騎兵にのって飛んでいる雲の高さも超えてさらに昇ると、虹の正体がみえてきた。

 緑色をした半透明の帯の中で、様々な色の珠が縞模様を作っている。

 虹は巨大なものから掌中ほどまで、様々な大きさの珠でできていた。


「あれだな」


 黒い糸と化したチャトラの魂が半ばまで溜まっている透明な珠をみつけ、挟むように法陣を展開する。


『レナトゥスの”鉄床”!』


 二枚の法陣から勢いよく飛び出した鉄塊が珠を中心に衝突する。

 けれど、鉄塊を収納した後には、傷一つない珠が浮かんでいた。

 刃で切りつけ、魔法で焼き、酸を浴びせた。それでも珠は自身が幻であるかのようにそこにあり続ける。

 食いしばる歯の間から大きく息を吸う。これを壊さなければ、チャトラの魂が解放できないのに。

 息が上がったまま、さらに攻撃を続けた。


「……収、納」


 やはり収納もできない。

 間に合わなかったという冷酷な事実を理解しつつも再び身体が動き出す。

 散々動いた後、それがただの八つ当たりだと自覚して、ようやく法陣を消した。


 地上に降りるとカレンとアルバトロスがチャトラの前に座っていた。魂が抜けた事で正気にもどったんだろうか。

 他の皆は二人の後ろで見守っている。

 力なくこちらを見る二人に向かって首を振ると、意外なほど静かにうなずいてきた。


「二人には我から説明しておいた。お主を責めることはないと言っておる。だからその、右手に持っておる神器をしまうのじゃ」


 シャスカに言われ、自分が盾剣を握りしめていた事に今さら気付く。

 竜使いの二人の隣に片膝をついて座り、チャトラに絡まっていた鎖を収納する。

 鱗はほとんど失われ、肉体も灰色の粘液で覆われている。首もだらりと地に横たわり死んでいるかのようだ。


「チャトラ」


 呼びかけると閉じられたまぶたがゆっくりと開かれた。


——クォン。


 呟きのようなかすれた響きが歯が半ばまで抜けた顎門から漏れる。

 それに重ねるようにオルミナさんが口を開いた。


「団長にも、ありがとうって。騎竜はね。寿命がきて別れる時はみんな悲しむの。竜種に身体が変化してから孤独に過ごしてきた分、人や他の騎竜と過ごす時間が楽しくて仕方がなかったって」


 オルミナさんの言葉にカレンの目から涙が再びあふれ、灰色の泥に汚れた顔に二本の筋をつくった。


——グォウ。


 チャトラの言葉にオルミナさんがさみしそうな顔で微笑んだ。


「ザート君、全力でブレスを吐くから受けとめて欲しいって」


「わかった」


 意図を即座に理解して立ち上がる。

 思えばチャトラには伝令役ばかりでまともに戦闘をさせた事がほとんどなかった。

 先輩のワイバーンに並ぶために強くなろうとした身としては、戦えなかったのはさぞ心残りだろう。

 せめてブレスを託したい、という事なんだと思う。


「ザート様、チャトラがブレスを放てば……」


「大丈夫、わかってるよ」


 メリッサさんに言われなくても、ブレス後にチャトラの身体が崩壊するのはわかっている。その身体は研究のために残しておきたい。

 だから、その受け皿を用意しておく。


「ストーンコフィン」


 チャトラの身体の下から石の柩をせり上げていく。

 カレンに振り向くと、肩をふるわせながらもチャトラに向けて手を振っていた。もう良いだろう、十分だ。

 熱風を逃がすためにすり鉢状にした石の棺の縁に降り立つと、チャトラが首をもたげ身体を起こす。

 鱗を失い、翼幕も溶け落ちているけど、何とか顔を空に向けた。


「チャトラ、戦いで使わせてもらうから、存分に撃ってくれ——法陣・複層展開」


 上空に離れ、縦に重ねた十枚の法陣を展開するとチャトラは顎門を開け、風を呑み込んだ。

 チャトラは最後にもう一息吸い込むと、法陣に向けて一条の熱線となった炎を放つ。

 これはきっとチャトラが強くなろうと必死に創意工夫をこらしてつくりあげたブレスなのだろう。

 確かなことは言えないけど、煌めく炎をながめながらそんな事を思った。




    ――◆ 後書き ◆――


いつもお読みいただきありがとうございます。

シャスカのいうサロメ、とはアルバ神の記憶の終盤で変身したイルヤ神の事です。

虹蛇(にじのへび)というモデルはアボリジニなどの神話でみられたりします。



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