第39話 チャトラ制圧
皆が乗ったマコラがちぎった綿のような雲が浮かぶ青空に飛び立つのを見送る。
タイミング良くビーコが飛んでこないかと、淡い期待を抱いてかすみがかった東にみえる山脈をみたけれど、それらしい影は見えなかった。
「メリッサさん、しれっと残りましたね」
後ろに立つ三つ編みの女性に声をかける。
「骨化した竜がどのように溶解していくのか、確認しておくのも技官の務めですから」
今のメリッサさんはひたすら他者を観察する研究者の顔をしていた。
何度も騎乗して笑顔で声をかけていたチャトラが溶解する、とためらいなく言い切るメリッサさんに普段の親しみやすさはない。
「骨化したチャトラが後どれくらいで溶けだすか予測はついていますか?」
「あくまでワイバーンと被検体の竜種の体重を比較して立てた予想ですが、あまり時間はありません。遅くとも、日が沈む頃には、完全に溶けてしまうでしょう」
「溶解が始まった後に魔素は抜きましたか?」
「リッカ=レプリカの構造を応用した機材を使い魔素を抜きました。被検体はほぼ動かなくなりましたが、やはり時間が経つと崩れていきました」
戦闘音の響く先に向かい駆けながらメリッサさんから話をきく。
動かなくなる、という言葉で少し希望が見えてきた。
フリージアさんの時もそうだったからだ。
「魔素を極限まで抜けば僕の神像の右眼に収めることができます。その中なら時間もとまりますから、リュオネの到着を待って、リュオネと僕とで”魂魄反転”を行います。
なんとかなると言いつつ、歯を食いしばる。
魂魄反転以外に魔素の溢れて変質した生き物を元に戻す方法が見つからない以上、それにかけるしかない。
たった一つの方法が上手くいかなかったら? どうやって損害を最小限にする? どうやって損失を回復させる?
最近判断に迷う時に父さんの顔と、不本意ながら皇国の大商人だったマロウの顔が思い浮ぶ。
けれど時間はまってくれない。
「メリッサさん。ここから先は危険です。活動はすぐに避難ができる場所でしてください」
一言いい残し、バシルとジョアン叔父が戦っている大通りに向かった。
途中通り過ぎた神殿前はほとんど更地と化している。
——バギン!
飛び立とうとしたチャトラの背に飛び乗ったジョアン叔父が二回旋舞させた処刑人の剣を翼の付け根に打ち下ろし、右の翼を砕いた。
チャトラは悲痛な叫び声を上げながら地面に墜落し、今度は怒りの咆哮をあげて空中に投げ出されたジョアン叔父に向かって顎門を開く。
「っと、助かったぜ」
ブレスを法陣で収納し、叔父の身体を抱えて尻尾の追撃をかわして着地するとジョアン叔父が魔人化を解いて笑ってきた。
叔父が操作すると一瞬で膨らんだ左手の革手袋がスルリと脱げた。
「ほれ、これを使え」
そう言って渡してきた革手袋の中指の部分には赤い神像の左眼がついている。
これを渡すっていうことは叔父も限界が近いって事か。
元々長時間は戦えないって言っていたし、あれだけ倒さないように加減し続けたんだ。当然だろう。
なんと言って良いかわからずにいると苦笑で返された。
「魔人になれってわけじゃねぇよ。なろうとしてもなれねぇだろうしな。左眼も右眼と同じく複数の機能があって、その一つが体内魔力を通す経路の整流だ。それを使えば以前みたいに右眼の使いすぎで経路がズタズタにならずに済む。ま、とりあえずはめて魔力を流してみろ」
言われるままに手袋をはめて操作するとピタリと手袋が腕に張り付いて皮膚の様になった。まるで黒い手だ。
続いて神像の右眼と同じように、魔力の経路が指輪も経由するようにする。
波のように揺らぐ魔力の流れが次第に安定してきた。
「いけるみたいだ。これからチャトラを拘束するけど、チャトラとの戦闘で気をつける事はある?」
「いや、拘束するなら速さに気をつけてくれ。骨化した竜は魔力で修復した身体の部位が強化されるらしい。後はブレスの隙が小せぇ。威力は普通のワイバーンの比じゃねぇ」
「それって、ワイバーンの能力がほぼ全部上がってるじゃないか」
「そういうこった。そろそろ行ってやれ。バシルが持たんぞ」
見れば回復したチャトラが空中のキビラに向けてブレスを連発していた。
通常竜種はブレスを連発できない。放つのに大きな予備動作が必要なブレスは強力だけどリスクの高い攻撃だ。
それをあれだけ連続して放てるなんて……過剰な魔素があるにせよ、身体に大きな負担がかかっているだろう。
チャトラの背後に忍び寄り、ミンシェンから預かった魔鉱砲に砲弾を装填する。
決めるなら不意打ちだ。チャトラが移動するために羽ばたいた……今!
魔鉱砲から発射された砲弾が途中で縦に四分割され、回転しつつ広がり進んでいく。
目で見えるくらい遅いけれど、巨大で重量のあるポーラは獲物に絡み、重りで打ちすえる。
けれどチャトラの首と翼に絡まるとみえた瞬間——ポーラ弾は避けられた。
「あの魔力の膜は探知の意味もあるのか!」
避けると同時にこちらを見たチャトラがためらうことなくブレスの姿勢に入る。
さっきキビラにブレスを放っていた時には見られなかった予備動作だ。
展開した三重の法陣、一枚目の鉄板が易々と射貫かれ、二枚目に鉄板の残がいごと吸収されていく。
『ヴェント・センタ!』
法陣を置いたまま斜め後方に下がり膝をつく。喉が灼けた。
(ヒール・レスロ!)
のどの腫れが引き、塞がっていた喉に再び空気が入り、おもわずあえいだ。今も毛穴から冷や汗が吹き出ている。
あれはヒュドラのブレスの強化版だ。中心から放たれる炎の弾を周囲の風が加速、高温化させて放ってくる。
ブレス自体を収納してもすり抜けてくる熱風で喉をやられた。生体防壁も抜くなんて油断できない。
僕がコトダマ無しで魔法を使えなければ窒息して死んでいたところだ。
けれど、しのぎきった今がチャンスだ。
「団長! さっきのやつもう一発ぶち込め!」
予備動作で動けなかったチャトラがキビラにのしかかられている。
首をまげて攻撃しようとするけれど、キビラの巨体を押しのけられずにいる。
「バシル、離れろ!」
魔鉱砲を構え、キビラが離れた瞬間にポーラ弾を発射する。
再び分裂し回転するポーラ。チャトラは避けるだろう。それでも——
「弾が消え——」
バシルの驚愕の声が聞こえるけど、その叫び声が終わる前にチャトラの”頭上”と”足元”から二つのポーラ弾が現れ、チャトラの足と首を拘束した。
さっき避けられたのと、たった今手前で消えたポーラ弾。どちらも浄眼で収納し、たった今射出した。
「ふう、さすが。エグい攻撃だったぜ団長」
キビラから飛び降りたバシルが褒め言葉になっていない呆れ声を出して近づいてきた。
「なんとか捕まえられたじゃねぇか。やったな」
ジョアン叔父とメリッサさんも物陰から出てきた。
皆でさらに鋼糸で拘束したチャトラに近づく。
「それで? この後はどうするんだ?」
そうか、二人にはどうするか説明していなかったな。
「これから魔人を人にもどす魂魄反転をするよ」
「そりゃ、俺やフリージアにつかった奴か」
「おお、魔素が溢れたって意味なら一緒か。ならいけるんじゃねぇの?」
さすがに難しい事だとわかっている叔父は渋い顔をするけど、どこか安心した表情だ。バシルにいたっては完全に楽観している。
「どうしたメリッサちゃん? 難しい顔をして……って」
しゃがんでチャトラを見ていたメリッサさんにいつもの調子で話しかけたバシルは、振りかえった彼女の表情に思わずたじろいだ。
でも、その視線の先はバシルじゃなくて僕だった。
「ザート様、チャトラの身体の溶解が、始まりました」
――◆ 後書き ◆――
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