第57話【ヒラフの掌中のカギ】


「湾の口を竜のブレスで氷塊の海に変えました。あの通り賊は湾を出られずにいます。今のうちに二番艦を救助に行きましょう」


 湾の一部を凍らせたという事実に混乱していたのか、計画の軌道修正を図っていたのか、マロウが動きだすのには数瞬時間がかかった。


「……そうですね。向かいましょう。ご協力感謝します」


 マロウは再び余裕をとりもどした顔で指揮を取り始めた。

 まだ勝算があると踏んでいるのだろう。


 僕たちが乗る一番艦は湾を横切り、リュオネ達が乗る二番艦へと近づいていく。

 けれど、同時に二番艦もゆっくりと帝国の偽装商船に引き寄せられている。

 帝国東部軍の軍人は湾から逃れるため、直接リュオネを人質にとるつもりだろう。


「団長、停泊位置が遠かったのか出遅れていますが、向こうの船も追ってきています」


 スズさんの報告に顔を向けずうなずく。

 帝国の軍警察の船も順調に追ってきているようだ。


「マロウは船尾楼での指揮に忙しくて気付いていないのかな」


「どうでしょうか。計画が露見していると分かれば、我々も危ないかもしれませんね」


 厳しい表情を崩さないスズさんの横顔を見る。


「確か犬獣人は狼獣人より弱いんじゃ無かったのか?」


「種族として弱くても強い者がいないわけではありません。マロウの直属の部下は皆大人数の中から選りすぐった実力者達です。さらに言えば、彼らを従えているマロウ自身の強さもかなりのものでしょう」


 なるほど、それはちょっと計算外かもしれない。

 こちらは僕を含めて五人だ。しかも僕は法具を持っていない。


「驚きませんね」


「あちらの提督が鉄面皮なんでね。僕も負けてはいられない」


 口調だけ冗談めかして言うと、スズさんの険しい顔が和らいだ。

 そうしているうちにも二番艦がゆっくりとたぐりよせられ、偽装商船の横に接舷しようとしていた。

 偽装商船の甲板の上には武装した帝国兵が乗り移ろうとひしめいている。


「ザート、このままだと間に合わないですよ!」


 一番艦の進路ではこのまま進んでも直接二番艦に乗り移れそうにない。

 強いロープでできたカギ縄でたぐり寄せる必要がある。


「でも、クローリスさんの言うとおり、このままでは帝国兵に先に船に乗り移られてしまいます。私が軍警察に緊急信号を出します」


「ちょ、タチアナやめるんだ、そんなことしたら君が捕まるだろう!」


 タチアナさんの腰を探る手をアルンがあわててとめた。

 

「タチアナさん、本気で心配していただいて有り難いのですが、問題ありません。二番艦には僕たちのクランの四分の一が乗っています。彼らが船倉から出れば十分に押し返せます。そしてリュオネ達は今、船倉のカギを手に入れるために戦っている最中のはずです」


 その証拠というわけじゃないけど、二番艦の甲板上を走り回る船員は武装商船の方を見ていない。


「さ、行こうか。心配はしてないけど、そろそろ僕たちも行かないと怪しまれる」


 早足で船首楼から帆がたたまれたメインマストの下にいるマロウ達の近くに移動した。


「間に合いますか」

 

「ギリギリでしょうな。カギ縄をかけ全力で引いてもすぐに接舷できるわけではありませんから」


 そういって、眉間にしわをよせる深刻そうな表情は、嘘だ。

 マロウにとっては帝国兵に先に乗り込まれてしまった方が都合がいい。

 船倉の皆が解放される前に交戦状態にはいれば、さすがにリュオネ達でも捕まる可能性が高い。


 大丈夫だと信じている。

 それでも胸はさっきから早鐘を鳴らし続ける。息は何もしていないのに苦しい。


「……ヒラフ!」


 予想外にあわてた様子で大声を出したマロウの視線の先を目で追うと、船尾楼の影から後ろ向きに歩く、両手をあげた細身の犬獣人が出てきた。


 向こうもマロウに気付いた様子で、こちらに首を向けたけれど、すぐにもどした。

 向こうが風下であるせいでこちらの声は届いても向こうの声は届かない。


 次に現れたのはリッカ=レプリカに身を包み、魔鉱銃を構えたバスコ達に守られたリュオネだった。

 ヒラフという男に手を差し出して叫んだのは、カギ束を渡せという言葉だろう。


「ヒラフ! 反対側には帝国兵がいるんだぞ! 早く武装して、私が助けに行くまで持ちこたえろ!」


 マロウの内心と行動は真逆だろう。

 本心は ”私が助けに行く前に、武装をおくらせて、帝国兵を受け入れろ”といったところか。

 うわずった声は切羽詰まっているようで実は愉悦の色を含んでいる。

 必死に懇願するような表情がこわばっているのは目元口元がつり上がるのを押しとどめているためだ。

 

 それにしても、少し楽観的すぎたかも知れない。

 ヒラフという男がよほどうまく立ち回れたのか、カギを持って海に出られてしまった。

 もしヒラフがよろめいたふりでもしてカギ束を海中に投げ込んでしまえば全て事は終わるのだ。

 事の趨勢は彼の手の中にある。


 それなら彼はなぜそれをしない?


 違和感が心の中で言葉になる。

 彼がマロウの意図を図れる優秀な副官であるならすぐに実行するだろう。

 それなのに彼はそれをしないばかりか、こちらをなにか探す様にチラチラとみている。


 マロウの声の余裕がだんだんなくなっていく。

 彼は彼でヒラフの行動が予想外で焦ってきているのだろう。

 そう思った瞬間、彼の糸のように細い目が確かに僕を捕らえた。

 横で彼の名を叫び続けるマロウの声も、カギ縄を引っ張る船員達のかけ声もかき消え、彼の口元の動きだけがやけにはっきりと見える。


—— 殿下、貴女がうらやましい ——


 彼の手で投げられたカギ束は、リュオネの手に吸い込まれていった。



    ――◆ ◇ ◆――


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