第37話【三人の庭】


 広いホールに入ると、衛士隊のシノがいた。


「団長……」


 シノは少し腫れた目を拭い、こちらを見てきた。


「リュオネはどうしてる?」


「大泣きしていたクローリスと二階の個室にいます」


 手のかかる子どもか。

 でもクローリスがうらやましいとも思う。それだけ素直になれるのだから。


 ホールから個室へと続く階段をのぼっていく。

 丙案が合理的だなんてわかっている。

 両国が交渉している間、リュオネとは何度も話しあってきた。


 コトガネ様の話では、向こうの魔人には上位存在がいるらしい。

 その不死性から手練れの軍隊でも倒せず、複数の牙狩りでいっせいに天津魔返矛あまつまがえしのほこを打ち込まなくてはならないらしい。

 帝国との戦線に魔人の集団が現れているのであればその上位存在の可能性もかんがえなくてはならない。


 リュオネの中で行かないという選択肢はなかった。

 つまり牙狩りは一人でも多くいた方が犠牲が少なくなる。

 魔素の調整のため僕から離れられないコトガネ様がくやしがる隣で、リュオネは皇国に向かう事を静かに受け入れていた。


「リュオネ、入ってもいいか」


 部屋の中から応じる声がしたので入ると、ソファの上に座り、ヒザにクローリスの頭を乗せたリュオネがかすかに憂いを帯びた顔で微笑んでいた。

 クローリスが寝ているのか、リュオネは唇に人差し指をあてている。


「……もう平気なのか」


「うん、なんとかね」


 クローリスの頭をそっとクッションの上に置いてバルコニーに出るリュオネを追いかけたけれど、何をいうべきかわからず沈黙してしまう。


 クローリスは現実を受け入れた。

 スズさんも、オットー達も、エンツォさん達も、コトガネ様も、ショーン達も、衛士隊も、ミンシェン達も、リザさんも受け入れた。

 もう誰もこの現実を受け入れていない人はいない。

 

 ここからは影になって砂浜しかみえないけど、皇国の旗艦は出航の準備をすでに終えているだろう。

 後はここにいるリュオネが乗り込めば全てが進み始める。


「リザさんをうらまないで」


「わかっている」


 同盟を結んだのがリザさんでも、最後まで抵抗していたのもまた彼女だった。

 個人の感情を優先する事は王族、皇族には許されない。

 リザさんもリュオネも、身分に伴う義務を果たそうとしているだけだ。


 僕は欲深い。

 地位も惜しい、金も惜しい、名誉も皆の笑顔も、それらを生み出す神器も当然手放しがたい。


 でも、それらを捨ててでも手放したくない。

 リュオネと緑の庭園で思い出に包まれて過ごす未来を、手放したくない。

 口が自然と開く、唇が動くのを止められない。

 熱くたぎる魂に熱せられた息が喉を震わせようとしている。


「リュオネ、僕は……」


 リュオネに首をふられ、その先を制される。

 爵位を捨てブラディアを危険にさらしてでも君についていきたい、と言う言葉は喉からこぼれでる吐息の中に消えてしまった。


「ザート、次に会うときまで、【白狼の聖域】をお願いね。バルド教から、私の代わりに皆を守ってほしい。私はもう一つの、牙狩りとしての義務を果たさなきゃいけないから」


 すこし困ったように愁眉をつくって笑うリュオネをつなぎとめたくて、タイミングも、場所も、考えていた言葉もかなぐりすてて、無意識に言葉がでていた。



「リュオネ。次に会う時、僕と結婚してほしい」



 意識がそのまま口から流れ出たように、なめらかに、はっきりとした声で告げた。

 直後、リュオネは目を大きく見開き、彫像のように固まってしまった。


 春が近い潮の香りがやけにつよくかんじられる。

 沈黙に気まずさを感じて目を逸らしたくなるのを必死でこらえる。

 何もかもが予定外だけど、ここで目をそらしたら、全てが嘘になってしまう。


「あ……」


 一筋、左頬に流れた光が落ちた後、リュオネは一つ鼻を鳴らして全ての憂いが晴れた笑顔でうなずいた。


「いいよ、次にあった時、その場所で!」


 どちらからともなく、静かに抱きしめる。

 冒険者として活動していた時に身体を抱える時とはちがう、相手の心を確かめ合うための抱擁は、どうしようもなく愛おしく、力を入れないようにするのに必死だった。


「……ん、やっぱり恥ずかしい、ね」


 真っ赤な顔をしたリュオネが微笑みながら上目遣いにみつめてくる。

 そのまま見ていればどうにかなりそうだったので、慌てて思いついた事を実行した。


「これって……竜の種?」


 神像の右眼から竜の種を取り出してリュオネの手をとり握らせる。


「竜の巣でみつけたものの一つだよ。将来、二人の庭に植える種を預けるから、かならず持って帰ってきて欲しい」


「うん、必ず持って帰るね」


 笑顔でうなずいたリュオネだったけど、ちらりと後をみた。


「じゃあこっちは……うん、クローリスを預けて行こうかな」


「どういう意味……」


 後を振り向くと、さっきまで寝ていたクローリスが泣きそうな顔でこちらをみていた。


「リュオネ! やっぱり私も連れて行って下さい!」


 とびつくクローリスを抱き留めたリュオネがクローリスの頭をなでる。


「クローリスがいないと【白狼の聖域】の技術部どころか、クラン自体が回らないよ? だから、こっちにのこらなきゃ駄目だよ」


「だって私だけ……一緒にいるなんて」


 こちらに残る罪悪感がクローリスにはあるんだろう。

 また泣き出すクローリスをあやすリュオネがこちらを見た。


「ああ、クローリスは僕があずかるよ。一緒に頑張って、早いところ戦争を終わらせよう」


 そういってクローリスにも種を渡す。


「なんですこれ? 人を動物みたいに扱わないでください!」


 指でつまんで怒り出すクローリス。クルミかなにかと勘違いしてないか?


「それは三人が再会するためのお守り。一緒に庭に植えようよ」


 いつの間にか晴れていた午後のロターの光に二人が照らされている。

 二人が緑の庭で戯れている未来を思い、僕は忘れないように心にきざんだ。




     ――◆ 後書き ◆――


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