第16話【マザーとの会談】
貴族街である旧市街区は元々閑静なたたずまいをしている。
けれど今の旧市街区は閑静を通り越して人の雰囲気そのものがない。
六爵を初めとした邸宅の持ち主も貴重品や使用人を引き上げてしまったのだろう。
そんな中にあって未だにひとけのある、外国の使者が訪問したときに使用する迎賓館にマザーは滞在していた。
「どうしたザート、緊張してんのか?」
案内された応接室でマザーを待っていると、隣のジョアン叔父が話しかけてきた。
「叔父さんはしないの? 自分だって追放されたのに」
かつて追放した相手と再会するのは、いやだとか怖いとかじゃなく、純粋に居心地が悪い。
そう思うのは僕が若いからなんだろうか。
「俺は追放とはいっても、アルドの家をついだ兄貴と反りが合わなくて出てっただけだからな。アルド家には近づかなくても、ウジャト教団の繋がりでマザーとは会っていたしなぁ」
つまり居心地が悪いのは僕だけだってことか。憂鬱だ。
——コッ、コッ、コッ
ドアが開く鈍い音ととも入ってきた使用人の後ろから、痩せた身体を黒いドレスに包み、白髪を高めに結った女性が入ってきた。
南方の紛争が長引いているからなのか、一年前よりさらに厳しい表情をしているように見える。
「マザー、お久しぶりです。先日異界より帰還いたしました」
「ご機嫌麗しゅうアーヴル伯爵閣下。【白狼の聖域】団長のザート、召喚に応じ参りました」
ジョアン叔父に併せて僕も頭を下げる。
「二人とも、よく来てくれました。まずジョン、異界門事変での身を賭した働き、見事でした。シャスカ様をこちらの世界に残していなければ、いずれバーバルの民達にこの地は征服されていたでしょう」
「もったいなきお言葉、痛み入ります」
マザーの凜とした声に含まれた真摯なねぎらいにジョアン叔父もこみ上げるものがあるようだ。
「【白狼の聖域】のザート。感謝の言葉を述べる前にヘルザートと呼んでもよいでしょうか?」
ソファに身を沈めたマザーの表情には一切の変化がない。
情を感じたからでも、出世した僕におもねるために提案しているわけでもない。
純粋に話しやすくするためだろう
マザーはそういう人なのだ。
「追放されたとはいえ、一族の話とあれば、否やはありませんし、その方が私も話しやすいので構いません」
僕の返事にマザーが少しだけ口元をほころばせる。
「ヘルザート、追放した後の活躍には心底驚かされました。神像の右眼の力を早々に引き出し、皇国の姫とともにクランを立ち上げ、法具に隠されていたシャスカ様を救い出し、さらに本来死ぬはずだったジョアンをも救った功績はウジャト教団の幹部として喜ばしく思います」
「はい。なにも聞かされていなかったので驚きましたが、いただいた法具のおかげでなんとか生き延びております」
当たり障りのない会話が続き、ふとした拍子に部屋の音が消える。
さして空気が緊張しているわけではないけれど、お互いへの親しみといったものが、僕とマザーとの間には欠けていた。
「マザー、今更ですが、ヴェーゲン商会を手元に残す方法はなかったんですか? カタリナをバルブロ家に身売りさせるような契約を結ぶ他なかったんですか?」
それまで訊くのをためらっていたのか、ジョアン叔父が少し責めるような早口で沈黙を破った。
けれど叔父が口にした言葉の刃が刺さったのはマザーではなく僕だ。
これについてはなにも不思議な事は無い。
「叔父さん、違うんだ。あの契約を履行できるとペンを走らせたのはまぎれもなく僕だ。マザーは反対する立場だった」
妹のカタリナが名ばかりの商会長となり、身売り同然にバルブロ家の次男と結婚し、バルブロ商会の傘下に入ったのは、間違いなく僕のあやまちだ。
「自惚れていたんだ。すでに使える技能ならスキルなんてすぐに使えるようになるってたかをくくっていた。中位スキルなんて三つどころか二ケタだって取れると思っていたんだ。どんなに楽観できる時であっても、もしもがあった時のリスクは最小限に抑える、父さん達から最初に教わった事ができないくらい僕は思い上がっていた。愚かだったんだ」
胸をかきむしりたい。
ソファから跳ね起き、背骨が折れるほどのけぞって倒れ込みたい。
自らの首をしめ、目の端が切れ血涙が流れるほど視界のすべてを憎み、筋が伸びきり、元の顔に戻れなくなるほど叫びたい。
……そんな事を考える時間はとうに過ぎた。
外聞もなく謝罪する行為は誠意の表れかもしれないが、見た相手に赦しを強要するぶしつけな脅しでもある。
僕はまるで罪の意識がないかのようにテーブルの上に置かれたソーサーを手に取り、カップを傾けた。
それでも、カップを持つ手は震える。
それでも、大切な人に罪を告白する事から逃げている。
「それでも、一族が迷惑を被ったとしても、追放はせずともすんだのでは……」
「そうかもしれません、ですが以前からウジャトには
途中でジョアン叔父も僕が追放された理由に気付いたのだろう。
僕の失態を利用したことが罪だったとしても、それはウジャト教団にとっては必要悪だったのだ。
「ですがヘルザートが強くなり、シャスカ様の使徒となった事で、追放の必然性はあいまいになりました」
飲み終わったカップが乗ったソーサーを使用人に渡し、マザーが優雅にたたんだ手を膝の上にのせた。
「ヘルザート、ヴェーゲン商会はシルバーグラスの手を離れ、取り戻すことはできませんが、貴方を再びシルバーグラスに迎え入れる事は可能です。貴方にその意志はありますか」
衰えてなお、往時の美しさを思わせる感情の見えない瞳に射すくめらる。
しばらく見つめた後、僕は耐えられずまぶたを閉じた。
マザーが可能と言った以上、一族の者すべてを説得する根回しはできているのだろう。
後は僕の気持ち一つということだ。
いざこざや喧嘩もしながら、戦いでは団結し、互いに協力して生きてきたシルバーグラスの一族に、再び帰れる。
異界門事変以前の、両親が笑顔で働き、妹や友人と商品の間を縫って倉庫の中、路地、川岸を駆け抜けたヴェーゲンの時間に僕はふたたびつらなることができるんだ。
それでも、できない。
「アーヴル伯爵閣下、僕はすでに【白狼の聖域】の団長です。そして——貴方とおなじ貴族に、守る側の者に数日後にはなるでしょう。ウジャトの使徒として、今後もお付き合いしたいと思っていますが、僕はいま己を必要としている人達を守りたいのです」
ギルベルトさんのメモには叙爵が確定したとあった。
僕はシルバーグラスの一族に所属する事はできない。
「そうですね、自らの手で守る範囲は限られています。あなたは己が守れる範囲の者を守るとよいでしょう」
ところで、とふとおもいついたようにマザーが伏せていた目を上げた。
「家を新たに
「はい、家名は異世界の言葉で射手を意味するガンナーにしたいと思っています」
「姓に希望はありますか?」
姓? 姓は王より賜るものだから考えていなかったな。
「そうですね……望めるなら、シルバー、ウルフを希望します」
白狼は言い替えればシルバーウルフだ。
未練というわけじゃないけど、シルバーグラスとの繋がりをしめすのも悪くないと思うので、望めるならこのような姓を希望したい。
マザーが虚をつかれた顔で目を見開いたのち、目元にシワを浮かべて微笑んだ。
マザーを驚かせたのは子供の頃以来だ。少し懐かしいな。
「フフ……良い名です。あとで王に口添えしておきましょう」
もしからしたら賜姓は事前に言っておけば希望が通るのかもしれない。
「そういえばマザーはなぜこちらに?」
それだ。マザーがいなくても南方の戦線は維持できるだろうけど、わざわざ船団で、しかも海戦をしてまでなぜマザーはブラディアにきたんだ?
「決まっているでしょう。建国式典に参列するためですよ」
「これから戦争を始める敵国貴族の式典への参列を王が認めるわけが……」
ジョアン叔父がハッと息を呑んだ。
「マザー、もしや亡命して来たんですか」
狼狽するジョアン叔父に対して、マザーは微笑み、無言でうなずいた。
――◆ 後書き ◆――
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シルバーグラス一族、亡命!
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