第37話【異界での打ち合わせ】
〈第三者視点〉
異界の赤い空の下、岩山の中腹にできた洞窟から白い具足をつけたコトガネが姿を現した。
歩む先にある三刃の鞘がささった岩肌には灰色髪の男、ジョンが身体を預けていた。
「なんじゃおぬし、手ひどくやられておるのう」
ジョンの身体にはいくつか穴があいており、左脚の膝から先がなかった。
変わりに、以前は無かった右手が生えていた。
「……おう、コトガネさんか。どうせ魂だけなんだ。多少痛くてもなんともねぇよ。それより今日は牙狩りの武器をもってるんだな……いや、それよりその防具はなんだ?」
ジョンがみずからの具足の特異さを見破ったことのうれしさからコトガネが笑う。
「これか? これはのう、クランの技師が再現した
その言葉にジョンは驚き、改めて具足に目を向けた。
「俺がいなくなった後、そっちの世界の技術はどんどん進んでいるみたいだな。なるほど、あんたが異界渡りできたのも無理はないか」
気を良くしたコトガネはジョンのつぶやきに気付かず、さらに腰にぶら下げていた魔道具を差し出した。
「そしてこれは魔素の濃度をはかるための測量器じゃ。異界がどれだけ魔素に満ちているかこれでわかるぞ」
テンションが上がって色々と話すコトガネだったが、次第に不機嫌になっていったジョンの右手に自慢話をさえぎられた。
「で、けっきょく今日は異界探査に来たのか? 前来た時にこの世界の
ジョンの言葉から、彼が異界の鍵を守るため、三刃の鞘を異界のエルフから守っている事、そのために身体をたびたび失っている事がわかった。
唸るコトガネに、ジョンが積年の恨みをぶつけるように声を荒らげる。
「調査なんて悠長な事してる場合じゃねぇ。前に言った通りとっとと一万ディルムの血殻を用意して、その剣で俺の魄を砂に変えてくれ! ようやく異界渡りができる人間が現れて俺もほっとしたせいか、はやく消えたくてたまらねぇんだよ」
声の勢いはしだいに失われ、最後はつぶやくようにして終わった。
異界門事変後も一人、異界で幾年にもわたってエルフから剣を守るという役割を担ってきた男の言葉には、計り知れない忍耐の下に隠れていた本音が込められていた。
コトガネはジョンを刺激しないように血殻がもう集まっていると言わず、言葉を選びゆっくりと話す。
「わしらはブラディアより異界門封印の鍵を得るように依頼を受けておる。確かに血殻を一刻も早く集めて封印の鍵を手に入れ、ライ山異界門の封印を盤石にするべきじゃろう。しかし我らは血殻を集めると同時に、魔人を、血殻の情報も集めておる。おぬしらを救うためじゃ」
ジョンは虚を突かれたように一拍息を止めた。
けれどすぐに顔を憤怒に染めた。
「俺の身体は完全な魔人だ! 魂魄の再反転なんてウジャトでも諦めた事をいまさら研究しても間に合うわけがねぇ。ウジャトがなんで出てこねぇのか知らねぇが、ようやくまともな神像の右眼の使い手が育ったんだろ? 俺はここに縛られてるから境界までいけねぇが、はやく帰ってそいつに言ってくれ。余計な事は考えずとっとと血殻を集めろってな!」
氷原での一瞬の火のぬくもりは自らが凍え死ぬ運命にあることを自覚させる。
一族を追われ、ウジャト教団からの助けもこず戦い続けてきたジョンにはクランの努力が生半可な希望を抱かせる火に見えたのだろう。
が、孤独というのなら、そうではないことを気付かせてやればいい。
「ジョン、おぬしの甥の名を言ってみよ」
唐突な物言いにジョンは反射的に答えた。
「甥……? 姉貴の息子ならヘルザート……」
「そのヘルザートこそわしの所属するクラン【白狼の聖域】の団長にして神像の右眼を使う金級冒険者、ザートじゃ。団長はおぬしの葬儀で、法具を形見として受け取ったらしいぞ」
自分がまだ十を過ぎた程度の少年だった頃、ウェーゲン家に嫁いだ姉の家でこわごわと抱いた赤子の事を思い出したのか、ジョンは驚愕し、かつてザートを抱いた自分の手を見つめた。
「あのチビが金級冒険者なんて信じられねぇ…… しかも団長って、コトガネさんの所ってどれくらいの規模なんだ?」
「元皇国軍一個大隊強に一般冒険者が加わって二個大隊、五六百名はおるぞ」
「皇国軍が母体のクランの団長って、あいつは何をやったんだよ」
呆れるジョンにコトガネは含み笑いをして答える。
「そこは、まぁ縁じゃのう。ちなみに副団長はわしの弟子で牙狩りじゃ」
すごいだろうとしばらくジョンと笑い合っていたが、コトガネは一つ大きく息を吐き、場を仕切りなおした。
「おぬしが生きる事を望んでいる者はまだおるぞ。フリージアという娘を知っておるじゃろう」
コトガネのさきほどまでとは違う口調と、なにより口にされたその名前にジョンは複雑な笑みを浮かべて答えた。
「ああ、知ってる。あいつは生きててくれたか。コトガネさんが俺の事を話した相手って事はギルド関係者か? 受付嬢ってガラじゃねぇけど、まぁ見た目はいいからな」
今まで見せたことのない、心底ほっとした顔を見て、コトガネは心中どこか痛ましいものを感じながら話を続けた。
「いいや、わしは直接会ったことはないが、つい最近まで第五中央砦で冒険者をしておったそうじゃ。そして魔人となり、団長と副団長に倒された」
コトガネの淡々とした言葉にジョンの表情は固まり、きしみ。ほどけていった。
一瞬の歓喜からの残酷な事実、そして心のどこかでそうなるだろうと思っていたかのような諦めをともなった安堵がジョンの顔に浮かぶのを見ながらコトガネは言葉をついだ。
「ただ、倒したといっても、消えてはおらぬ」
訳がわからないといった顔のジョンにコトガネは言葉をついだ。
「団長、おぬしの甥が器用にも動けなくなったフリージアから魔素を抜き、神像の右眼に収納したのじゃ。あやつらはどうしてもフリージアをおぬしに生きて会わせてやりたいと言っておった」
コトガネも戦艦を沈められた人間だ。
親しい者を一気に亡くした事を嘆き、また彼らの死に慟哭した者の背中を見てきた。
「戦いにうみ疲れたおぬしの苦労は想像するに余りある。しかし、帰還できる可能性があるのなら、それにかけてはみぬか。封印の鍵も大事じゃが、おぬしの帰還を望むものも多い。なによりフリージア嬢はずっとおぬしを助けるため、中央砦で神像の右眼の持ち主を待っておったのだ。おぬしは生きて帰らなければならぬ。否やはいわせぬぞ!」
死んでしまった側の申し訳なさと、残された側の悲哀の両方を知っていた。
だからこそ、コトガネは生き返る可能性がある者がためらうのは我慢が出来なかった。
肩を強くつかまれ顔を近づけられ、ジョンは初めて、コトガネの目が凝血石とおなじ、魔人と同じ色をしているのに気がついた。
「コトガネさん、あんた……人間じゃねぇのか」
ジョンの静かな声で冷静になったのか、コトガネは身体を離し、ため息とともに兜を脱いだ。
「どういうわけかわからぬが、わしのように人格をのこし魔物となった人間もおる。何事も例外はあるのじゃ。おぬしは生きよ。そのための打ち合わせをしようぞ」
呵々と笑うスケルトンを前に、ジョンはおう、とひとつうなずいた。
――◆ 後書き ◆――
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