第36話【スズから諜報員へ】

〈第三者視点〉


 南アルドヴィンアーヴル領。

 領主の居館も近い森のすそに、最近捨てられた獣人の集落があった。


 元皇国アルドヴィン駐留軍第八小隊、南アルドヴィン担当のスゥは定期報告のため、いつものように村はずれの水車小屋で連絡役のイトを待っている。


 今スゥたち元皇国軍は、一時帰国したムツ大使の指示によってリュオネが創設した冒険者クラン【白狼の聖域】の団員として活動している。


 もっとも、スゥが所属していた元第八小隊は諜報・工作を任務としていたせいで独立性が高く、現地担当はその地を離れることなく活動を続けている。

 スゥがする事も南アルドヴィンの防衛ラインを押さえているアーヴル領での情報収集であって、所属が変わったといわれても変わる事はない。

 だから正直クランに入ったという実感はスゥにはなかった。


 かすかな気配を感じスゥが入り口に目をやると、イトが音もなく入ってきていた。

 そして彼女が口にした内容に対し怪訝な顔をした。


「手紙? 王都担当からなんの連絡だ?」


「知らない……でも、スズが新しい指示を出したからそれと関係あるかも。トトに指示を伝えたらすぐにスゥあての手紙を書き始めたから」


 眠そうな目で無表情に語るイトはおもむろに黒い看護服の前をはだけ、少女としては規格外に大きな胸の隙間からほそくたたまれた紙を手品のようにとりだした。


「スゥ、欲求不満?」


 毎度かわらないその奇行を多少うんざりした顔でスゥが見ていると、イトが乳を持ち上げてきた。


「アーヴルの娼館は上玉がそろってるんだ。お前の固そうな乳はいらねぇよ……と、カミジ中尉からの指示を先に聞いておいた方がいいな。どんな指示だ?」


 手紙から目を離して服を直しているイトに振りかえった。


「”ウジャト教団”について調査せよ。だって」


 スゥが初めて訊く名前だ。

 アルドヴィン王国の実質的国教はバルド教だが、土着の宗教も多少は残っている。

 その一つかも知れないとスゥは見当をつけつつ、無意識に開いていた手紙に目を落とした。


「……ああ、こりゃ大事だ」


 手紙には、クランがブラディア王国から異界門封印の鍵を確保しろという重要な依頼を受けたと書かれていた。

 異界門封印はバルド教の重要な存在意義であったのに、その封印の鍵が紛失していた事実にスゥは戦慄を覚えた。


 続けて手紙には、以下の内容が記されていた。

 クラン本隊が調べた所によると、封印の鍵は狩人「蛮勇のジョン」が所持していた法具の中にあり、異界門事変の後に”ウジャト教団”が確保したらしい事。

 その法具【神像の右眼】は現在団長のザートが使用している事。

 そして、ザートに法具を渡したのが、エレナ・アーヴル=シルバーグラスだという事。

 

 スゥはようやく自らに与えられた指示がアーヴル伯とウジャト教団の関係、さらに言えば法具がたどった経緯を探れという指示であることを理解した。


「トト、恩に着るぜ」


 スズの端的な指示の背景を説明してくれたトトにスゥは感謝した。

 とはいえ、イトがこの内容を覚えていれば、こんな重要情報が記された手紙はなくて済んだのだ。


「お前、この手紙が奪われなくて本当によかったな。アルドヴィン王国側に渡っていたら面倒な事になってたぞ」


 スゥの言葉に首をこくりと動かすイト。

 自分の伝令役というアイデンティティが失われつつあるのに危機感を覚えていない様子に、スゥはめまいがする思いだった。


「そういえば新しい編成に、衛士隊っていう殿下の親衛隊があったな。こいつはそっちの方がむいてるんじゃないか? 今度具申してみるか」


 ブツブツとつぶやくスゥにかまわず、イトが右手をつ、と挙げて口を開く。


「もう一つスズから指示がある。これは今のところスゥだけに指示された事。バルブロ商会とその傘下にあるヴェーゲン商会について調べて」


 バルブロは南部の国境紛争だけじゃなく、ブラディアとの戦争の準備でだいぶもうけており、ヴェーゲン商会も同様とは知っていたが、改めて関係について調べろという指示にスゥは首をひねった。


「これはスズから他言無用といわれているから気をつけて。団長の本名は”ヘルザート・ウェーゲン=シルバーグラス”」


 ザートがアーヴル女伯を筆頭とするシルバーグラスの一族出身で、アルドヴィン側の政商の関係者という事だ。

 イトの言葉からザートの厄介な事情を把握し、スゥはため息をついた。


「ウェーゲン商会は団長の、ひいてはクランの弱みになるかもしれない。だからバルブロ商会がウェーゲン商会をどうやって傘下に収めたかなど、あらためて周辺情報の事実確認をしてほしい、という指示だった」


 めずらしく視線を相手に向けて語るイトの態度から、スゥはこの件の重要さを理解した。


「わかった。二件の指示承った」


 丸めた手紙を両手でつつみ、一瞬で灰にするとイトは元の眠そうな目でうなずいた。



    ――◆ 後書き ◆――


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