第33話【商会の密談/ザートの密命】
〈パトラ港・商業地区〉
凪いだ湾に月光の影が映る夜。
南部アルドヴィンの港町であるパトラは波に上下する大船のきしむ音がわかるほどの静けさにつつまれていた。
一年前であれば港には冬でも屋台がならび、酒場の軒下には樽にジョッキをたたきつける船乗り達の姿があったものだ。
けれど今は建物にかすかな明かりがともっていても大通りに人はなく、仕事が昼までに終わらなかった商会の奉公人が恥じるように倉庫から倉庫へと走るだけだ。
中立であった皇国軍がパトラから去り、入れ替わりにアルドヴィン王国の戦艦がパトラを拠点とするようになってから街は寂れる一方である。
ティランジア南部連合とアルドヴィン王国の国境紛争は今なお続いており、王国の艦隊は頻繁に港を出入りしている。
戦禍から逃れるため行商人は去り、軍需産業に関わる大規模な商会だけが残った。
今では南方の交易の拠点というより軍用の倉庫街といった方がいいだろう。
多くの商館の灯火がきえていく中、未だ明かりの残る商館で二人の男が密談をかわしていた。
「フランシスコ商会の船が帝国の私掠船に襲われたようです」
北方の蒸留酒を傾けながら、ソファに浅く腰掛ける柔和な顔だちをした若い男が今夜の本題を口にした。
「帝国の? フランシスコ商会は国の荷を積んでいるから攻撃はされないはずだ。末端に命令が届いていなかったのか?」
ソファに深く腰をしずめた相手のエルフが低いが響く声で問いただす。
一般にエルフは細面であるが、このエルフは眉も太く顎もがっしりとしている。
長身であると同時に胸板もあつく、髪の金色がわずかにあせているが、円熟した壮年としての精気に満ちていた。
「いえ、その可能性は低いかと。帝国は国民皆兵を国是としていますので国の命令は確実に一般人まで行き渡っているはずです。くわえてこれが重要なのですが……」
若い男の報告に、壮年のエルフが思わずソファから腰を浮かせた。
「ほう。襲われたのは商会長のガルムか……!」
「ええ、魔法を両舷から射かけられたそうです。ビザーニャ近海で複数の船を動かせる勢力となると、やはり賊は帝国の私掠船でしょう。水夫の話では、船長らは船を奪われた時点では生きていたようですが、その後は不明との事です」
凶報であるにもかかわらず壮年のエルフの口元に笑みが浮かぶ。
だが次の瞬間にはその眉間に険しいしわを刻んだ。
「ゲルニキアの坊主が自らの荷を奪う理由もないからな。帝国は未だ銃を開発できていない。今でこそ不可侵協定をむすんでいるが、帝国が皇国を、王国がブラディアを併呑すれば、次の戦争は帝国と王国だ。完全な味方ではないということか。まあ、そこは商人の我々にはどうでもいい」
それよりも、と壮年のエルフは笑った。
「フランシスコ商会が立て直すまえに王国の通商部にゆさぶりをかけろ。商会長を誘拐されたフランシスコ商会に今後も重要な戦略物資を運ばせるのかとな。今までバフォス海峡をはさんですみわけていたが、この機に乗じて我らバルブロ商会がレミア海の海運も掌握する。うまくすればフランシスコ商会もウェーゲン商会の時のように傘下におさめる事ができるぞ」
ショットグラスにたまった琥珀色の酒をあおり、バルブロ商会会長は沈黙する街にはばかることなく高らかに笑い声をひびかせた。
――◆◇◆――
「うわ」
団長室で書類仕事をしているとクローリスが入ってくるなり一歩後ずさった。
「うわってなんだよ」
まめに失礼な奴だな。
「いや、ザートが団長の机にいるのがめずらしくてですね、つい」
気まずそうにクローリスが目をそらした。
確かに普段から色々な場所に行っているけど、今日はたまたま予定が変更になったんだよ。
「クローリスは団長がいないときその机を使ってますからね。今日も使うつもりで来たんでしょう」
ブラディア各地のギルドから送られてくる血殻の量を確認していたゾフィーさんが顔を上げて説明してくれた。
「ゾフィーさんばらすなんてひどい! 別に悪いと思ってないですけど!」
別に普段使ってないならいいじゃないですか、と開き直るクローリス。
悪いと思わないのかよ。
「ゾフィーさん、この後スズさんの所に行きますよね? この子ちょっと連れて行って手伝いさせてください」
ゾフィーさんがため息とともに立ち上がり、悲鳴を上げるクローリスを連れて部屋を出て行った。
参謀室にはいくらでも仕事があるから、当分帰ってこないだろう。
さて、コトガネ様との稽古もあるし、仕事はとっとと終わらせるか。
「はいるぞー」
書類をまとめていると、シルトが返事もまたずに入ってきた。
「お、遠征どうだった?」
「マンティコアも倒したけど、奥にもサイクロプスとかミノタウロスとかいたから倒してきたぞ」
そういってポーチから大ぶりの凝血石をいくつもだし、得意げな顔をして机の上に並べてきた。
「へぇ、さすがだな」
「おう、これで俺も銀級だ。お前の叔父さんを助けにライ山までいけるぞ。いつ行くんだ? 年内か?」
シルトもライ山でジョアン叔父と戦う貴重な戦力なので急いで銀級になってもらった。
「気が早いよ。今、王国を担当している第八に調査をしてもらっている」
「……ガルムから聞き出した魔法考古学研究所のドロシーか」
隠す事なく顔を歪ませ、シルトが吐き捨てる。
シルトは魔法考古学研究所など”学府”を憎んでいる。
ミラディの事件でミラディとサイモンに復讐は果たせたけれど、直接一族を手にかけた者はまだ学府の中にいるからだ。
「やっぱりその件、俺にまかせてほしかったぜ」
熱くなるシルトを一瞥し、僕はだまって盾剣を取り出した。
シルトが黙って差し出した具足のシリンダーから大楯を使って魔素を抜く。
「駄目だな。お前がいったら情報を聞き出す前に殺しかねない。殺せるならな」
「どういう事だよ」
不満そうな顔をしてシルトがかみついてくる。
「そのままだよ。シルトより強い奴がいるかもしれない。学府はそういう所だ。特に魔法考古学研究所は六花の具足や神像の右眼のような法具を集めて研究している。力押しすべき相手じゃない」
今はな、といって話を結ぶ。
シルトはしばらく僕の手にある盾剣を見つめた後、握りしめた拳をほどいた。
「そうだな。俺の一族を殺した奴らが弱いはずがない。なめてかかって良いはずないか」
「そういうことだ。第八には研究所が所蔵している法具についても調べるように伝えてある。情報収集はその道のプロに任せて、俺達はやるべき時に全力で戦えばいい」
第八で何人が生きて情報を持ちかえれるのか。
化け物の巣窟に潜入させるという命令を出した時から常に抱えている、答えの出ない問いを振り払い、僕は盾剣を収納した。
――◆ 後書き ◆――
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